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第49話
「うー、足が重てぇ。」
「ちょっと、ほら、もう少しがんばって。」
店を出てから千鳥足の緋葉 を引っ張って、ようやくたどり着いた最寄り駅。
ここから自宅である青葉荘 までもう目と鼻の先ではあるけれど、緋葉の足取りが段々と怪しくなってきたため、僕は駅前の公園のベンチで一息つくことにした。
緋葉の手をひいて何とか座らせてから、僕もその隣に腰掛ける。
空を見上げれば、群青の夜空に星が煌めいていた。
緋葉も同じように星空を見上げ、目を細める。
「はー、風が気持ちぃ。」
「まったく。……僕の代わりにって無理に飲むからそういうことになるんだよ。馬鹿。」
「へへ、でもみんな楽しそうだったからいいだろ?」
歓迎会という名の飲み会は、黒氏 会長の宣言通りにきっちり21時でお開きとなった。食べ放題コースなどという恐ろしいプランのせいで、飲めない代わりにと僕はとにかく皆から善意という名の焼肉を皿に盛られ、胃袋の限界に挑戦させられてしまったので、緋葉とは別の意味で具合はあまりよろしくないかもしれない。
うん、明日の朝ごはんは絶対お粥にしよう。
「……なぁ、今日楽しかったか?」
「へ?」
ふいに聞かれて星空から視線を隣へと向ければ、そこにはどこか不安そうな色を宿した蒼穹があった。
「まぁ、楽しかったけど……?」
正直に答えたつもりだったけど、緋葉の顔は浮かないまま。気まずそうに髪を掻き乱す。
「いや、なんか時々寂しそうな顔してた気がしてさ。……一人だけ酒飲めなかったし、疎外感?みたいなの感じてたのかなぁ、とか。」
「ああ。」
本当に、緋葉は僕のことよく見てる。
ここで何でもないよと言ったところで、納得はしてくれないんだろう。
「別に、つまらなかったとかそういうことじゃないんだ。……ただ、僕って子供なんだなってしみじみ思っただけ。」
「あと数ヶ月で翡翠 も二十歳になるだろ。もう少しの辛抱じゃねぇか。」
「……そういうことじゃ、ないんだけど。」
思わず漏れたため息の理由は、きっと緋葉にはわからない。
時折僕を気にして会話を振ったり、さらには僕の代わりにって無茶なお酒の飲み方をしてみたり。今日の緋葉の僕への過保護っぷりは、誰の目にも明らかだった。
それを皆は兄弟みたいだとほのぼのとしていたけれど、僕にとってはそれは胸がぎゅっと苦しくなるもので。
僕は一方的に守られて可愛がられて。緋葉にとってはこの先もずっとそういう存在なんだろうか。
そんなの、嫌なのに。
「ねぇ、緋葉にとって僕って何?」
勇気を出して絞り出した言葉は、情けないくらい震えていた。
言ってしまった。でも、今言わなきゃ。ここで聞かなきゃ、僕はずっと苦しいままだから。
ぐっと拳を握り、真っ直ぐに緋葉を見つめれば、蒼穹を映した瞳はパチリと瞬いた。
冗談や世間話の延長でないことはわかってもらえたらしい。
訪れた沈黙は、一瞬だったはずなのに、まるで永遠のような時間に感じられた。
こくん、と緋葉が息を飲む。
逃げてしまいたい。恐怖を必死に抑えてただ真っ直ぐにその瞳を見つめる。
「別に、翡翠を子供扱いしてる訳じゃないんだぜ?」
「わかってる。」
自らを落ち着かせるように、ふぅ、と緋葉が長い息を吐く。
言葉を探しあぐね、緋葉は髪を掻き乱した。
「正直さ、とにかく探しだすことに必死で、なんで探してるのかなんて考えてもなかったんだよな。俺にとっては翡翠が隣に居ることは当たり前で、いない方がおかしな事だと思ってたから。」
ガシガシと雑に髪を掻き乱していた手がピタリと止まる。
右に左に泳いでいた視線が、真っ直ぐ僕を射抜いた。
「…………試してみてもいいか?」
何を、と口を開く前に、緋葉の手が僕の頬へ伸ばされる。
温かな手が触れたと思った瞬間には、緋葉の顔が吐息も感じられるほど目の前にあった。
そんな距離で、緋葉はじ、と僕を見つめる。
視界いっぱいに広がるのは月明かりに照らされるキラキラ光る蜂蜜色の金糸。蒼い瞳は吸い込まれそうなくらい綺麗で。
ああ、眩しいな。
僕はゆっくりと瞳を閉じた。
その瞬間、唇に感じる温もり。
柔らかな感触は、すぐに離れていった。
どうしよう、心臓がうるさい。
触れた。
なんで。
どうして。
混乱する頭でゆっくりとまぶたを開けば、目があった瞬間緋葉は小さく肩を揺らした。
そうしてガシガシと自らの髪を雑に掻き乱す。
「……あー。俺、酔ってるな。」
乾いた笑いが混ざった声。
緋葉の言葉も行動の意味もわからずただ呆然と見つめていたら、緋葉は突然ベンチに両手をつき、勢いよく頭を下げてきた。
「いきなりごめん!……でも、返事少し待ってくれるか?」
「は?」
混乱と、緊張と、羞恥と。色んな感情がごちゃ混ぜになって状況が整理できない。
こんな、き、キスしといて、待てって。
けれど少しだけ顔を上げた緋葉は、至極真剣な表情だった。
「今、どう答えても酔った勢いになっちまう気がする。ちゃんと考えて、ちゃんと答えたいんだ。」
「 、」
知らぬ間に張り詰めていた空気が、ふ、と抜けた気がした。
なんと言うか、それはあまりにも緋葉らしくて。
馬鹿真面目な緋葉を前に思わず笑いそうにすらなってしまった。
「……わかった。答え、いつか教えてよ。」
諦めのため息混じりにそう答えれば、緋葉は勢いよく身を起こし瞳を輝かせた。
「おう!約束な。」
そう言って差し出された小指に自分のものを絡め返してあげたら、緋葉はますます嬉しそうに笑って。
どうにも僕は緋葉のこういう笑顔に弱くて。その度に、胸の奥がぎゅうっと苦しくなるんだ。
「じゃ、そろそろ帰ろうぜ。」
当たり前のように差し出された手をとれば、優しく握ってくれる。
この温もりと優しさの意味は、まだ教えてもらえないみたいだけど。
でも今はそれでもいいかな、なんて。
この手をずっと繋いでいられるなら。あとほんの少しだけ、唇に残された温もりと言葉に出来ず苦しい気持ちには蓋をしておこう。
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