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第4話 時の人-4-
ふぁ、と大きな欠伸が自然と零れた。
結局、昨日はよく眠れなかった。自分の常識を超えた出来事が一気に起こり過ぎた事を思えば、当然と言えば当然かも知れない。
──あるじさま、ざんし、けんぞく……だっけ。
一晩寝ても、理解出来た──とは言い難いあれこれ。とりあえず、なんだか不思議な人が不思議なことから自分を守ってくれるらしい。
とはいえ──
こんなこと、誰にも言えないよなぁ。
自分だってまだ信じ切れていない。どうしたものかと思案しながら歩く耳に聞き覚えのある声。
「とやくん。おはよー」
この呼び方で自分を呼ぶのは、一人しかいない。ペットボトルを片手に歩いてくる友人を見つけて、軽く手を振る。
「おはよ、はるちゃん。今日はちゃんと起きられた?」
「うん、バッチリ」
へらりと笑うと同時に大きな欠伸をこぼすのに、思わず笑ってしまった。
「本当に?」
「──実はちょっと寝そう」
でもまぁ、ダイジョブでしょ。
軽い調子で笑う。
七五三掛三春 ──あだ名は「はるちゃん」。字面だけだと女性と思われがちだが、れっきとした男性だ。
長身に派手な金髪、カラフルなメッシュと耳につけた大量のピアス。指輪やネックレスなども歩けばじゃらじゃらと音がするほどに身に着けたその姿は、一見近づきがたい雰囲気もあるが、話してみれば気さくで人懐こい。
そもそも、遠夜が彼と知り合ったのも、キーホルダーが壊れて困っていた学生と遠夜が話しているところに、三春が声をかけてくれたのがきっかけ。
鞄の中から道具を取り出し、あっという間に修理してくれた手際の良さを思い出して、あ、と遠夜は声をあげた。
「はるちゃん、ちょっとお願いしてもいい?」
「うん?」
ポケットから小さな袋を取り出した。昨日もらった不思議な石を取り出して見せる。
三春は自宅で彫金──アクセサリーを作っている。身に着けているものは、ほとんどが自分で作ったもので、マネキンも兼ねている、なんて話してくれたのはいつだったか。
彼なら「いい感じ」に石を持ち運びしやすくしてくれるのではないだろうか。
「これね、穴開けたりしないでネックレスとかに出来るかな?身に着けやすい形だったら、ネックレスじゃなくてもいいんだけど」
差し出された石を三春はそっと手にした。慎重な手つきで持ち上げると、眼を瞬かせる。
「不思議な色……──?」
太陽に透かそうと持ち上げた三春の動きが止まる。
横から伸びてきた腕が三春の腕を掴んだから。
「翠さん?!」
遠夜に石を渡した白髪の男──翠がそこにいた。さっきまで誰もいなかった──いや、そもそも。大学の中に部外者である翠がどうやって入ってきたのか。
びっくりして固まっている三春と腕を掴んだまま微動だにしない翠。明らかに不穏な気配を漂わせているのは翠の方。
慌てて二人の間に割り込む。
「えっと。この人は、翠さんっていって、その石をくれた人で──」
続けて翠の方へ。
「この人は、はるちゃん──七五三掛三春っていって、俺の友達」
鋭い気配が緩んだ気がする。ゆっくりと掴んでいた腕を離すと、翠は静かに頭を下げた。
「──驚かせてしまった。申し訳ない」
「うん。びっくりした」
正直な三春の言葉。言葉通りの表情のまま、遠夜の方へ顔を向ける。
「この人は誰?」
当然の質問。自分の命の恩人で神様の使いの人──なんて説明するわけにも──
「ん、……説明が難しいんだけど。その石を俺にくれた人」
いまだ三春の手の中にある石を指さす。先程の鋭い気配はどこへやら。どこか落ち込んだように肩を落とした翠が口を開く。
「石が……君から離れたから。盗られたのかと思った」
「それで、はるちゃんを捕まえようとしたの?」
それであんなに厳しい気配を──いや、ちょっと待て。この石は盗聴器か何かなのか?自分から離れたのを感知できるなんて、どういうシステムなんだろうか。
実は輝石ではなく、アプリか何か仕組まれている機械なのだろうか。一気に不審者感が強まってしまい、眉間に皺が寄ってしまう。
が、一番怒ったり何だりしていい三春はいつもの調子のままだ。
「俺、泥棒って思われたの?ひどいなぁ」
そんなことしないよ、なんて苦笑交じりに肩を竦めている。いきなり腕を掴まれたことも、泥棒扱いされたこともさほど気にはしていない様子のまま言葉を続ける。
「で。とやくんが言ってたみたいなアレンジしてもいい?……翠さん?だっけ」
先程の不穏な気配はどこへいったのか。静かに頷くその姿は、今にも消えてしまいそうだ。
いや、実際。現れた時も突然だったから、消える時も突然かも知れない。流石にいきなり姿を消すのはやめて欲しい──と思いはするが、三春の前でどこまで話していいのか分からず、交互に二人の顔を見るばかり。
