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第16話

住む世界の違う人、次元の違う話。だから、僕が口を出せるような事なんてなにも無い。……そう思っていたのだけれど、もしかしたら違うかもしれない。 僕は手にしていた箸を起き、人差し指をビシッと緋丹(ひたん)さんに突きつけた。 「そもそも、社長が交代するのも、会社の方針が急に変わるのも緋丹さんじゃなくて弟さんのせいでしょ。」 「……まぁ、そうだな。」 「だったらすべての責任は現社長じゃなくてこれからトップに立つ人間が負うべきだ。」 そうだよ。なんで地位を追われるこの人が責任を負わないといけないんだ。 うん、なんかわかってきた。 寡黙でクールな人なのかなとか思っていたけど、この人多分似てるんだ。 「言い方は悪いかもしれないけど、放っておけばいいんだよ。それともなに、社長は降ろされても会社には残るつもりなの?」 じ、と緋葉(ひよう)と同じ蒼穹を宿した瞳を睨みつければ、緋丹さんは迷いなく首を振った。 「社に残るつもりも、多家良(たから)の家に残るつもりもない。」 「だったらこの件は緋丹さんには無関係なんだから放っておきなよ。」 「ちょ、ちょっと翡翠(ひすい)。」 慌てて静止をかけてきた父さんには、黙っててと逆に静止をかけてやった。 「そこまでして他人を気にかけたって見返りなんてないんだよ?」 ただでさえ自分のことで忙しい時のはずなのに。メリットなんて何一つないはずなのに。 それでも何とか助けになりたいと動いてしまう。 そう、緋丹さんがしようとしていることは、誰かさんと同じなんだ。 「生活に困るかもしれないからって、家に上がり込んで毎日ご飯でも作るつもり?」 そんなこと、はしない。 暗に伝えれば、緋丹さんは蒼穹の瞳をまん丸に見開いて固まった。 そうしてくつくつと喉を鳴らす。 「くく、そうか、そうだな。……私が行おうとしていることは、そういうことなのか。くく、…」 口元をおさえ、笑い声こそ出さなかったけれど思いっきり肩が震えている。 ちゃんと笑えるんだな、この人。 僕も思わずぷっ、と吹き出してしまっていた。 「え?二人とも?」 父さんだけが意味がわからず笑いをこらえきれない僕と緋丹さんを交互に見つめて首を傾げている。 それがまた面白くて、僕達はしばらく笑いを止めることが出来なかった。 声を殺してひとしきり笑って、それでもまだ横隔膜がひくついている気がする。 「ふ、くく、……そうだな、私は意地になっていただけなのかもしれないな。」 なんとか笑いをおさめた緋丹さんは、笑い疲れたのかふぅ、と深く息を吐き背中を椅子に預けた。 その顔はどこか憑き物が落ちたような、清々しさすら感じられた。 「結局、残される者たちの為ではなく、私自身が一矢報いたかっただけなんだろう。」 「報いる、とは?」 疑問に首を傾げる父さんに緋丹さんは小さく笑った。 「信じていたものに突然裏切られ、周りも手のひらを返し、一族にもどうやら見放されたらしい。……そんな状況を作った相手を、最後に少しだけ困らせてやりたかったんだろうな。」 やられたらやり返す。父さんの中にはありえない思考なのだろうけれど、僕には理解出来た。むしろ、そういう方が共感出来る。 自分自身のことはどうでもいい。緋丹さんのこの言葉も本当だろうし立派な志だとは思うけれど、せめて誰か緋丹さんのしてきたことを評価して、会社を去る緋丹さんに変わって新体制に楯突く人がいたっていいじゃないか。 それが、残る人の助けになるならなおさら。 「……だったら、いっそのこと特許を開発者個人に譲渡してみる、とか。」 なんとなく冗談の延長みたいに口をついて出た言葉に、緋丹さんは片眉をはね上げ動きを止めた。 「今、なんと言った?」 ぎ、と鋭くなる眼光にピリリと室内に緊張が走ったのがわかった。 咄嗟の思いつきだったけど、怒らせてしまっただろうか。 「えっと、その、研究開発に携わった個人に特許権があれば、切れるまでの間その人を安易にクビにできないし、特許を持っているとなれば、他の製薬会社は間違いなくその人を受け入れてくれるんじゃないかな……とか、思ったんだけど。」 普通、開発や審査にどれくらいかかったかにもよるけれど、基本的には新薬には少なく見積っても五年以上は特許というものが存在する。その期間は他社は後発(ジェネリック)を作れず、利益が保証されるわけだ。 そして製薬会社において、その権利は当然の事ながら開発者ではなく会社が持っている。 とまぁ、いち薬学部学生である僕にはその程度の知識はあるわけで。 特許権を個人が持つようなことになれば、当然会社としては大打撃。開発に携わった個人にとっては、社に残るにしろ、出ていくにしろ、武器になる。……なんて、浅知恵もいいところだし、前例なんてない馬鹿げた話なのだけど。 「特許を譲渡……妙案かもしれないな。」 けれど、僕の冗談めいた提案に、緋丹さんは顎に手をやりポツリと呟いた。 いち学生の、軽い提案だったんだけどな。 緋丹さんは僕の動揺など気にもとめず、顎に手を当てたままぶつぶつと考えはじめてしまった。 どうしよう。そういえば今、晩御飯の真っ最中だったんだけど。 「いや、しかしそんなことが法的に可能なのか…」 「だ、だったら、法学部の教授に話してみます!」 食卓にダンッと身を乗り出したのは父さんだった。 「あの、よくわからないけれど、解決策が見つかりそうなんですよね?僕にも協力させて下さい!」 「あ、あぁ。それは、助かるが…」 「任せてください!他にも僕にできることなら協力しますから、なんでも言ってくださいね!」 父さんの勢いに気圧された緋丹さんは目を丸くし頷いた。 「そうと決まればさっそく教授に連絡を、」 「ちょ、ちょっと待って父さん!」 今にも食卓を飛び出していきそうな父さんの腕を掴み慌てて静止させる。 「わかったから、まずはご飯食べてから!」 「へ?……あ。」 僕の指摘に父さんはようやく我に返ったらしい。 食卓にはほとんど手付かずの夕食が三人分、まだ湯気を上げている。 「ご飯中、でしたね。失礼しました。」 しゅん、と肩を落とし着席する父さんに、僕も緋丹さんも、ほとんど同じタイミングで吹き出した。 利益も見返りも何もない。……普通はここまでしないんだけどなぁ。 やっぱり父さんの前だと常識は通用しないらしい。 「ふっくく、食べながら話そうよ。」 「そうだな。くく、」 「あ、あの、それでは改めて……いただきます。」 恥ずかしそうに両手を合わせた父さんに習って、僕も緋丹さんも笑いを堪えながら手を合わせた。
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