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第40話
「積雪 の家に行ってみようと思うんだ。」
翌朝、父さんの用意してくれた朝食のアスパラベーコンとプレーンオムレツ、厚切りのトーストを食べ終え、僕は朝食の席でいつものように父さんに本日の予定を聞かれそう答えていた。
とたんに父さんの表情が陰る。
「……それって、今日じゃないと駄目なのかな?」
「え?何か予定あった?」
「そうじゃないんだけど……もう少し時がたってからでもいいんじゃないかな。」
いつものように穏やかな笑顔でいってらっしゃいと言われるものだと思っていたから面食らった。
緋葉 も緋丹 さんも眉をひそめ成り行きを見守っているようだ。
父さんはじ、と不安げに僕を見つめる。
「昔、冬馬 から言われたことを覚えてる?幼い頃の記憶が無いのは、もしかすると辛さや恐怖に耐えきれなくて自ら閉ざしてしまっているのかもって。」
「……覚えてる。」
「ただでさえここ数日で色んなことがわかって、翡翠 は今戸惑っていると思う。そこに、さらに記憶に刺激を与えるようなことはするべきじゃないんじゃないかな。」
昔……そう、たしかなぜ家には母さんがいないのかと父さんに尋ねた時のことだ。
事情は全てわかっているものだと思い込んでいた父さんは驚いて、僕に本当に覚えていないのかと再三確認した上でめぐみ病院へ連れていかれた。
あの時は母さんが事故で死んだと聞かされて、そのショックなのかもという話だったけど、父さんもおばあちゃんもいたし、忘れていたとしても困ることはないなと思っていたんだ。無理に思い出そうとする必要もないだろうって。
だけど、今は違う。
視界の隅に蜂蜜色と蒼穹を映して、僕はテーブルの下でギュッと拳を握りしめた。
「……どうしても、思い出したいんだ。」
周りから聞かされて過去を理解するのと、当時のことを思い出すのは違う。
父さんや緋葉から話を聞いて、僕の置かれた状況は理解はできたし過去を知れた。おかげである程度思い出せたこともある。
でも僕はまだ、本当に知りたいことを思い出せていない。
「忘れたままでいたくないって思ったんだ。」
その当時の僕が何を見て、何を感じて、何をしたのか。僕は知りたいんだ。でないと僕の過去は、いつまでたっても周りから聞いた物語のまま。
今なら思い出せそうな気がするんだ。絵本のことも、幼い緋葉のことも。
写真で得た知識としてじゃなくて、僕の記憶の中にいる緋葉に会いたい。緋葉が読んでくれたらしい本を、思い出したい。
「お願い、行かせてよ。」
「だったら、せめて僕がついていける日に…」
「俺がついてるから大丈夫っすよ。」
視界の隅の緋葉がポンポン、と自らの胸を叩きニカッと笑った。
「何かあったらバイク飛ばしてすぐ帰ってくるんで。」
「でも…」
「大丈夫だって。もう、あの頃みたいな小さな子供じゃないんだから。父さんを心配させるようなことは絶対しないから。」
「……そっか。そう、だね。」
何か言いたげだった父さんは、けれどそれ以上何も言うことなく小さく頷いてくれた。
「そうだよね。翡翠も、もう子供じゃないんだものね。」
「父さん、」
口ではそう言うものの、明らかに寂しそうにしている父さんに胸が痛む。
そんな顔をさせるくらいなら、やっぱり父さんの言う通りもう少し落ち着いてからにした方が……
「では、私達も出かけるか。」
言葉は以外なところから聞こえてきた。
今まで食後のコーヒーを飲みながらことの成り行きを見守っていたはずの緋丹さん。
あまり感情を表に出さないその口角がほんの僅かに上げられる。
「二人がいないのなら、約束していた例の店に行ってみるというのはどうだろうか。」
「は?」
思わず声が裏返った。
……約束?例の店?
なにそれ。
初耳な単語の羅列に、父さんはぱっと表情を輝かせる。
「いいですね!ぜひご一緒させて下さい。」
「え、ちょっと、」
なに。いつの間にそんな話になってたの?
僕の知らないところで、いったい何が。
思わず緋丹さん…の隣にいた緋葉を睨みつけるように視線で問い詰めれば、ふい、と逸らされてしまった。
「翡翠君も緋葉ももう成人だ。思うようにさせてやればいい。温人 も温人でやりたい事をすればいい。」
「そう、ですね。そうですよね。二人とも、もう大人ですもんね。」
「いや、え、ちょっと……」
たぶん、緋丹さんは難色を示した父さんをなだめる為に提案してくれたんだと思う。
思うけども。なんだろう、なぜだかこう、釈然としない。
いや、別に隣人と仲良くする事は悪いことでは……って、仲良くってなんだ、仲良くって。
二人で出かける約束してたなんて、僕に話してくれていてもよかったんじゃないの!?
「翡翠、緋葉君、気をつけて行ってらっしゃい。」
いつもの穏やかな微笑みと共にそう言われてしまっては、やっぱり延期するなんて今さら言えず。
さらには、よかったなと言わんばかりの緋丹さんの微笑に追い打ちをかけられ、僕は胸の奥にモヤモヤとしたものを抱えたまま、行ってくるねと頷くしかなかった。
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