「構わない。誤解してすまなかった」
「ん、いいよ、もう。びっくりしたのは確かだけど……それより」
手の中の輝石から翠へと視線を向けた三春は、じっと彼を見つめる。
外見は前回と同じような和服に伸びっぱなしの白い髪。不審者──と言えば、不審者の格好をまじまじと見た後、うん、と三春は頷く。
「どっちかっていうとさ、翠さんの方が不審者じゃない?せめて髪の毛は切ろうよ」
三春は指を伸ばして、翠の髪を持ち上げて顔を露出させる。大胆、というかなんというか。一方で、翠の方は抵抗らしい抵抗もせず、されるがままになっている。
光に晒され、明るさで色を変える眼の色は綺麗よりも深すぎて怖いと思ったのだが。三春は興味深そうに見つめている。
「折角綺麗な顔と眼なのに……カラコンじゃないよね?」
「からこん?」
ぱっと髪から手を離した三春が楽しげに笑う。
「わかんない?ならいーよ。ねね、お昼から時間ある?髪もだけど、服とか買いにいこ」
ぐいぐい話しかける三春を見て翠は視線を彷徨わせた。そして遠夜を見る。
──助けて欲しい。
翠の視線から伝わってくる感情。とてもよくわかる。自分も先日まで、こんな風に知らない人にいきなり話しかけられて、やれ写真撮らせて欲しいだの何だの言われていたのだから。
「はるちゃん、翠さんびっくりしてるよ?」
「あー!ごめん、ごめん。俺、いっつもこうなんだよねー」
ぱっと距離をとると、ごめんね、と軽く頭を下げた。
「とりあえずさ。午後、とやくんも一緒に行こうよ。それならいいでしょ」
これ、と輝石を遠夜に返しながら言葉を続ける。
「ネックレスにもしたいし。都合悪いなら、明日でもいいけど」
「俺は大丈夫。翠さんは?」
問題ない、と返って来るのに、三春は満面の笑みを浮かべた。
「よし、じゃぁ講義終わったら待ち合わせよ。また後で連絡するね」
後でね。
慌ただしく去って行った三春を見送った後、残された二人は同時に顔を見合わせた。
「……ごめんね」
「……いや。俺の方こそ」
遠夜は困ったように眉を下げた。
「はるちゃんは良い人だから……これ、って思ったらちょっと暴走しちゃうけどね」
ところで、と返してもらった輝石を翠に見せる。
「これ、どういう機械?なの?……俺から離れた、とか分かるなんて……監視カメラ?みたいなもの?」
「……機械ではない。中に……本体の一部が入っている」
詰められて少し目を逸らした。先程の三春を泥棒と間違えた事や、怒涛の押しを引きずっているのかも知れない。
「ほんたい?」
「あぁ……君に何かあった時にすぐに気づけるように」
「それって……盗撮……えっと、俺の知らないところで俺のこと、見られてたりするの?」
声のトーンが低くなってしまう。問いかけに翠は首を横に振った。
「いや……君が何を見て、誰といるのか。そういったことは分からない。ただ──嬉しい、とか。困った、とか。そういった感情の振れ幅や、石が今どこにあるのか……後は、昨日のような「モノの気配」を感じることは出来る」
冷静に考えれば、会話を聞いていたなら、三春を「泥棒」と勘違いすることはなかっただろう。
ついきつい言い方になってしまったことを詫びる。
「そっか。ごめんなさい。びっくりしたのと……はるちゃんは、大事な友達だから」
構わない、と翠はまた首を振る。
「こちらこそ。勘違いしてしまった……それに」
自分で自分の髪を摘まんだ。
「……この格好が「おかしい」ということに気づいていなかった」
「え」
「え?」
二人して固まる。少しの間を置いてから、翠は静かに口を開いた。
「人里に下りるから、と。主が用意してくれた」
「あ、えっとね。着物は変じゃないよ」
また、え?と固まる。その様が、まるで子供のように見えて遠夜は笑ってしまう。勿論、和服姿は珍しいとは思う。が、それ以上におかしい部分。
「髪の毛。はるちゃんも言ってたでしょ?」
うっとうしくない?とつい尋ねてしまう。
「……分からない。ずっと、こうだから」
そういえば翠は、人間ではない、と言っていた。物の見え方も自分と違うのだろうか。
「よし。じゃぁさ……人里?人間?に慣れるためにも、はるちゃんと一緒に行こう」
明るく笑う遠夜を見て、翠も表情を緩めた──様な気がする。
「あぁ──よろしく頼む」
頭を下げた。遠夜も礼を返して頭を上げると、そこにはもう翠の姿はない。
「…………」
姿を消したり現れたり。そう言った事を気楽にしないで欲しい。
三春のいないところでそう願おうと思いながら、遠夜も自分の講義を受けるため、歩き出した。
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