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第19話

ほら、と投げ渡されたヘルメットを両手でキャッチしてスッポリと被る。ほんの少しだけ感じた香水の甘い香りは、多分僕の前にこのヘルメットを使用していた人のものなんだろう。 もちろん、本人には問いただしたりはしないけど。 メタリックの真っ赤なバイクに跨った緋葉(ひよう)は、エンジンをかけてから僕に手を伸ばす。 「翡翠(ひすい)、」 差し出された手を握ればそのまま手を引かれ、僕は恐る恐る緋葉の後ろに跨った。 朝食を終えて、父さん達を先に見送ってから、僕達も緋葉の提案通りバイクに乗って都内へと向かうことになった。かかりつけの病院での定期検診が目的だけれど、その前に行きたいところがあるとお願いして、今は都内の図書館へ向かってもらっている。 吹き付ける風は若干冷たいけれど、緋葉が風よけになってくれているし、宣言通り法定速度キッチリの安全運転をしてくれているみたいだった。 それでもやっぱり僕には景色の流れていく速度が速い気がして、ぎゅっと緋葉の背にしがみつく。 「にしてもさー、なんで図書館なんだー?図書館なら近所にもあっただろぉー?」 風のせいで音が聞き取りづらいからか、フルフェイスのヘルメットで声がこもるからか、目の前にいるのに緋葉が声を張り上げる。 「検索かけてみたんだけど、都内の中央図書館しか取り扱いがなかったんだ。」 僕もいつもより気持ち大きな声で答えた。 緋葉が教えてくれた例の古本屋で購入して読み終えた話が最近の中では群を抜いて面白くて、作家の他の話も読んでみたいと思ったのだけれど、処女作が近所の図書館には置いていなかった。 読んだ本自体がそもそも古くて、第一作目となると、調べたけれど五十年近く昔の物らしい。 ……手に入らない、となるとどうしても読みたくなるのが人の性。 正直に話せば、しがみついていたその背中が、ふはっと笑いに震えた。 「翡翠は本当に本好きだよなぁ。そういうとこ、ほんっと昔から変わんないのな。」 「……昔っていつのことなのさ。」 「んー?さーなぁ?」 答える気はないらしい。もっとも、返事なんて最初から期待してないけれど。 「俺もさ、『うろ覚え倶楽部』の人間として誰かさんの依頼の本を探さないといけなかったし、病院も図書館も翡翠の気の済むまで付き合ってやるからな。」 明らかに話題を切り替えられたけど、そこはもう諦めるしかないんだろう。 ありがとうとだけ伝えて、不満はこつん、と背中に頭を軽くぶつけてやった。 と、その瞬間僕たちを乗せたバイクは、今まで走っていた道を左折して住宅街へと入っていく。 今の道を真っ直ぐ行けば目的地には着くはずなのに。何故だかバイクは細い道をジグザグと折れ進んでいく。 「近道?」 「んにゃ、遠回り。」 なんでわざわざ? 浮かんだ疑問を口にするより早く、すぐそこだから、と遮られてしまった。 「毎週末翡翠を探しに都内に行ってる時にたまたま見つけてさ。いつか連れてきてやりてぇなって思ってたんだ。」 僕のすぐ目の前、ヘルメットの中から聞こえてきた声はすごく優しくて。たぶん、いつもみたいにニカッと歯を見せて笑ってるんだろうなって、見なくてもわかった。 いったいどこに連れていかれるんだろう。 大通りを走っていた時よりもさらにスピードを落としたバイクは、緩やかな坂道を降り、商店街を横切って住宅街を抜けていく。 そうして開けた場所に出た瞬間、僕の目の前に広がったのは―― 川沿いに広がる薄桃色。 「うわ、」 思わず声に出してしまっていた。 川沿いに植えられた桜の木が見渡す先まで続いている。 もう葉桜ではあったけれど、風に揺られて舞い散る花びらがまるで粉雪のように僕達に降り注いでくる。 「……綺麗。」 「だろ?絶対気にいると思った。」 桜並木の下を緋葉はゆっくりとバイクを走らせてくれた。 この景色を目に焼き付けたくて、ヘルメットのシールドを上げれば、ふわりと舞い落ちた花びらが優しい春風と共にヘルメットの中に入り込んできた。 手を伸ばしたら、掴めるかな。 「この辺、道があんまり綺麗じゃねぇんだ。揺れるかもだからしっかり捕まっとけよ?」 僕の考えを見越したように言われてしまって、僕は再びしっかりと緋葉の背にしがみつく。 ふわり、風に舞い上げられた花びらが、はらりはらりと落ちてくる。 本当に雪の中にいるみたいだ。 薄桃色の雪の中、ぎゅっとしがみついて、全身で感じる温もり。 あれ、この感じ、 いつか、どこかで…… ――いいか、おれにしっかりつかまってろよ! ――う、うん! 前にもこんな光景を見た事ある気がする。 ちょっとだけ怖くて、でも、ぎゅって背中に抱きついたら、そんな気持ちはどこかにいってしまって。ただ降り注ぐ雪とすごい速さで流れていく景色が綺麗で、嬉しかった。 「緋葉……、」 そうだ、僕は知ってる。 この温もりを知ってる。 でもいったいいつ、どこで、 グルグルと渦巻く暗闇の先、もう少しで景色が見えそうな気がする。 あと少し、もう少しで、思い出せそうな…… ゾクリ 突然背筋を這い上がった物に、僕の身体はビクリと震えた。 「っ、」 「翡翠?」 真っ黒な霧が少しずつ薄らいで消えていく、その瞬間身体を走ったのは言いようのない恐怖。 なに、これ。 「翡翠?おい、どうした?」 カタカタと震える手、カチカチと奥歯が音を立てる。 「おい、翡翠?翡翠!」 叫ぶ緋葉の声がとてもとても遠くに感じられて、そう思ったら何故だか怖くてたまらなくて。 見えそうだった景色も、身体を這う恐怖も、僕はぎゅっと瞳を閉じて全てを暗闇の中に閉じ込めた。 確かにそこにあるはずの温もりに、必死にしがみつきながら。

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