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第20話

翡翠(ひすい)!」 思いっきり肩を揺さぶられて我に返る。 気がつけば川沿いを緩やかに走っていたはずのバイクは路肩に停められ、ヘルメットを外しバイクを飛び降りた緋葉(ひよう)が心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。 その手が僕の背中に回され、さすってくれている。 「発作か!?薬持ってるか!?」 「え、あ……」 その鬼気迫る声と表情に思わず言葉を飲み込んでしまった。 大丈夫だと、上手く出てこなかった言葉の代わりに、僕は首を横に振る。 「あの、……違うから。」 「でも、顔色すげぇ悪いって。」 「あー、えっと、昨日夜更かししたから、かも。」 なんとかそれだけ伝えれば、緋葉の肩からふ、と力が抜けていく。 原因なんて自分でもわからない。説明なんてできるわけもない。だからとにかく大丈夫だとだけ伝えれば、よかった、と緋葉はそのままその場にへたりこんだ。 「んだよ、びっくりした。でもやっぱ顔色悪ぃから、病院先に行くか?」 「平気だってば。でもそうだな……ちょっとどこかで座って休みたいか…」 「よし、そういう事なら任しとけ!」 言うが早いか勢いよく立ち上がった緋葉は、ヘルメットを被りなおして再びバイクに跨る。 「中央図書館だったよな。ここからならもうすぐだから、それまでもうちょっと我慢な?」 「え?う、うん……っ!?」 こちらの返答を聞く前に、ブォン、と勢いよく走り出したバイク。振り落とされそうになって、僕は慌てて緋葉の背中にしがみついた。 「ちょ、ちょっと、」 「すぐ着くからな!」 そんなに急がなくても!という僕の言葉は風に流されかき消されてしまった。 大通りに出たバイクは車の間をすり抜け、あっという間に目的地の中央図書館へ。駐車場にバイクを停めた緋葉はバイクから降りるなりヘルメットを脱ぎ、僕のヘルメットも脱がせてから、なんとそのまま僕を担ぎ上げた。 「ちょ、な、何してるの!?」 「いいから、いいから、まだ青白い顔してんぞ。」 「ちょっと、下ろしてよ!」 バタバタと暴れてみても緋葉は動じない。僕を肩に担いだまま、図書館に隣接されている公園へと入っていく。 平日とはいえ利用している人はゼロじゃない。小さい子連れの親子や、休憩時間なのかスーツ姿の人もいる。そんな人達の視線を緋葉は物ともせずに、抵抗する僕を公園の隅のベンチまで運びようやくそこで下ろしてくれた。 「ほら、しばらく休んでろ。」 「ちょ、」 僕の隣に座った緋葉は、僕の頭を抱き寄せ自らの膝の上に乗せる。 慌てて起き上がろうとしたのだけれど、恥ずかしさに身を起こす前に、緋葉はご丁寧に着ていたライダースジャケットをブランケット代わりにかけてくれた。 ぽんぽん、とジャケットの上から寝かしつけるように胸を軽く叩かれて、起き上がるタイミングは完全に失われる。 「本は逃げねぇから、な?」 「うう、」 もう、何を言っても無駄なんだろう。 僕は仕方なく緋葉の膝の上に頭を預けることにした。 硬い膝枕。寝心地は良いとは言えない。 それでもまぁ、不思議と嫌な気持ちはしなかった。 「……言っとくけど、本当の病人をこんな運び方したら大事になるからね。」 「あはは。あせっちまって、つい、な。」 つい、であんな運び方をしないでほしい。 ペロリと舌を出して謝ったところで全く悪びれていないのが丸わかりじゃないか。 そう思いながらも、ゆっくりと僕の頭を撫でてくれる優しい手に悪い気はしなくて、僕は黙って緋葉の膝の上で軽く目を閉じた。 ふわりと頬を撫ぜるそよ風が気持ちいい。 気がつけば、先程感じた背筋を凍りつかせるようなあの黒いモヤのかかった恐怖はもうどこにもなかった。 今はただ、じんわり感じる温もりと、僕の髪を撫ぜる手が心地いい。 「……さっきの桜、綺麗だったね。」 「だろ?他にもさ、翡翠に見せたい景色や物が沢山あんだよ。いつか探し出したら絶対案内するんだ……ってものがいつの間にか増えすぎてさ。」 目を閉じたまま、カラカラと笑う声を聞いていた。 多家良緋葉(たからひよう)という人間にとって、僕という人間はいったいどういう存在なんだろう。 執着、されているのはわかる。でも、その理由はさっぱりわからないままだ。 「ねぇ、緋葉。」 「ん?」 「……なんで、僕なの?」 ずっと聞きたかった。 どうして僕なのか。いつ、どうやって出会ったのかは教えてもらえないらしいけど、僕にこだわる理由はなんなんだろう。 「なんでって……そりゃ……」 ふと撫でる手が止まる。 そのまましばらく沈黙が続いて、僕はゆっくりと目を開けた。 見上げた先にあったのは、困り顔を浮かべながらも優しく細められる蒼穹。太陽の光に照らされてキラキラと輝く蜂蜜色の髪は、綺麗だと思った。 「……ほら、あれだ。翡翠だからだよ。」 やっぱり、何も言ってはくれないか。 思わずため息が漏れた。 何も言ってはくれない隣人を、けれど僕は疎ましく思えない。 いや、それどころか―― 「お、だいぶ血色良くなってきたな。」 「……そうかもね。」 なんでだろ。ガサツだし、空気読めないし、趣味も性格も全然違うみたいなのに、緋葉といると楽しいって僕の身体は知ってるらしい。心臓がトクトクと心地いいリズムを刻み始めるんだ。 「大丈夫そうなら図書館入るか?それともそろそろいい時間だし…」 緋葉の言葉を遮るように耳元で聞こえたぐぅ、という大きな音。 主張の大きすぎるその音を立てた本人をじ、と見上げれば、緋葉はペロリと舌を出して笑った。 「あー、先に昼メシにしねぇ?」 「ふふっ。お弁当にサンドイッチ作ってきてるよ。カツサンド。」 「お、マジか!」 やりぃ!と言う声に被って再び聞こえたぐぅ、という盛大な腹の虫。 そのあまりのタイミングの良さに、僕と緋葉は顔を見合せ声を上げて笑った。

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