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第15話
白いお皿の上に広がる甘辛い煮汁。醤油とみりんによって深いコクを与えられたその褐色の海の上に鎮座するは照りのついたカレイの煮付け。
そこに菜の花のおひたしが春らしさを皿に添えている。
「さて、それじゃいただきましょうか。」
父さんの言葉を合図に僕と緋丹 さんもいただきますと両の手を合わせ箸を取った。
あれから緋葉 と二人で昼食をとったあと約束通り隣町の古本屋に案内してもらったのだけれど、緋葉はアルバイトがあるからとそこで別れて現在に至る。
そう。少し早めのお昼ご飯を食べて、それから真っ直ぐ目的のお店に向かったはずなのだけれど、時間と記憶はいきなり飛んで現在に至る。
……最高だった。まさか、まだあんな古くさ…趣のある本屋が現代に残っていようとは。
ボロボロに崩れ落ちたテント屋根の入口を入れば、陽の光の当たらない薄暗い土間敷の店内。歴史のありすぎる場所でしか感じることのないあのカビ臭さと古い紙の匂い。
埃を被った本棚を店の端から端まで本を手に取りつつ眺めていたら、いつの間にか日が暮れていた。
早めに帰って父さんの手伝いをしようと思っていたのに、情けない。
いや、でもまさか絶版になっているあのノンフィクション小説が、それに今はなき出版社の貴重な本が、あの歴史小説の初版本が。
気がつけば持っていたエコバックに入るだけの本……では足りず、さらには両手で抱えられるだけの本を買い込んで夜に染まり始めていた空の下、大慌てで帰ってきたわけだ。
ご飯食べ終わったら部屋、整理しなきゃ。
絶対どこかに収まる。きっと入る。それぞれ自室の本棚に収まるだけの本しか買わないって奏川 家ルールは何としてでも守らなければならないんだから。
……そんな無理難題は数時間後の自分に任せることにして、とりあえず今はご飯だ。
僕は箸を手に、煮つけをひと切れ口に入れた。
ほろり、と口の中で身が解ける。醤油とみりんのコクのある甘辛い味わいが口に広がり鼻に抜けていく。
昨日、緋丹さんが肉より魚が好きだと言っていたこともあるのだろうけど、カレイの煮付けは父さんの得意料理の一つだ。
なんでも家政婦の仕事をしている温子 おばあちゃんのお勤め先のお坊ちゃんが好きなメニューらしく、一時期ひたすらに練習しては味見させられていたらしい。最後には家族みんなであーでもない、こーでもないと味の研究をしていた思い出の一品らしいから、父さんはもちろん、僕もしっかりそのレシピは受け継いでいる。
はたして、緋丹さんの口には合うのかどうか。
「ん、……うまいな。」
一口口へと運びしみじみ呟いた緋丹さんに、父さんと僕は顔を見合せほっと胸を撫で下ろした。
うまいな、と相変わらずそれしか言わないけれど、気に入ってくれたんだろうなということは何となくわかるようになってしまった。
それと同時に、昨日や今朝と比べてどこか元気がないんだろうなということも。
「……あの、緋丹さん。今日はどうでした?」
恐る恐る尋ねる父さんに、緋丹さんはああ、と言う曖昧な返答を重いため息とともに吐き出した。
朝から会社に顔を出すと言っていた緋丹さん。朝食を食べ終えてすぐ、僕らとほとんど同時に家を出た彼が帰宅してきたのは夕食の時間ギリギリ……いや、若干間に合わなかったくらいだった。そのせいで今もこうしてジャケットを脱いだだけのスーツ姿で僕達と食卓を囲んでいる。
実の弟と会社の覇権を巡っての争い。身を隠す場所が欲しいとここに一時的に住んでいるらしい彼がこれだけの長い時間会社に顔を出していたとなると、何かあったんだろう。
「……いいかげん社員達に隠し通すことが出来なくなって説明会を行ったんだが、やはり研究開発に携わる者達から不満と動揺の声があがってな。」
将来的には研究者の数を半分に。昨日緋丹さんが言ったことをそのまま語ったのだとしたら、説明会の場がどうなったのか、想像に難くない。
おそらく緋丹さんは、現社長として上がった声を全て一人で受け止めてきたんだろう。
「ただ、やはり弟派に賛成の意見もあってな。全ての問題を解決できるとは思っていないが、何をどうするべきか……なかなかに難しい。」
ぽつりと呟いた緋丹さんは、何かを振り切るように再び煮付けに箸を伸ばした。
部屋の空気がずん、と重くなった気がする。
僕はかける言葉が見つからなくて、ただ黙々と煮付けを口に運ぶしか出来なかった。
「あの、緋丹さんが心を痛めている事って具体的にどんなことですか?」
重い空気の中、口を開いたのは父さんだった。
「ん?」
「お話を聞いていると複数ある問題のどこから手をつけていいか悩んでいるのかな、と。……生徒にいつも言ってるんです。そういう時は問題を箇条書きにして整理するといいよって。」
「なるほどな。」
緋丹さんはご丁寧にも箸を置き、形のいいその顎に触れ思考に耽る。
「今回の事はとにかく全てが急すぎた。研究に携わる者達への保証を十分にしてやれない。そのせいで不安にさせてしまっている。社に残りたい者、去りたい者、それぞれ違う意志をどう尊重してやればいいのか。会社と交渉しようにも私はもうその権限すら失われてしまうからな……」
「難しい問題ですね。」
どうすれば皆を守れるのか。うーん、と父さんまで深く考え込みはじめてしまった中で……ふと、僕は気づいてしまった。
というか、多分この場に緋葉がいたら真っ先にこうツッコミを入れていたに違いない。
「……それ、緋丹さんが背負う必要ないんじゃない?」
僕の指摘に、大人たちは二人してえ?と口を開け固まってしまった。
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