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第7話
結局流されるままに緋葉 と昼食をとってから、解散……とは当然ならず。電車で帰ろうとした僕を、どうせ家一緒なんだからと緋葉は無理やり自らのバイクに乗せ、夕飯の買い物をしたきからという僕の逃げ口実にまでしっかり付き合い、荷物持ちまで引き受けてもらい青葉荘まで送り届けられてしまった。
一昨日知り合ったばかり……のはず、の人間にここまでされるというのは感謝を通り越してドン引きしている、とはもちろん本人に言う勇気はないけれど。なんでこんなにも嬉しそうなのか、僕にはさっぱり理解できずにいた。
「荷物どこまで運んだらいい?」
「え、ここでいいよ。あとは自分でやるから。」
「いやいやいや、結構重いから俺が運ぶって。」
「いいってば。ただのお隣さんにそこまでしてもらうわけにはいかないよ。」
えー、となおもごねる緋葉から買い物袋を奪い取る。
今日は僕が夕飯の当番なんだから、玄関前で言い合いなんてしている時間はないんだ。
論文を仕上げなきゃならないと今朝バタバタと出ていった父さんの様子からして、帰りは遅くなるだろうから今日は僕が作り置きまでしておこうと決めていたんだから。家事は折半と決めているのにいつだって余計にやろうとする父さんに、こんな時くらい楽をしてもらわないと。
「とにかく、本当に大丈夫だから。……ありがとう。」
僕は緋葉に一応の礼を言ってから、スプリングコートのポケットから家の鍵を取り出す。
さて、何から作ろうかななんて思考をめぐらせながら鍵を開けていたら、背後から誰かが駆けてくる足音と息遣いが迫ってくるのが聞こえてきた。
「あ、おかえりな……ん、あれ?…もしかして奏川 教授!?」
「え、」
まさか、そんな。
緋葉の言葉に咄嗟に背後を振り返る。
けれどそこにいたのは緋葉の言葉通り、僕の父、奏川温人 その人だった。
「っ、ひ、緋葉君でしたよね、こ、んにちは。」
肩を大きく揺らし、息も絶え絶え。
運動はからきし駄目なはずのあの父さんが、どう見ても全力で走って帰ってきた。
「こ、こんちは。うわ、一昨日は翡翠 の事でいっぱいいっぱいで気づいてなかった。」
「あ、ひ、緋葉君は、もしっ、かして、うちの生徒さ…」
「ちょ、ちょっと待って、父さんどうしたの!?」
のんきに玄関前で立ち話している場合じゃない。僕は気がつけば緋葉押しのけていた。
あの鈍くさ…マイペースな父さんがここまでして帰宅を急いだだなんて、どう考えても普通じゃない。
「どうしたの?何かあったの?」
ぜぇぜぇと肩で荒い息を繰り返す父さんの背を撫ぜる。中に入って水でも持ってきてあげた方がいいんだろうかと一瞬思案したけど、そんな僕にも、大丈夫すかと心配する緋葉にも平気だからと父さんは頭を振った。
「す、すこし気になることがあったから。何か、事件とか、問題があったとかじゃなくて、」
「気になるって一体何が、」
パァンッッッ!!!
僕の言葉は、突如聞こえてきた破裂音によってかき消された。
その場にいた全員が肩をびくりと震わせる。
「え、」
なに。
僕達の視線は一斉に隣の102号室へ。
「っ、緋丹 さん!」
混乱にフリーズする中、真っ先に動いたのは父さんだった。
何事かと固まる緋葉と僕を押しのけ102号室の玄関の扉を開ける。
「ちょ、父さん!?」
止めるまもなく勝手に上がり込んでいった父さんに、僕と緋葉は思わず顔を見合せた。
なにが、どうなってるの。
とにかくただ事じゃない事だけは混乱する頭でも理解していて、僕は慌てて父さんの後を追いかけた。緋葉もその後に続く。
お邪魔しますなんて悠長な言葉はもちろんなく、辛うじて靴を脱ぐことだけはして人様の家の中へ駆け込んだ。
「父さ、…」
玄関をぬけてリビングへ。
そこに広がっていた光景に、僕は再び言葉を失った。
キッチンの片隅で呆然と立ちすくむ男性。一昨日挨拶に来た時に会った、緋葉の父親だろう人。緋葉と同じ蒼穹を写したような瞳が驚きに見開かれ、ただ一点を……電子レンジを見つめていた。
衝撃のせいで開かれ揺れているレンジの扉。その周りに無惨に飛び散る白身と黄身と殻。
これは、もしかしなくても、
「緋丹さん、大丈夫ですか!」
呆然とする彼に父さんが駆け寄り肩に腕にと触れて確認するが、どうやら怪我はしていないらしい。
「何してんだ親父!」
僕の背後から聞こえた声に、蒼穹が父さんから緋葉へと向けられる。
「……いや、ゆで卵を作ろうかと思ってだな。」
「はぁ!?正気か!?」
それでどうしたらこうなる!?
え、卵を電子レンジにかけるとか、今どき小学生でもやらないだろ!
衝撃と驚愕とでパニックな僕と緋葉に比べて、父さんは冷静だった。
「翡翠、家から雑巾とキッチン用の洗剤を。あと、このお宅にはキッチンペーパーも置いていないから、悪いけど持ってきて貰えないかな。」
「へ、あ、う、うん。」
「緋葉君、捨てちゃってもいいようなタオルがあったらお借りしてもいいかな?」
「あ、え、は、はい。」
わけもわからないまま父さんの指示に従うために緋葉と回れ右。
え、なんで?
どうして?
『っ、僕がお伺いできなかったばっかりに。……っ、ごめんなさい!』
リビングを出る僕の背後から聞こえた父さんの嘆きが、さらに混乱を加速させる。
結局、疑問符で埋め尽くされている脳内を整理するのに、僕はかなりの時間を有してしまった。
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