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第22話

赤ずきんがおばあさんと狩人と共に「うんとこしょ、どっこいしょ」と腹にヤギを詰めた狼をベッドに運ぶ話を聞きながら、僕は名前を呼ばれて会計へ。 受付の女性にうるさくしてすみませんと頭を下げたのだけれど、子供達と遊んでくれてありがとうと逆にお礼を言われてしまった。 どうやら緋葉(ひよう)は僕を待っている三時間近い時間のほとんどをああやって子供達と過ごしていたらしい。受診に来た外来の子供達だけではなく、このめぐみ病院では入院施設もある為パジャマ姿の子の姿もちらほら。受付の女性いわく、面白いやつがいる、と子供達の間で話が伝わり、気がつけば皆病室を出て集まってきてしまったのだとか。 「また来てねってお友達に伝えて。きっとみんな喜ぶわ。」 病院らしからぬ歓迎の言葉にはありがとうございますと返した。 こういうのは天性のものなんだろうな。ここでも、大学でも、緋葉の周りには常に人が集まっている。 申し訳ないなと思いつつも、重い腹を抱えた狼がどんぶらこと川に流され赤ずきんらしき話が終了したタイミングで、僕は子供達から拍手と笑いを受けていた緋葉に声をかけた。 「緋葉。」 「お。おかえりー、どうだった?」 「今年も異常なしだって。」 「お!そりゃよかった。」 絵本をパタンと閉じる緋葉に、子供達の視線は今度は僕へと集まる。 「ひよう兄ちゃんのおともだちー?」 「おにいちゃんも絵本よんでくれるの?」 わらわらと集まってきた子供達にあっという間に囲まれ、僕は圧倒されてしまった。 「え、えっと……」 思わずたじろいでしまった僕の横で、緋葉はケラケラと笑う。 「ほらほら、お兄ちゃん検査で疲れてんだから。今日はもうおしまいなー。」 えー、と湧き上がるブーイングに緋葉はぱんぱん、と手を叩き子供達におしまい、と断言してしまった。 「またあしたもきてくれる?」 「んにゃ、次はまた来年な。」 「えぇー。」 いつの間にか来年またついてくる予定になっているけど、そこは子供達の手前突っ込まないことにした。 別れを嫌がる子供達に、けれど明日もなんて嘘も適当な返答もせず、誠実に断り謝る緋葉。騒ぐ子ども達をなだめてから、ようやく帰ろうぜと腰を上げた。 「わりぃ、俺の方が待たせちまったな。」 「いや、いいよ。」 緋葉はお騒がせしましたーと待合室と受付にいた人達に頭を下げ、名残惜しく玄関までついてくる子供達に手を振りながら僕に並んで病院を後にする。 空はすっかり茜色へと色を変え、夜の空気が混ざり始めていた。 「大人気だったね。」 「んー、まぁ昔からよく子供相手してたし。とくに絵本は練習したからなぁ。」 その結果があのコメディ赤ずきんなら、緋葉に読み聞かせの才能はないんだろうな。とはもちろん口には出さなかった。 かなりの時間待たせていたはずなのに、バイクを停めている駐輪場へ向かう緋葉は鼻歌交じりでごきげんだ。 「なんなら家帰って読んでやろうか?昔みたいに。」 「え。」 思わず足を止めてしまったけれど、緋葉は気づかず歩みを進める。 昔? 読んでもらっていた?僕が……? 記憶を辿ろうとしても、幼い僕の記憶の先は真っ黒な霧の中。 「緋葉……、」 思い出したい。 でも、怖い。 「ん、翡翠(ひすい)?」 気がつけば僕は、緋葉のジャケットの裾を掴んでしまっていた。 「どうした?」 振り返り首を傾げる緋葉に、言葉につまる。 「あ、いや……、」 慌てて掴んでいた手を離して、何でもないと手を振った。 そうしてふと気づく。 「あ。……本、」 図書館で借りた本を入れていたエコバッグ、そういえば持っていない事に今更気づいた。 「忘れ物か?」 「あ、うん。取ってくるから待ってて。」 診察室を出るまでは手にしていた記憶があるから、おそらくは会計待ちの時に待合室に置きっぱなしにしてしまったんだろう。 借り物を紛失なんて事になったら大変だ。僕は慌てて踵を返したのだけれど、 「おーい、翡翠君!」 踏み出した足は聞こえてきた声に、わずか数歩で止まってしまった。 僕の名前を呼びながら白衣姿の先生がこちらに駆けてくる。 「牧之瀬(まきのせ)先生、」 よほど急いできてくれたのだろう。先生はぜぇぜぇと息を吐きながら手にしていた袋を僕の前に差し出した。 「よかった、間に合った。っ、これ、翡翠君のだろう?」 受け取ったそれは間違いなく僕のエコバッグ。どうやら中の本も無事みたいだ。 「ありがとうございます。」 「いや、ちょうど診察を終えて通りがかったら受付の子から忘れ物だって聞い…」 膝に手を当て肩を上下させていた牧之瀬先生が、顔を上げた瞬間ピタリと動きを止めた。 「牧之瀬先生?」 眼鏡の奥、先生の瞳が驚愕に見開かれる。 その視線は僕の背後へと注がれていた。 「……なんで、」 声は、僕のすぐ後ろで聞こえた。 振り返るより早く、駆け寄ってきた緋葉は僕を通り越し、あろう事か牧之瀬先生の胸ぐらを掴みあげる。 「ちょ!?ひよ…」 「なんで、なんでてめぇがここにいる!」 地を這うような、唸り声に近い緋葉の怒声。 思わず恐怖に身震いした。 なに? 何が起こってるの? 理解が追いつかない。 混乱する僕をの前で、緋葉はぐっと握った拳を思いっきり振り上げた。

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