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第34話
「大学時代の友人づてに彼女が亡くなったと聞き三回忌に参列したのだが……そこで子供がいたらしいという噂を聞いた。ようやくその存在を突き止めて確かめに行った時には、緋葉 は既に五歳になっていた。」
「……そんな、」
ずっとしつこいくらい僕のことばかり気にするから、気づけなかった。
母親は一人命を絶ち、父親には長い間見つけてもらえず。しかも家族として仲良くしていたのであろう僕は早々に里子にもらわれ施設を出てしまった。……緋葉は、一人で施設に残されていたんだ。
「こんななりしてるせいか貰い手なかったからな。おかげさまで親父に見つけてもらって引き取ってもらえたわけだ。」
なんで、笑いながらそんな事言えるの。
悲しみや苦しみが全くなかったなんて事あるはずないんだ。それなのに、緋葉はあっけらかんとして笑ってる。
己の置かれた環境も、父親のことも、緋葉は何一つ嘆くことなく受け入れている。
けど、でも、こんなのって。
耐えきれず視線をそらせば、隣で父さんが視線を落としギュッとテーブルの下で拳を握りしめていた。
「……ごめんなさい。立ち入って聞いていい話ではなかったね。」
俯く父さんに、緋葉はキョトンとして首を傾げる。
「ん?べつに大した話じゃないし、いっすよ。誰が悪いってわけでもねぇし。」
当人にそう言われてしまえば、口を噤むしかない。
緋丹 さんも困り顔で眉間に皺を寄せ、それから視線を手元の時計に落とした。
「……すまないが、私はそろそろ出ないといけない。」
「ああ、えっと、いってらっしゃい。」
「……すまないな。」
今のは、何に対する謝罪なんだろう。
緋丹さんは一瞬隣に座る緋葉に視線を移してから、何か言いたげに開いた口を閉じたのを僕は見逃さなかった。
「あ、待ってください。緋丹さんお弁当ありますから、」
おもむろに立ち上がった緋丹の後を、父さんがお弁当片手に玄関まで追いかける。
パタンとリビングの扉が閉じられれば、緋葉と僕の二人だけ。
二人残された空間で、僕はたまらず口を開いてしまっていた。
「……あの、さ。恨んだりとかしてないの?」
「ん?」
「いや、その、緋丹さんのこと。」
緋葉と緋丹さん。親子にしてはどこか距離があるように感じていたけど、ようやく理解できた。
緋葉は中学高校と全寮制の学校だったと聞いているし、血の繋がりはあっても二人はほとんど親子として同じ時を過ごしていないんだ。
緋葉は孤独な時を過ごしていたのかもしれない。
……そう、思ったのだけれど。
緋葉は僕の言葉に眉をひそめ首を傾げた。
「なんで?感謝こそすれ恨む理由なんてないだろ。」
「へ?」
「いや、だって存在すら知らなかった子ども探し出して引き取ったんだぜ?俺は親族から命狙われるかもって全寮制の学校に逃がしてもらったけど、俺のせいでどっかの令嬢との婚約は破綻したらしく、結果当主の座から引きずり下ろされようとしてるし。酔狂だよなと息子の俺でも思うわ。」
「あ、」
ケラケラと笑う緋葉にハッとした。
そうか。緋葉は自分の置かれた状況だけじゃなくて、ちゃんと緋丹さんの事情も想いも受け入れているんだ。
「俺を捨てて死んだ母親と違って、親父は拾ってくれたからな。おかげさまでこうして翡翠 に会えたし結果オーライってやつだ。」
ニカッと歯を見せて笑う緋葉に憂いなんてこれっぽっちもない。
考えなしの楽天家なのかと思ってたけど……そうか、緋葉は全てを許して笑えるくらい強い人なんだ。
「……二人が似てるけど似てない理由がよくわかった。」
あえて軽口を叩いてやれば、緋葉はふはっ、とふきだした。
「俺があんなだったら嫌だろ。……すまない、卵が爆発した。」
「ぷっ、」
蜂蜜色の金髪をバックに撫でつけ、わざと眉間に皺を寄せて低い声でそう言われれば、僕の腹筋はあっという間に崩壊した。
「ちょ、やめてよ、ふはっ、」
「え、似てねぇ?結構自信あんのに親父にやって見せても顔色一つ変えねぇんだよなぁ。」
「ちょっと、緋丹さん本人にもやったの?ふはっははっ、」
眉ひとつ動かさず、真顔で緋葉のモノマネを見ている緋丹さんが容易に想像できて、僕はいよいよ笑いを止められなくなってしまった。
なるほど、緋葉は緋丹さんのことをちゃんと見てる。父親だって思ってる。寄り添うだけじゃない愛情の形を緋葉はちゃんと知ってるんだ。
「おや、なになに?何か面白いことでもあったの?」
緋丹さんの見送りから戻ってきた父さんがお腹を抱えて笑う僕を見て不思議そうに首を傾げる。
僕はなんとか笑いを抑えて、何でもないよと首を振り話を切りあげた。かわりに父さんに向き直り居住まいを正す。
たぶん、これは先延ばしにせず今言うべきことだと思うから。
「あのさ、父さん。僕、今日は一昨日都内の図書館で借りてきた本を返しに行こうと思うんだ。」
「え?うん。いっておいで。」
「それで、その……ついでに、牧之瀬 先生に会いに行こうと思ってる。」
父さんが、口を開いたまま言葉を詰まらせた。
目尻の下がった温和な笑みがゆっくりと陰り、瞬きをひとつ。その瞳は真っ直ぐに僕を見つめた。
「……昨日、冬馬 には全て話したんだ。すぐにでも翡翠に謝りたいって言っていたから、行ってあげるといいよ。」
「うん。行って……ちゃんと帰ってくるから。」
僕の言葉に、父さんは小さく笑って頷いた。
話を、しなくちゃいけないと思うんだ。牧之瀬先生は、物心ついた時医者としてずっと僕をみてくれていた。それはこれからもそうだ。
だからこそ、このままにはしておけない。
「俺も行く。」
今まで黙って僕達の話を聞いていた緋葉がキッパリと言い放った。その蒼穹の瞳には、頑として譲らないという決意の色。
「殴らないって約束するなら。」
「……、」
緋葉はぐっと口元をへの字に引き結んだだけで、返事はない。
「緋葉、」
「守れねぇかもしれない約束なんて出来ねぇよ。」
馬鹿正直にそう言われてしまっては、返す言葉もなかった。
だけど、これは緋葉にとっても無関係な話じゃない。緋葉にとっても、このままにしておいていい問題じゃないことはわかっていたから。
僕は心配でおろおろする父さんを横目に、はぁ、と深く息を吐き出した。
「殴ったら、二度とご飯作ってあげないから。」
そう釘だけさしてやれば、緋葉はう、と顔を顰めて低く唸り、最後には苦々しげにわかったと頷いた。
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