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第25話
胸の痛みはおさまらないまま、けれど今日は当番の日だったから大学の研究室へ。
いつものように培養が進んでいるのか培地の確認に記録。湿度と温度を微調整してから、ついでに薬用植物達の水やりも。
黙々と作業していつも通りに全て終わらせた頃には太陽はかなり高い位置にきていたので、そのまま研究室奥の談話室で父さんが持たせてくれたお弁当を食べた。
いつも通り、誰もいない部屋で一人で。
一人の時間は落ちつく……はずなのに。僕はいつもみたいに昼食後読みかけだった本を開く気になれなかった。
落ちつかない。ずっと鼓動がソワソワしている。
吐き出したため息は、一人きりの談話室に妙に大きく響いて聞こえた。
――……翡翠 には関係ねぇよ
――言えねぇんだよ!
気づけば思い起こしている昨日の事。
思い出しては息苦しさが増していく。
話をしなきゃ。でも、何を。
わからないけど、このままじゃ駄目なんだってことだけはわかってる。
だってもう、多家良緋葉 は僕にとってただの隣人じゃないから。
「……クレームブリュレ、」
誰もいない談話室であえて理由を口にして、広げていた荷物をトートバッグにしまい込んだ。
一日限定四十個。そうだ、ただまた食べたくなっただけだ。だから僕は食堂に行かなきゃ行けないんだ。
――サークルの集まりがと言っていたから、もしかすると大学に行ったのかもしれないな。
今朝の緋丹 さんの言葉なんて、全然関係ないから。ただ、クレームブリュレを食べたくなっただけだって、もしたまたま緋葉に会ったとしてもそう言えばいいんだ。
別に探してたわけじゃないって。
必死に自分に言い聞かせて、僕の足は気がつけば早足で中央棟の食堂へ向かっていた。
大学一の広さを誇る食堂「キャンパスキッチン」。緋葉の通う経済学部がある東棟にも食堂があるにもかかわらず中央棟のあの食堂で顔を合わせたってことは、たぶん普段から利用しているいわゆる溜まり場というやつなんだと思う。
だから、今日ももしかしたら。
ゴクリと息を飲んで、食堂の入口から様子を伺おうとそっと覗き込む。
春休み中だから、人はそんなに多くない。軽く見まわして居ないようなら諦めて……
「見つけた!!いいところに!」
帰ろうかと思った瞬間、背後から思いっきり腕を掴まれた。
いきなりのことに驚いて振り返れば、そこにいたのは、
「げ、」
「やあ!よかった!ちょうど君に連絡を取りたいと思っていたところなんだ!」
この暑苦しさ。一度しか会ったことは無いけど、忘れたくても忘れられない。
「えっと……会長さ、」
「さあさあ!いこうじゃないか!」
「へ?え、ちょ、」
しまった。緋葉がいるかもしれないということは、この人達もいる可能性があるんだってすっかり失念していた。っていうか手、ビクともしないんですけど!?
僕はわけもわからないまま「うろ覚え倶楽部」の会長その人に拉致され中央棟の奥へと引きずり込まれてしまった。
「さあ!読んでみてくれたまえ!」
食堂のある中央棟の奥。渡り廊下で繋がれたサークル棟には名前通り各サークルの活動場所として狭いながらも部屋が割り当てられている。……らしいのは知っていたけれど、実際来たのは初めてだ。
多分六畳ほどの狭い部屋に長机四脚が向かい合わせに置かれ、パイプ椅子が並べられている。窓のない部屋の壁一面に貼られているポスターはアイドルらしき可愛らしい衣装の女の人だったりアニメだったり、てんでバラバラで雑然としていた。
説明もなく連れてこられて椅子に座らされたけど、おそらくここは「うろ覚え倶楽部」の活動部屋なんだろう。会長である黒氏 さんに連行されて来たのだけれど、僕達が来た時には既に前回食堂で会ったあの面々が勢ぞろいしていた。……たった一人を除いて。
「前回連絡先を聞きそびれていたからな!多家良君がいないからどうやって君とコンタクトをとるか悩んでいたのだが、いや、本当にいいタイミングだった!」
「えっと……」
「さあ!確認したまえ!さあ!!」
ずいっと長机の向かいから暑苦しい顔が近づいてきて、僕は思わず仰け反った。
まあまあと隣の白附 さんが抑えてくれたけど、彼の瞳も期待に満ちて輝いている。
えっと、これはつまりあれか。
暑苦しい顔から長机に並べられた数冊の絵本に視線を落として、僕はようやく現状を理解した。
絵本を探している。たしかにあの時、僕はこの人達にそう伝えたんだ。
「ライオンとヒヨコが出てくる本を図書館や書店で探してみたんだけど……どうかなぁ?」
隣で紅一点の青柳 さんにそう言われて、僕は目の前の一冊を手に取って開いてみた。
電車、らしきものが各駅に止まって動物を乗せていく話みたいだけど……違う。
こっちは迷子のヒヨコをジャングルの動物達が助ける話。こっちはライオンがヒヨコを食べ……弱肉強食を説く絵本って、これ需要あるんだろうか。
机に並べられた本を、周りから期待を込めた眼差しを向けられながらとりあえず一通り目を通してみたけど、これ、という本は見つからなかった。
最後の一冊をパタンと閉じ、静かに首を横に振れば、うろ覚え倶楽部の面々は揃って肩を落とす。
「……すみません。」
「いやぁ君が謝ることじゃないでしょ。まだ捜索は始まったばっかだしね。」
浅黄屋 さんに気にするなと肩を叩かれたけど、やっぱりなんだか申し訳ない。
「悔しいけど、多家良の言う通りだったじゃん。」
「え?」
紫都 さんの口から突然出てきた名前に、僕は思わず反応してしまっていた。
「いやぁ、朝みんなで本を持ち寄った時には多家良もいたんだけどさー、たぶんここにはないって言いやがって。」
「そうそう、それでやっぱり心当たり探してくるって出てっちゃったのよね。」
「緋葉が、」
緋葉も本探してくれてたんだ。
そういえば、昨日あんなことになる前には図書館で熱心に児童書を読み漁っていた気がする。
それなのに今ここにいないのは、やっぱり避けられてるのか。それとも本当に絵本を探しに行ってくれたのか。
……どっちなんだろ。緋葉の考えている事が、僕には全然わからない。
俯く僕の向かいから、再びずいっと暑苦しい顔が身を乗り出してきた。
「どうだろう、この本達を読んで、何か思い出した事等はないだろうか!なんでもいいぞ!」
いきなりそんなことを言われても。
「え、っと…」
言い淀む僕に、黒氏さんはダンッと机を叩きさらに距離を縮めてくる。その瞳に燃えたぎる炎を見たのは気のせいだろうか。
「絵柄は!ストーリーは!他の登場人物は!なんでもいいんだ!!」
「ひ、」
ううっ、やっぱりこの人苦手だ。
周りは止めるどころか会長頑張れー、と檄を飛ばす始末。
迫りくる会長さんは、ついには僕の手を取りぎゅっと握りしめた。
「君の一冊は必ず我々で見つけてみせるからな!安心したまえ、牧之瀬 君!!」
「…………え、」
じっと僕を見つめ、叫ぶように口にされた言葉。そこに出てきた名は、僕ではない、けれど僕のよく知る名前だった。
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