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09 運命にあらがう

   中庭に戻って、ニアはダイアナとともに料理を食べ始めた。ダイアナはここ半年の食事制限の分を取り戻すように、パクパクと口いっぱいに料理をほおばっている。 「ニアお兄さま、これ美味しいわっ」 「そうか、美味しそうだな」 「美味しそうだな、じゃなくて、お兄さまも食べなきゃ。こんなにいっぱいにあるんだから、食べなきゃもったいないわよっ」  お節介な母親みたいなことを言いながら、ダイアナが自身の頬にマカロンを二つも詰め込む。パンパンになったダイアナの頬袋を眺めて、ニアはにこにこと笑みを深めた。  本来なら食べ過ぎはレディらしくない振る舞いだが、半年間のダイアナの我慢を思うと止める気にはなれなかった。それにやっぱりいっぱい食べるダイアナは、最高に可愛い。  妹の可愛さにニアが頬を緩めていると、ふとダイアナの足下でもぞもぞと何かが動くのが視界に入った。視線を落とすと、テーブルクロスの下から伸びた小さな手がダイアナのスカートの裾を掴んでいるのが見えた。  その光景にギョッと目を見開きながら、ニアは反射的にしゃがみ込んで小さな手を掴んでいた。 「ぎゃっ!」 「えっ、な、なにっ!?」  テーブルクロスの下から聞こえてきた動物めいた悲鳴に、ダイアナが驚きの声をあげる。  ニアがテーブルクロスをめくり上げると、その下には小さな男の子が隠れていた。あどけない顔立ちから推測すると、まだ六歳か七歳前後だろうか。くすんだ灰色の髪に、澄んだ水色の瞳をしている。吊り上がった生意気そうな目付きが、より一層少年の幼さを引き立てていた。 「何をしているんだ?」  パッチリと目を見開く少年を見つめて、問い掛ける。少年はすぐさま不貞腐れた表情を浮かべると、唇をヘの字にへし曲げた。 「べつに……なにもしてない……」 「スカートを掴もうとしてただろう? そういうことは危ないからしてはいけないよ。相手が転んじゃうかもしれないし、君が蹴られちゃうかもしれないだろう?」  小さな子を諭すようなニアの口調が気に食わないのか、少年の顔がますます渋くなっていく。むっつりと黙り込んでしまった少年を見て、ニアは困ったように眉尻を下げた。 「お父さんかお母さんはどこ? 一緒に来たんだよね?」  そう声をかけながら、少年の腕を掴んだままゆっくりと立ち上がる。  少年は、白い礼服を着ていた。純白の生地は滑らかで、仕立てもしっかりしている。使用人の子供が着れるものとは思えない。おそらくどこかの貴族の令息だろうと思って礼服を眺めていると、ふと少年の胸元に縫いつけられた刺繍に気付いて、ニアはギクリと身体を強張らせた。  少年の礼服に縫いつけられていたのは、大鷲の頭と翼に、獅子の胴体をもった絵柄だ。それは、この国の王族の紋章だった。つまり、この子が―― 「第二王子?」  本人だけに聞こえるような小さな声でニアが呟いた瞬間、少年がキッと鋭い目で睨み付けてきた。ひどく憎いものでも見るような、怒りの滲んだ眼差しだ。直後、不意にスネに鋭い痛みが走った。 「いっ……!」  痛みに押し殺した悲鳴を漏らす。顔を向けると、足を振り抜いた様子の少年が見えた。どうやらニアのスネを、まっすぐ正確に蹴り飛ばしたらしい。  ニアが痛みにたたらを踏んだ瞬間、掴んでいた少年の手がパッと引き抜かれた。ダイアナがニアの背に手を当てて、慌てたように訊ねてくる。 「ニアお兄さま、大丈夫っ!?」  その声に答える前に、少年の声が聞こえた。 「ばぁーっか!」  視線を上げると、数メートル離れた先で少年がベーッと舌を出しているのが見えた。子供らしい悪態に思わずニアは笑ってしまったが、ダイアナは怒り心頭な様子で肩をいからせた。 「このガキんちょ……ッ」  ダイアナが押し殺した怒声を漏らすと、少年は更に煽るように声をあげた。 「うるせぇ、ババア!」 「私はババアじゃない!」  子供みたいに言い返して、ダイアナが両手でスカートをわしっと掴む。そのままダイアナは、少年へと向かって一気に駆け出した。  真っ赤なスカートが翻るのを見て、とっさに声をあげる。 「ダイアナ、待て!」  だが、激怒しているダイアナに、ニアの声は届いていないようだった。少年を追いかけて、ダイアナの姿が人混みに紛れてしまう。その光景を見て、ニアは一気に血の気が下がっていくのを感じた。  ダイアナが消えた方へと、慌てて駆け出す。 「ダイアナ、ダイアナ、どこだっ」  怪訝そうな顔をする貴族たちの横を擦り抜けながら、ダイアナの名前を呼ぶ。