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第32話
ひとしきり泣いて泣いて。ようやく父さんが落ち着いた時には、案の定その瞳は見事に泣き腫らして酷い状態だった。
それでもそこは奏川温人 。これ以上迷惑はかけられないとヒクヒクと泣くのを我慢しながら「そろそろ夕飯の支度を…」などと言い始めた時にはあわてて全員で止めに入った。
夕食の心配などしている場合ではないだろう。今日は大丈夫っすから。そう多家良 親子に諭され、手を引かれ、背中を押され、強制的に玄関へ。
けれど、どうしてもこのままお暇するには頭の片隅にひっかかっている疑問が大きすぎて、僕は玄関で足を止めてしまっていた。
「あの、緋葉 ……、」
玄関ノブに手をかける前に思い切って振り返れば、多家良親子の蒼穹の瞳が僕に向けられる。
「あの、さ。その、緋葉と緋丹 さんって…」
僕の言いたいことを察したのか、父さんも疑問の視線を緋葉と緋丹さんへ。
二人は、顔を見合せ苦笑した。
「そうだな、君の言わんとするところはわかるが、今日は…」
「俺たちはべつに逃げねぇし。今日はさ、お父さんについててやれよ。」
もう隠し事はしない。疑問には全て答える。そう言われて、僕は閉口した。
確かに二人の言う通りだ。今日は、父さんとの時間を作ることの方が大切だと思う。
色んなことが一気に起こりすぎて、正直今日はいっぱいいっぱいだったから。
「父さん、帰ろうか。」
「うん、そうだね。……それでは、緋丹さん、緋葉君。えっと、その、色々とありがとうございました。」
深々と頭を下げる父さんに倣って僕も二人に軽く頭を下げてから、僕達は隣人宅を後にした。
「翡翠 、……今日は一緒に寝ようか。」
夕飯後、二人で食器を片付けながら父さんにそう言われた時、僕は笑って頷いた。
家に戻ってきて食卓を囲む位では、僕達には全くと言っていいほど時間が足りていなかったから。
……いや、多分ほとんどの時間、引き取った僕がいかに可愛かったかと言う父さんの親バカっぷり丸出しの会話しかしなかったと言うべきか。
毎日絵本を読んでくれとせがんでいた僕。プリンを作ったら大喜びで、初めておかわりまでしてくれた僕、文字を教えたらあっという間に覚えて、逆に絵本を読んでくれた僕。初めてお父さんと呼んでくれた時の舌っ足らずな僕、父の日に初めて書いてくれたお手紙は今でも大切に持っているとか……うん、もうお腹いっぱいだ。
幼稚園編、小学生編くらいで流石に気恥ずかしすぎてもういいからとストップをかけ、お風呂に逃げ込んでしまったせいで、結局話らしい話はできなかった。
そんなわけで、一緒に寝るのは大賛成だ。
引っ越してきた初日のように、僕の部屋に父さんの布団を運び込んで僕のベッドの隣に並べて敷く。
父さんの部屋は……まぁ、二組の布団を敷ける状態じゃなかったので。いつの間にか増えて本棚に収まらなくなっていたダンボールの中の本については、また後日話し合う必要がありそうだ。
それぞれ布団に入って、おやすみと明かりを消して。それでも、目を閉じて眠ろうとはしなかった。
それは父さんも同じのようで、ゴソゴソとこちらに寝返りをうつ衣擦れの音が聞こえる。
「……翡翠、僕が本当の父親じゃないって隠してたこと怒ってる?」
暗闇の中、か細く聞こえてきた声に僕は怒るどころかふ、と笑ってしまった。
「怒ってないよ。というか、怒れないよ。……僕が言うのもなんだけどさ、親バカすぎ。」
呆れのため息とともに正直に告げれば、あははと乾いた笑いが聞こえてくる。
「だって、親にとっては我が子は世界一可愛いからね。」
多分父さんは、僕を牧之瀬 先生の所に返すとか、施設に戻すとか、欠片も考えなかったんだろうな。
発作を起こしたり、貧血を起こして病院のお世話になったことは一度や二度じゃない。けれど、父さんにとってそんな事は些細なことで、それよりも息子の可愛さが遥かに上回っているらしい。
今まで隠し事をしていた分、ぼろを出さないようにと語るのをセーブしていたようで、箍の外れた父さんはとにかくひたすらに恥ずかしすぎて叫びたくなるくらい溺愛昔話を語りに語ってくれている。
もう少し真面目な話を、とも思ったのだけれど、父さんにとっては今さら改めて話すことなんてないのだろう。血の繋がりなど全くもって一切関係なく、僕は父さんにとって溺愛する息子であるという事実は揺らがないのだ。
むしろ、心配が強いのは僕ではなくきっと父さんの方。
「……心配しなくても、牧之瀬先生の所に行きたいとか、施設に帰りたいとか思ってないからね。」
ピクリと、布団の中で父さんの身体が跳ねたのがわかった。
先程からひたすらに喋りっぱなしだったのは、語りたかったこともあるのだろうけれど、多分僕の口から決定的な言葉を聞きたくなかったから。
それがわかっていたから、僕はハッキリと心配いらないと口にした。照れくさいから、暗闇の中で。
「僕は、これからも奏川翡翠だよ。」
「うん。うん……ありがとう。」
ふぅ、と長く吐き出された吐息は、もしかするとまた泣き出そうとするのを耐えているのかもしれなかった。
「……僕ばっかり、申しわけないな。冬馬 も……緋葉君も、ずっと翡翠を家族として思ってくれていたのに。」
不意に、脳裏に浮かぶ蜂蜜色。
そうだ、父さんとのことでいっぱいいっぱいになっていたけど、緋葉と僕は同じ孤児院にいたって。
「冬馬もそうだけど、緋葉君にとって、翡翠はきっと生き別れた大切な家族だったはずなのに。僕のせいで辛い思いさせちゃってたんだよね。……明日、もう一度きちんと謝らなきゃ。」
「……そう、だね。」
なんだろ、ツキリと胸に痛みを感じた。
ずっと探してた。そう言ってあの日僕を抱きしめた理由。ずっと僕という存在にこだわっていた理由。やっとわかって、胸のつかえが取れたって……思ってたはずなのに。
「翡翠?もう寝ちゃった?」
「え、ああ。大丈夫、起きてるよ。」
父さんとは違う形の、家族。
記憶はないし、実感はわかないけど。だけど、緋葉は僕を家族みたいに大切に思ってくれている。
それこそ、父さんと同じように……。
なんでそれを、父さんと同じように嬉しいとか気恥しいとか思えないんだろう。
「……ねぇ、父さん。家族って、大事な人って事だよね。」
「うん。戸籍や血の繋がりなんて関係ない。翡翠は僕にとって大事な、大切な人だよ。」
「僕も、そう思ってるよ。」
暗い部屋の中、聞こえてきた声に温かな気持ちになるのに。目を閉じて、まぶたの裏に浮かんだ蜂蜜色と蒼穹を思うと、僕の心臓はなぜかザワザワと落ち着かなくて。
そのまま眠りに落ちることが上手くできなくて、僕は結局長い夜を過ごすことになってしまった。
父さんの溺愛昔話、中学生編、高校生編を聞きながら。
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