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第38話 隣人?家族?あなたはだあれ
「あ、翡翠 。俺の部屋寄ってかねぇ?」
夕食後、片付けも終わってそろそろ102号室をお暇しようかと思っていたその時。席を立った瞬間にそう声をかけられて立ち止まる。
「アルバム。どうせだし俺のも一緒にみようぜ。」
ここに戻ってきた時からずっと気になっていた白い革製の表紙のアルバム。
鞄の中で重く存在を主張していたそれを、見たいような、見たくないような。
だから、緋葉 に声をかけられて僕は迷いなく頷いていた。
「……おじゃまします。」
なんとなくそう声をかけて、そろりと部屋に足を踏み入れる。
リビングには何度もお邪魔していたけれど、ここにくるのは初めてだ。緋葉のプライベートな空間。
床に散らばるゲームや漫画の雑誌をよけながら周りを見回す。
ベッドと大きなデスクにほとんど占領されている部屋の壁の棚には、お気に入りなのか表紙が見えるように並べられたバイク雑誌。隅に置かれている工具箱も恐らくはバイクのメンテナンスに使用するものなのだろう。そばにあるメタルラックにはバイクのフィギアがいくつか並んでいた。
広いデスクにはパソコンに大きな画面が三つも接続されていたけれど、デスク脇にかけられていたヘッドセットを見る限りこれは勉学ではなく主にゲームに使われるものなんだろう。
ああ、緋葉の部屋だなとなんだか妙に納得してしまった。
「適当に座っててくれ。」
と、言われても一人分しかないパソコンチェアに座るわけにもいかないし、床にラグが敷かれていないから、そこに座るのも違う気がするし。
仕方なくベッドの隅に腰掛けてじ、と様子を伺えば、緋葉はクローゼットの中に置かれた収納ケースをゴソゴソと漁り、そこから一冊のアルバムを探し出してから僕の隣に腰掛けた。
白い革製の表紙のアルバム。僕も足元に置いていた鞄の中から同じものを取り出す。
「たぶん、同じ写真も結構あると思うけどな。」
積雪 の家。そう呼ばれている孤児院で過ごしていた記録。
僕は膝に乗せた表紙に手をかけ、そして躊躇った。
「どうした?」
「あ、いや。……僕、孤児院にいたこと覚えてないから。知らない自分が写ってるんだなって思ったら、なんか、ちょっと、」
少し怖い、なんて。言葉にはしなかったけど、緋葉は察したのか大丈夫だと僕の頭を雑に掻き乱した。
「覚えてねぇから見るんだろ。昔の翡翠はすげぇ可愛かったんだぞ。あとで温人 さんにも見せてやれよ。」
そう言って笑う緋葉に背中を押されて、僕はゆっくりと表紙を開く。目に飛び込んできたのは白、だった。
真っ白なシーツの上で、小さな手をぎゅっと握りしめて眠る赤ん坊。その鼻にはチューブがつけられていて、そこがおそらく病室なのだろうことがわかる。
決して健康的には見えない顔色。それでも、安心しきって気持ちよさそうに眠っているように見えた。
「お、その写真は俺も初めて見る。ちっちぇな。」
「……うん、小さいね。」
これが、僕。
心臓に穴があいていて、生きることすらやっとだった小さな小さな命。
鼻と腕にチューブをつけられた赤ん坊は、アルバムの中で次第に目がパッチリと開き、柵付きのベッドの中で四つん這いになり、柵を掴み立ち上がれるようになり。時にはカメラに手を伸ばしてみたり。
真っ白なシーツと病室を背景に少しずつ成長していく赤ん坊の写真をどこか他人事のように眺めながら、僕は次のページに手をかける。
開いた瞬間、今まで真っ白だった成長写真に鮮やかな色が飛び込んできた。
「これ、」
「お、ここからは多分俺のとほとんど同じ写真だな。」
金に近い、蜂蜜色。
肩まで伸びた髪をしっぽみたいに後ろでひとつに束ねた、蒼穹を映したような蒼い瞳の男の子。
幼い緋葉はベッドに座る僕の隣で歯を見せ笑っていた。
「これ、記憶にはないけど、多分初めて顔合わせた時からそんなに経ってないんだろうな。ほら、翡翠すげぇ嫌そうな顔してる。」
たしかに、笑顔の緋葉の隣にいるものの、どこか距離をとって様子を伺っているようにも見える。
「昔からすげぇ人見知りだったもんな。」
「う、」
覚えてはいないけど、想像はつく。
いくら一つ違いで歳が近いとはいえ、どうしても構えてしまうのは今も昔も変わらないんだろう。
懐かしいなぁ、と感慨深げ緋葉の声を隣で聞きながら、僕はただページを見つめた。
記憶にはない、けれど確かに存在する光景。
緋葉の膝の上に乗せられたアルバムにも僕のアルバムにも、病室で顔を合わせ、しだいにその距離を縮めていく様子が収められていた。
初めは恥ずかしさからか視線を合わせることすらしていなかった幼い僕が、いっしょにプリンを食べたり、ベッドに上がり込んだ緋葉といっしょにお昼寝していたり。
記憶にはないけど、たしかにそこに緋葉はいたんだ。
ページを捲る指先に、妙な熱がこみ上げる。
知らない自分をもっと知りたい。この頃のこと、緋葉のこと、思い出したい。
たしかに写真に写っているのは僕と緋葉なのだけど、記憶のない僕にはまるで物語を読んでいるみたいに現実味がなくて。それがもどかしい。
見るだけじゃなくて、感じたい。この時の温度、匂い、音、感情。記憶に触れてみたい。
何か、この中に僕の記憶にも残っているものが写っていないだろうか。
この写真も懐かしいよな、と呟く緋葉の隣で僕はどこか祈るようにページを捲る。
そうして、開いた先に見つけたんだ。病室のベッドの上、幼い僕が抱える一冊の絵本を。
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