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第14話
『うろ覚え倶楽部』なるサークルに半ば強制的に依頼をさせられ、なんとかあの場から解放された僕と緋葉 は、目立ちすぎた食堂を逃げるように離れて中央棟の奥へ。建物沿いに植えられた銀杏 の並木道の下にようやく腰を落ち着けて、父さんから渡されたお弁当を広げようとしていたのだけど。
「緋葉、……どうしたの?」
「……へ?」
先程からどこか上の空。
早く食堂を離れたいと緋葉の腕を掴み引っ張り出した時も無抵抗だったし、今もいい時間だしお昼にするかと自分から言ったくせに、緋葉は弁当箱代わりにと父さんがおかずやご飯を詰めてくれたタッパーを膝の上に乗せたまま蓋も開かずに動きを止めてしまっていた。
いつもならもっと騒がしかったり、僕に絡んできたりするくせに。
「ん、ああ。わりぃ。」
緋葉は蒼穹を映したような蒼い瞳をパチリと瞬かせてから、苦笑いと共に自らの髪を掻き乱す。
その姿がなんとなく毛繕いするライオンみたいだなと思ってしまったのは、先程まで思い起こしていた絵本の記憶のせいだろうか。
金糸に近い蜂蜜色の髪が日の光を反射して煌めいている。長く伸びた襟足。同じく長い横髪は邪魔にならないようになのか後ろで縛られている。緋丹 さんみたいに手入れして切りそろえてやればもっと見栄えもするんだろうに。
「あの、さ。さっきは悪かったな。……その、色々思い出させて、さ。」
たてがみ……ではなく髪を掻き乱しバツが悪そうに切りだした緋葉に、今度は僕の方が驚きで瞳を瞬かせてしまった。
「え、なに。気にしてたの?」
あのガサツで無神経そうな緋葉が。……とは口に出さなかったけど、伝わってしまったみたいでその口元がムスッとへの字に曲がる。
そんな子供みたいな拗ね方に、思わず笑ってしまった。
「ふふ、別に気にしてないよ。僕にとっては昔のことすぎて正直よく覚えてないくらいだし。」
「……本当か?」
「うん。」
正直に頷けば、緋葉はそっか、と小さく呟いた。その声は、やっぱりどこか元気がない。
たしか、食堂で僕が母親の話をした時から……だった気がするのだけれど。
そこまで考えて、僕はふと気づいてしまった。
あれ、そういえばもしかして。
「青葉荘に緋丹さんと二人で住んでるってことは、緋葉のお母さんって……」
湧いた疑問は、そのまま口に出してしまっていた。
しまった。あわてて口を噤んだけれど、緋葉 は別に嫌な顔ひとつすることなく頷く。
「ああ、俺が一歳になるかどうかって頃に死んでる。」
「あ、」
男親と二人でアパート暮らし。自分と同じ所に同じように住んでいるのだから、想像出来たはずなのに。
「ご、ごめん。」
慌てて謝ったけど、緋葉は僕の頭に手を伸ばし、ポンポンと優しく叩いてから蒼穹を細めた。
「気にすんな。昔のことすぎて全く覚えてねぇしな。」
お互い様だと、顔を見合せクスリと小さく笑う。
そうしてそこにぐぅ、と響く緋葉の盛大な腹の虫。
あまりのタイミングの良さに、僕達は今度は思いっきり噴き出してしまっていた。
「ほら、早く弁当食おうぜ。飯食ったら翡翠 に本屋案内しなきゃだしな。」
「ふふ、そうだね。」
そうしてようやく僕達はお弁当箱の蓋を開けた。開いてすぐに、緋葉の口元も驚きポカンと開け開く。
「……すげぇ。」
だし巻き玉子にほうれん草のおひたし、唐揚げにきんぴらごぼう。ご飯の半分には甘辛い鶏そぼろまで乗っている。
栄養バランスにも見た目にもこだわった、父さんのお手製弁当。うん、しかも今日はちょっと気合入ってるな。
「え、これ食っていいの?」
「当たり前だろ。ちゃんと残さず食べてやってよ?」
「言われなくても!いっただきまーす。」
ご丁寧にパチンと勢いよく手を合わせてから緋葉は弁当箱代わりのタッパーを抱えて中身を口の中にかき込んでいく。
「んんっ!うまひ!」
「だから、話すか食べるかどっちかにしろってっば。」
「んぐっ、いや、だってやべぇもん、これ。……奏川 教授ってすげぇな。」
色んな意味で。とは口にしてなかったけど、心の声は丸聞こえだ。
数日前に知り合った隣人の家に上がり込んでご飯を作った挙句、こうしてお弁当まで用意しているんだから、他人からしてみると絶対変な人なんだろうな。
僕はお弁当箱に詰めれれていた唐揚げを一口。じゅわっと染み出る肉汁と、醤油の香り。すりおろした生姜が後味を爽やかにしてくれていて、油っこさを感じさせない。いつもよりニンニクがきいている気がするのは、緋葉や緋丹さんの好みを考えてのことだろうか。
昨日晩御飯の後も多家良家に残って台所を使っていたのは、この仕込みの為だったんだろう。
うん、やっぱり父さんの作るご飯はおいしい。
「翡翠、これ毎日食ってたんだろ?羨ましすぎ。」
「交代で僕も作ってるんだってば。……でも、そうだね。」
見返りなんて求めてない。お礼の言葉すら望んでない。ただ純粋に誰かに喜んで欲しい。そういう父さんの背中をずっと見てきて、時に振り回されてきた。そんな父さんの手料理を僕はずっと食べてきた。
だから、寂しいとか辛いとか思う暇、本当に全くなかったんだよな。
「……父さんの料理は世界一だからね。」
思わず漏れた呟きは、隣に座っていた緋葉には聞こえてしまっていたらしい。
ふはっ、と吹き出した緋葉が唐揚げを口に運ぶ。もぐもぐと口を動かして、幸せそうにやべぇ、うまいを繰り返し笑顔を浮かべる姿に、なんだかこちらまで口の端が緩んでしまった。
「……いい人だよな、奏川教授って。」
落とされた言葉は、何故だかとても優しい音をしていて。
僕は謙遜も照れもせず、素直にうん、と頷いていた。
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