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第24話 隣人さんの秘密とは
結局、昨日緋葉 と言い合いになってから今朝まで、顔を合わせることが出来なかった。
喧嘩……ではないと思う。だって、こうなった理由も教えてもらえなければ、僕らは友人ですらない。ただの隣人。
そのはず、なのに。
昨日から僕はずっと感じたことのない胸の痛みを抱えてる。
「緋丹 さん、おはようございます。」
「ああ、……おはよう。」
朝、いつものように朝食の食材を抱えて隣の102号室へ。
インターフォンを鳴らせば、すぐにワイシャツにスラックス姿の緋丹さんが出迎えてくれた。ネクタイは締められていないし、蜂蜜色の髪は寝起きのまま跳ねていてけれど、おそらく今日はリモートではなく会社に赴くのだろう。
緋丹さんは 玄関を開け僕らの姿を確認するなり、その蒼穹の瞳を申し訳なさそうに歪めた。その視線が、真っ直ぐ僕へと向けられる。
「すまない、その……緋葉は用事があるとかで早々に出かけてしまって、だな。」
「あ……そう、ですか。」
緋丹さんの視線が気まずそうに逸らされたところを見ると、用事というのは方便なのだろう。
避けられたんだ。
突きつけられた事実に落胆する自分がいて、思わず苦笑してしまった。
何も知らない父さんだけがニコニコ笑みを浮かべている。
「じゃあ今日は三人なんですね。そっか、もっと早く来て朝ごはんとお弁当作ればよかったですね。」
「あ、いや、それなんだが……」
張り切る父さんに静止をかける緋丹さん。何事かと僕達親子が首を傾げる中、立ち話もなんだからと促され、僕と父さんはお邪魔しますと一声かけてから多家良家に上がり込む。
緋丹さんの言葉の意味は、ダイニングテーブルの上に置かれていた。
「皆で食べてほしいと、朝食は緋葉が残していった。」
テーブルに乗った大きな二つの平皿。その上には歪な形に丸められた大きさも様々なおにぎり達。
梅干しに、鮭のそぼろ。うまく包めずに中の具材が飛び出してきてしまっているものもある。不格好で不揃いなそれは、緋葉が早朝から一つ一つ握ったに違いなかった。
「これ、」
「うわぁ、緋葉君が作ってくれたんですか。」
「ああ。……少し、私も手伝いはしたのだが、中々に難しいものだな。」
なるほど、よく見れば三角なのか丸なのか微妙な形ではあるが握られているおにぎり達に混ざって、そもそも形すら成していない潰れたご飯の塊がいくつかあった。ご飯の量と握る力が弱すぎて時間と共に形が崩れてしまったのだろう。
それでも、きっと二人で試行錯誤しながら作ってくれたんだ。
「……最高の朝ごはんだね。」
父さんの言葉に、僕は素直に頷いた。
どんなメニューであれ、出来栄えであれ、これは緋葉が僕達に向けてくれた気持ちのかたまりだ。
重く沈み込んでいた心臓に、ほのかに明かりが灯った気がした。
「それじゃあ、いただきましょうか。」
それぞれ席について、父さんの声にいただきますと三人で手を合わせる。
俵型でもなく三角でもない歪んだ丸いおにぎりは少し塩気が足りなかったけど、
それでも、
「おいしいね、翡翠 。」
「……うん。」
料理なんてほとんどした事ないって言ってたくせに。
僕のこと、避けてるくせに。
それなのにこんなに優しい気持ちを残していくなんて、どうしていいのかわからない。
「ふふ、緋丹さんの作ってくれたおにぎりもおいしいです。ありがとうございます。」
「いや、いつも作ってもらっているのはこちらの方だからな。……ただ、そうだな、それは息子に言ってやってほしい。喜ぶだろう。」
「そう、……ですね。」
チラリと僕に向けられた蒼穹は、緋葉と本当によく似ていて。僕は思わず視線を逸らせてしまった。
大事に思ってもらっている。それはわかってる。だからこそ、隠し事をされていることが辛い。
だからこそ、この優しさが苦しい。
塩気の足りないおにぎりは、ギュッと僕の胸を締め付ける。
「今日はみんなで夕飯食べられるといいですね。」
「……そうだな。」
何も知らない父さんがニコニコとおにぎりを手にするその向かいで、緋丹さんは眉間を曇らせ複雑な顔で笑っていたことに、この時の僕は気づいていなかった。
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