32 / 56
第27話 隣人さんの正体は
『 っ、どうして緋葉 君が!』
『温人 、落ち着け、』
『だって、お二人は親子なのに、アルバムが、これって、』
「父さん?」
何の話をしているんだろう。
わからなかったけれど、扉の向こうでは父さんが緋丹さんに詰め寄っているらしかった。
あの父さんが、あんなに取り乱して。
なんにせよ止めなきゃ。
僕は靴をそろえることも忘れてあわてて上がりこんでリビングへの扉を開いた。
「緋葉君が、翡翠 と同じ孤児院にいたなんて!」
扉を開けた瞬間飛び込んできた言葉。
その瞬間何を言ったのか理解出来ずにその場に立ち尽くし、真っ白になった頭。そこに、一瞬遅れて一言が衝撃とともに落ちてきた。
「……孤児院、って、」
呟きは目の前の人達に届いたらしい。
口論になっていた二人はようやく自分達以外の存在に気づいたのか、二人同時にはっと肩を揺らした。
「っ、翡翠!」
口元を押さえた父さんの顔がみるみる血の気を失っていく。
「あ、……ひす、い、あの、」
カタカタと震える父さんが縋るように手を伸ばす。けれど、僕は逃げるように半歩後ずさった。
バラバラだった謎が、ひとつに繋がっていくのがわかる。
これ以上ここにいたら、考えてしまったら、僕は多分答えに行きついてしまう。
いやだ。聞きたくない。
「っ、」
伸ばされた手を掴むことなく、僕は踵を返して玄関に走った。
刹那、ドアノブを掴む前にドアが開き、入ってきた存在に思いっきりドンッ、と思いっきりぶつかる。
「ただい…うおっ、翡翠!?」
驚く緋葉を押しのけて、僕は外に飛び出していた。
『なに、どした?』
『っ、知られた!』
『は?』
『いいから追え!!』
背後で多家良 親子の声と泣き叫ぶように僕の名を呼ぶ父さんの声が聞こえていたけれど、僕はその全てを振り払ってその場から逃げ出した。
いやだ。
何も聞きたくない。
そんな事、僕は、
全力で来た道を戻り駅に向かって走った。
とにかく現実から遠くに逃げ出したくて必死で足を動かすけれど、呼吸はどんどん苦しくなっていく。
ド、ド、ド、ドとありえない速さで拍動を繰り返す心臓は、僕の身体がもう、限界近いことを教えてくれていた。
足を踏み出すたびに、心臓を絞られるような痛みが全身を走る。
「ぐ…ぅっ、」
ついには痛みに耐えきれず、思わず胸を押さえて立ち止まった。
「は、……っ」
苦しい。
息が、
「っあ、……はっ、は、ぁ、」
駅へと向かう細い路地、僕はその場に崩れ落ちるように膝を折った。
視界が、白く染っていく。
「翡翠!!」
何も見えない白い視界の中、遠く背後から聞こえた声が僕の鼓膜をゆさぶった。
何度も僕の名前を呼ぶその声は、背後からあっという間に耳元へ。
身体が地べたへと倒れ込む前に、大きな手が僕の身体を支えてくれた。
「翡翠!しっかりしろ、翡翠っ!!」
喚き叫ぶ緋葉に、上手く言葉が出てこない。
けれど緋葉に支えてもらって、酸素を取り込もうと荒い息を繰り返していた身体がほんの少しだけ楽になった気がした。
「翡翠、っ待ってろ、今救急車、」
「っ、だい、じょうぶ…」
何とかその言葉だけ絞り出して、心配しないでと言葉の代わりに、僕は心配そうに僕を覗き込むその頬に手を伸ばす。
いつもの発作じゃない。すぐにおさまる。
今この状況で救急車を呼ぶようなことになれば、父さんに心配をかけてしまうから。それだけは避けないと。
「……っ、さしぶりに走って、身体、ビックリしただけ、だから。」
胸を絞られるような痛みは少しずつおさまってきている。このまま大人しくしていれば大丈夫。
言葉の代わりに小さく笑えば、緋葉は眉間に皺を寄せたままではあったけど、ほっと息を吐き出した。
「わかった、じゃあ捕まってろ。」
言うが早いか緋葉は僕の背中を支えていた手を僕の背中と膝裏に回して、ゆっくりと横抱きに抱き上げた。そうしてそのまま駅の横にある小さな公園の中へと入っていく。
ベンチに僕を横たえた緋葉は、以前と同じように枕にと膝を貸してくれた。
ポンポン、と僕の胸をかるく叩く手が小さく震えている気がしたのは、僕を追いかけて全力で走ってきたからか、それとも心配からなのか。
「……本当に大丈夫なんだな?」
「うん。……少しだけ、このままでいさせて。」
ゆっくりと深呼吸を繰り返して、痛みの波をやりすごす。緋葉の大きな手がそっと僕の髪を撫ぜてくれた。
痛みも、視界も、思考も、段々とクリアになっていく。
夢なら覚めてほしいのに、頬をつねる必要もないくらい苦しいんだ。これは、紛れもない現実だ。
認めて、受け入れるしかないんだ。
この手に、温もりに、どこか懐かしさを感じてしまう理由は……答えは。
「……僕と緋葉は、孤児院にいたんだね?」
ピクリと、僕の頭を撫ぜる手が止まった。
落とされた沈黙が辛くて顔を見上げれば、緋葉は泣きそうな顔で笑って、ゆっくりと頷いた。
ともだちにシェアしよう!

