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07 私のため
謁見が終わった頃には、日は完全に沈んでいた。だが、城内の中庭には大量のランプが吊り下げられており、辺りは眩しいくらいだ。
チカチカと揺れるランプの光にゆっくりと瞬いてから、ニアは周囲を見渡した。王への謁見も終わり、多くの貴族たちがくつろいだ様子でバンケットを楽しんでいる。
広大な中庭には、いくつものテーブルが置かれており、その上には軽食やアルコールがギッシリと並んでいた。貴族たちは近くにいる相手と語り合いながら、それらをゆったりと口に運んでいる。
鼻から大きく息を吸い込むと、食べ物やアルコールの臭いに混じって、芳醇な花の香りが大量に潜り込んできた。思わず噎(む)せ返りそうになりながら、じっとりと視線を傍らのテーブルへ向ける。テーブルの中央には、真っ赤な花びらを開いた薔薇が活けられていた。テーブルだけではなく、バンケット会場の至るところに大量の花々が飾られている。
「繁栄と豊穣か」
このブロッサムバンケットが象徴しようとしている単語を口に出す。確かに咲き誇る花や大量の食料に囲まれた場所は、一見楽園のようにも見えた。
少し離れた位置で友好的な貴族と談笑している両親の姿を眺めていると、不意にスネをゲシッと蹴られた。鋭い痛みに思わず、うぐっ、とうめき声を漏らして、視線を斜め下に落とす。すると、じっとりとした眼差しでダイアナがこちらを睨み付けていた。
「ニアお兄さま、私踊りに行きたいんだけど」
恨みがましそうな口調で言いながら、ダイアナがチラッと視線を前方へと向ける。そちらを見やると、ダイアナの前にずらっと並んだ貴族令息たちが見えた。みなどこかギラギラと餓えた眼差しで、ダイアナを凝視している。どうやらダイアナをダンスに誘いに来たらしい。令息といっても十代の少年だけでなく、二十代や三十代の男も混ざっている。
十一歳の少女に向けられるものではない男たちの生々しい視線に、ニアは思わず顔を歪めながら首を左右に振った。
「ダメだ」
「どうして! せっかくのバンケットなのに踊らないなんてっ!」
「ダイアナ、声が大きい。はしたないぞ」
そうたしなめると、ダイアナはグッと口をつぐんで頬を膨らませた。
「あいつらと踊るのは俺が許可しない」
容赦ないニアの一言に、ダイアナが泣き出しそうな顔でうつむく。ニアはゆっくりとしゃがみ込むと、ダイアナと視線をあわせた。その耳元に小さな声で囁く。
「よく見ろ。あの中に本当に踊りたい相手がいるか?」
訊ねると、ダイアナは涙目で周りを囲む貴族令息たちを見た。辺りを見渡しているうちに、ダイアナの泣き出しそうな顔がスンッと真顔になっていく。
「……いない、かも。なんか……みんな目が怖いし」
「そうだろう? だったら、踊りたくもない相手と踊って、自分を安売りする方がよくないんじゃないか?」
ニアがそう諭すように言うと、ダイアナはうつむいて唇を引き結んだ。
「でも……せっかくたくさん練習したんだから、ダンス踊りたいもん……」
ドレスの裾をぎゅうっと掴むダイアナのいたいけな姿に、ニアはそれならばとばかりに声を上げた。
「じゃあ、兄さんと踊るか?」
そう告げると、ダイアナはパッと目を輝かせた。だが、すぐさま悪戯でも思い付いたみたいにニヤニヤと口元に悪い笑みを浮かべる。
「そんなこと言って、本当はお兄さまが私と踊りたかったんでしょう?」
ツンと顎を上げるダイアナの仕草に、とっさに頬が緩みそうになる。笑いを堪えながら、ニアはダイアナへとゆっくりと手を差し伸べた。
「レディのご推察とおりです。どうか私とダンスを踊って頂けますか?」
「あら、あなたに私の相手がつとまるのかしら?」
「それはフロアでお見せしましょう」
演技がかった台詞を言い合って、ニアとダイアナは顔を見合わせて小さく噴き出した。転がるような笑い声を漏らしながら、ダイアナがニアの手を掴む。そのまま周りに群がる貴族令息を置いてきぼりにして、二人で歩き出した。
中庭の中央には、平らな石で作られた広いダンスフロアがあった。フロアの端には舞台が作られており、その上で楽団が演奏をしている。周囲をランプで照らされており、純白のフロアはぼんやりと幻想的に照らされていた。フロアでは、すでに何組もの男女が踊っている。
空いたフロアに出ると、ニアはダイアナの細い腰に片手を回した。途端、ダイアナの背筋がキュッと硬くなった。しっかりと鍛えられた筋肉を感じる。
音楽にあわせて一歩足を踏み出すと、ダイアナは遅れることなく滑らかに足を動かした。他のペアにぶつからないように、フロアを泳ぐように踊っていく。
「前よりもずっと上手になったな」
視線をちらっと落として囁くと、ダイアナは得意げに口角をあげた。
「お兄さまも、まあまあ悪くないわ」
ずいぶんと調子に乗ったことを言う。咽喉の奥で笑い声を漏らしながら、ダイアナの身体を振り回すように手足を大きく動かす。だが、ダイアナは体幹をぶらすことなく付いてきた。くるくると回る度に、ダイアナのドレスの裾がふわふわと揺れるのが美しかった。
ランプの灯りに照らされるダイアナの横顔も、幼さの中に凜とした美しさがかいま見える。前の人生でも見たはずなのに、ふと妹の成長を強く感じて胸がグッと詰まるのを感じた。
「すまない」
無意識に言葉が零れていた。ハッとしたときには遅く、不思議そうな視線でダイアナが見つめてくる。その眼差しを見返して、ニアは小さな声で呟いた。
「鍛錬、つらいだろう」
罪悪感を滲ませたニアの言葉に、ダイアナは一瞬皮肉るみたいに口角を吊り上げた後、小さく肩をすくめた。
「当たり前じゃない。腕も足も痛いし、明日もお兄さまに鍛錬場に引きずられて行くのかって思うと、眠るのがイヤになる日もあるわ」
率直なダイアナの返答を聞いて、申し訳なさに眉尻を下げる。だが、ダイアナはすぐさまこう続けた。
「でも、最近はもう筋肉痛にもならなくなってきたし、そんなに鍛錬もイヤじゃないの。ダンスが上手くなったのも体幹がしっかりしてきたおかげだって先生も言ってたし、自分の強くなってるのが解るのも楽しいって思えるようになってきた。それに私、最初からちゃんとわかってるわ」
「わかってる?」
ニアが問い返すと、ダイアナはじっとこちらを見上げてきた。鮮やかなエメラルド色の瞳が、灯りを受けてチカチカと輝いている。
「ニアお兄さまは、私のためじゃないことはしないって」
はっきりと告げられた言葉に、ニアは思わず目が潤みそうになった。ニアが小さく鼻を啜ると、ダイアナはにんまりと笑みを浮かべた。
「ね、ね、今日はお腹いっぱい食べてもいいわよね」
甘えるようにダイアナが言う。その猫撫で声に笑いそうになりながら、ニアは答えた。
「今日だけな」
「やったぁ! お兄さま、大好きっ!」
そう言いながら、ダイアナは軽やかな足取りでくるりとターンした。
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