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第11話 隣人さんには壁がある

翌日、宣言通り父さんは朝の七時きっかりに卵と牛乳と食パンを抱えて多家良家の呼び鈴を鳴らしていた。 眠気まなこの多家良(たから)親子を横目に手際よくフレンチトーストにオニオンスープ、サラダにヨーグルトまで準備して、昨日に引き続き多家良親子の蒼穹の瞳を驚きにまん丸に見開かせることに成功した父さんは、ついでに全員分のお弁当まで仕上げてしまっていた。 「さぁ、いただきましょうか。」 ご機嫌な父さんを止める人間は、もはや誰もいない。 いただきますと皆でそろって手を合わせ、それが当たり前であるかのように誰も何もツッコミを入れることなく朝食をとりはじめた。 相変わらずヤバい、うまい、の捻りのない感想と、うまいなとポツリと落とされる声を聞きながら。 ……よくよく考えれば、多家良親子も相当なお人好しだなと思う。 あらかじめお邪魔すると伝えていたからだろう、二人とも眠い目を擦りつつ緋葉(ひよう)はパーカーとスキニーパンツ、緋丹(ひたん)さんにいたってはスーツに着替えて僕達を出迎えてくれていた。 「お二人の今日のご予定は?」 「あー、俺は今日午後からバイトで帰りは遅くなるんで。」 「あ、じゃあご飯はラップしておくから、温めて食べてね。」 「いいんすか?あざっす。」 「私は社に顔を出すつもりでいるが……夕飯までには戻るようにしよう。」 ……お隣さん、ってなんだったっけ。 そもそもここ、他人の家のはずなんだけど。 「家の鍵置いとくんで、好きに使って下さい。」 「ありがとう。僕は今日お休みだから、ご飯作ってみんなの帰りをお待ちしてますね。」 当たり前のように話が進んでいる中、僕は全てを諦めて無言でフレンチトーストを口に運んでいた。 父さんの説得なんて無理。多家良家が迷惑でないのなら、もう好きにすればいいと思う。怒るだけ体力の無駄だと、僕は一晩で悟りを開いてしまっていた。 「翡翠(ひすい)は今日は何か予定があるのかな?」 「ん、今日は研究室に顔を出さなくてもいいから、気になってた本でも買いに行こうかと思ってるくらいかな。買い物あるならついでに行ってくるよ。」 「あ、だったらさ、午前中ちょっとつきあってくんね?」 「は?」 いきなり父さんとの会話に割って入ってきた緋葉を思わず睨みつけてしまっていた。 「……付き合うってどこに?」 「いやさ、大学のサークルの奴らに翡翠連れて来いって言われてて。ほら、昨日食堂にいた奴らなんだけど、」 「嫌だ。」 なんで僕が緋葉の友人に会わないといけないんだ。しかも昨日の食堂での騒ぎを見られている人間になんて。 絶対に嫌だと念押してやれば、緋葉は、はは、と乾いた笑いを浮かべ頬をかいた。 「いや、その、どうしても会わせろってあれから連絡しつこくてさ。まぁ、俺としても色々あって断れないというか。」 「僕には関係ない話じゃ…」 「付き合ってくれたら、とっときの古本屋教えてやっから!」 ダンッ、とテーブルを叩き前のめりに迫られて、思わず断ろうと開いていた口を閉じてしまっていた。 というか、今なんて、 「……古本屋?」 「そう!こないだ偶然隣町に偏屈そうなじいさんがやってる古本屋見つけたんだけどさ、まともに商売する気もないらしくてネットで検索かけてもまったく出てこなかったレアな店なんだよ。……翡翠好きじゃね?そういうの。」 ひくり、思わず口の端が動いてしまったことに気づかれただろうか。 「パッと見外からじゃ本屋なのどうかもわかんねぇし、それどころか営業してるのかどうかも怪しい感じでさ。客なんて見たことねぇから、お前の好きそうな古い貴重な本が誰にも知られずに眠ってるかも…」 「ひ、ひ緋葉君!その話詳しく!!」 緋葉の話にテーブルに身を乗り出したのは、父さんだった。 あ、目が完全に座ってる。こうなると父さん怖いんだよな。 そりゃあ、まぁ、こんな話されれば僕だって気になるけど。すごく、すごく気になるけど。 「そ、そそれはもうまさに理想の街の隠れ家的な古本屋さんでは!?ぜ、ぜひとも場所を!」 「うおぅっ、え、ええと、」 鼻息荒く詰め寄られ緋葉は思わず仰け反るが、父さんは負けじと詰め寄る。 ちなみに、先程から緋丹さんは我関せずとマイペースにフレンチトーストを口に運んでいた。 暴走する父さんを誰も止められず、たじろぐ緋葉がチラリと縋るように僕に視線を向けてくる。 ……これ、断ったら泣いちゃうかもな。父さんが。 あってないような選択肢に、僕は思わず深くため息をついていた。 「……わかったよ、行くよ。行くからちゃんと教えてよね。もちろん父さんにも。」 しぶしぶ答えれば、緋葉と父さん、二人の瞳がパァッと輝く。 なんだろ、なんか納得いかない。 何故だかハイタッチして喜ぶ二人を横目に、僕は再びおもーいため息を吐き出していた。 うまいな、と呟くマイペースな声を聞きながら。

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