だが、ダイアナの姿は見つからない。  ふと足を止めて、時計台へと視線を向ける。花火が打ち上げられるまで、もう時間がない。そう思った瞬間、前の人生で聞いたダイアナの言葉が脳裏をよぎった。 『花火が打ち上げられる直前に、偶然迷い込んだ温室でお会いしたの!』  その言葉を思い出すのと同時に、ニアは温室へと向かって全速力で駆け出した。  中庭の端まで来ると、ガラス張りの巨大な温室が遠くに見えた。目を凝らすと、温室の中で赤い何かがうろうろと歩き回っているのが視界に入る。おそらく、あれはダイアナだ。ダイアナは何かを探すように、温室の花の間をうろうろと歩き回っている。  そして、温室の入口へ視線を向けると、ちょうど第一王子が温室の中に入っていくのが見えた。それを見て、ニアは恐怖にヒュッと咽喉を鳴らした。  ほとんど転げるような勢いで、温室の入口へと走り寄る。だが、近付いた瞬間、大きな影が扉の前に立ち塞がった。 「中には入れない」  少し鼻がかった声でそう言い放ったのは、銀色の甲冑をまとった細目の騎士だった。金色の髪を額の真ん中で分けており、ツンと尖った鼻と薄い唇がやや神経質な印象を与えた。その両腰には、それぞれ剣が吊り下げられている。  前の人生ではほとんど関わることもなかったが、その姿は覚えていた。 「ヘンリー・ハイランド」  ニアよりも二歳年上の、ハイランド公爵家の長男であり、現在第一王子の付き人を任されている次期ロードナイト候補筆頭の男だ。つまり、先ほど会ったハリーの息子であり、クリスタルの兄でもある。  ニアが掠れた声で名前を口に出すと、ヘンリーは不愉快そうに目尻をヒク付かせた。その仕草を見て、慌てて胸に手を当てて敬礼を向ける。 「大変失礼しました。私はニア・ブラウンと申します」 「知っている。『馬鹿力だけが取り柄の二番手伯爵』の息子だろう?」  視線を合わせないまま、ヘンリーが小馬鹿にするように片方の口角を吊り上げる。その露骨な侮蔑に、一瞬ニアは唖然としそうになった。自分よりも下位とはいえ、こんなにも平然と他貴族を馬鹿にしてくる人間がいるのかと、逆に感心しそうになる。  だが、今はそんなことに感心している暇もなかった。 「申し訳ございません、妹が迷って温室の中に入ってしまったようなんです。連れ出しますので、中に入らせては頂けませんか?」  上擦った声で訴えかけても、ヘンリーはちらりともこちらに視線を向けなかった。まるで目の前のニアなんて見えていないかのように、宙を見据えたままだ。 「誰も入れるなと殿下からご命令を受けている」 「ですが、中に妹がいるのです。すぐに連れて出ますから」 「誰も入れるな、と殿下からのご命令だ」 「お願いです。妹が心配なんです」 「絶対に、何があろうと、中には、誰も入れない」  それ以外には答えるつもりもない、と言わんばかりに同じ言葉が返ってくる。取り付く島もないヘンリーの態度に、ニアは思わず拳をキツく握り締めた。 ――どうすればいい。このままでは、ダイアナと第一王子が温室で出会ってしまう。必死に変えようとしてきた運命が、同じ方向へと進んでしまう。  そう思った瞬間、腹の底が煮え立つように熱くなるのを感じた。憎悪にも似た衝動を引き摺られるようにして、ニアは唇を開いていた。 「ああ、花火が始まりましたね」  言いながら、視線を左斜め上の真っ暗な空へと向ける。途端、ヘンリーは怪訝そうに表情を歪めて、ニアの視線を追うように顔を上げた。  その一瞬の隙を狙って、ニアはヘンリーの左足に足払いをかけた。ヘンリーが鈍い声を漏らして、バランスを崩す。同時にニアはヘンリーの後ろに回って、その首に両腕を巻き付けてロックした。 「ぅ、ぐッ……!?」  ヘンリーが驚愕の声を漏らして、首に回ったニアの両腕を引き剥がそうとする。流石に凄まじい力だが、その抵抗をねじ伏せて、ニアはヘンリーの頸動脈を締め続けた。 「俺は、絶対に諦めない」  ヘンリーの耳元で、うなり声混じりに囁く。何があろうと、どんなことをしても、この運命にあらがってみせる。そう思いながら、ニアは両腕に力を込めた。ヘンリーの両足が、もがくように地面を蹴り飛ばしている。だが、次第にその動きは緩慢になっていった。 「ぐ、ぐ……」  鈍いうめき声を最後に、ヘンリーの四肢からだらりと力が抜けた。完全に意識を失ったことを確かめてから、ヘンリーの首からゆっくりと両腕を外す。  気絶したヘンリーの身体を地面に転がすと、ニアは静かに扉を開いて温室内へ足を進めた。

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