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閑話 お父さん達の答え2

衝動に突き動かされるまま、強引に抱き寄せ唇を奪う。 「んぅ、っ、」 触れるなどという生易しいものではない。僅かな吐息さえ逃さず、全てを奪い取る。 角度を変え、何度も。激しい欲望をぶつけても、温人(はると)は抵抗をみせなかった。 それどころか背中に回された手が、こちらを離すまいとギュッとスーツの背を握りしめてくる。 歯列を押し分け、口内の深くまで侵入し粘膜を触れ合わせても、それは変わることはなかった。 箍の外れた感情に流されるままに貪っていく。 「ん、…ふ、……」 時々漏れる吐息は身体の内に激しい熱を灯し、理性を焼き切っていく。もっと乱れさせたいという衝動に歯止めがかけられない。 震えながらもスーツを握りしめていた手から力が抜け、目尻の下がった瞳は次第にトロリと蕩けていく。頬が赤く上気していく様子に、ゾクリと支配欲が満たされていく。 もっと。 もっとだ。 触れれば触れるほど、湧き出た感情はおさまるどころか激しさを増していく。 抑えなければと頭の片隅ではわかっているのに限界だった。 唇を離した瞬間、荒い呼吸が絡み合う。 けれど息を整える暇など与えない。 「っ、ひたん、さん、」 掠れた声が名を呼ぶ。 それすらも聞き流すように、手首を掴んだ。 強く。逃がさないように。 よろめいた温人の身体がぶつかるが、構わずそのまま廊下を進んだ。 途中で振り返ることも、躊躇うこともせず、ドアを開け寝室へと押し込む。 勢い余り体勢を崩した温人がベッドに倒れ込むのを見ながら、スーツを脱ぎ捨てていた。 薄暗い部屋に漏れる温人の荒い吐息。 自らの首からネクタイを抜き取る衣擦れの音が、妙に大きく響いた。 ベッドに倒れたままの温人を見下ろし、喉がひりつく。 「温人、」 情けないくらい声は掠れてしまっていた。 誰かと肌を合わせることなど、これまでの四十五年の人生の中で幾度とだってあったはずなのに。 まさかここまで烈々たる想いが自分にあったとは。 触れたいという欲求が、凶暴な感情に変わってしまいそうだった。 自らの顔を両手で押さえる温人。その指の間から、今にも泣いてしまいそうに潤んだ瞳がこちらを見上げる。 「あ、あの、緋丹(ひたん)さん、その、……先にお話しておきたいのですが。」 震える声。それがどこか怯えているように見えたのはおそらく気のせいではない。 「、どうした?」 触れたい衝動を、拳を握りしめ耐える。 「あの、……僕、その、学生時代は文学一筋で読書に明け暮れていまして。」 震える声で紡がれる言葉。急に、何の話だろうか。予想をできない言葉の羅列に戸惑う。 「それで、その、大学院を修了してからはすぐに翡翠を引き取って、そこからは子育て一筋と言いますか。……あの、つまりは、その、」 ありえない速さで心拍を刻む、その拍動とともに耳に入ってきた言葉。 熱に浮かされた頭では、まともに思考できず思わず聞き流してしまいそうになったが…… いや、今、おそらく、自分はとんでもない話を聞かされている。 「たぶん、その、お恥ずかしい話なのだと思いますが……異性も同性も、せ、性交渉どころかその、交際経験すら、ほぼ、なくてですね。」 「…………は?」 ガツンッと、後頭部を思い切り殴られた気がした。 息が、止まる。 四十を超え、まもなく二十歳になろうという息子がいて……経験が、ない。 働かぬ頭でなんとか導き出した事実に、ガツンッとまたしても後頭部を思い切り殴られた。 「あ、あの、できる限りご迷惑をかけないように頑張りますので。……ご、ごめんなさい。」 絞り出すような掠れた声に、耳元で心臓が鳴る気がした。 その言葉を頭の中で反芻し噛み砕いて、理解すると同時に熱が一気に駆け上がってくるのを感じる。 思わず手で顔を覆い天井を仰ぐ。 迷惑、とはなんだ。 何も知らない純粋無垢な人間を、交際期間なくいきなり寝室に連れ込み押し倒したのはこちらではないか。 ベッドに広がる長い黒髪。月明かりに照らされるその顔は、半分以上両手で覆い隠されているが真っ赤に染まっているのがわかる。 乱れたエプロンの下では、おそらく自分と同じように、否、それ以上に心臓が拍動しているのだろう。 「……あの、緋丹さん?」 指の隙間から覗いた瞳が上目遣いでこちらを見上げ、首をかしげた。 長い、息を吐いた。 一度では足りず、二度。長く長く息を吐く。 切れたはずの理性の糸を必死に繋ぎ直した。 「……今日は、やめておこう。」 ぐぅ、と思わず出た低い唸り声を何とか押さえつけ、その一言を絞り出した。 が、状況を全く理解していない温人はえ、と戸惑いの声をあげる。 「しないんですか……?」 寂しそうな声に、思わず息を飲み、また大きく息を吐いた。二度。 流されるな。状況を考えろ。今は堪える時だろう。心の内で何度も復唱した。 「温人を傷つけたいわけではない。……性急すぎたな。」 自らが呟いた言葉を自らにかたく言い聞かせ、温人の身を助け起こす。 不安そうにこちらを覗き込んでくるその視線に、理性を総動員させて大丈夫だと口角を上げてみせた。 「ゆっくりでいい。時間はあるのだから。」 そうだ。これから先隣にいるのだと、その意思と心の内を確認できただけで十分ではないか。 ほっと温人が安堵の息を吐けば、熱情と緊迫で張り詰めていた空気が、急に穏やかなものに変わった気がした。 そうだ。この心地の良さこそ、自分が何よりも求めたものではなかったか。 触れることよりも、もっと大切なこと。 「温人、食事にしないか?」 一瞬きょとんとした後、温人はぱっと顔を綻ばせる。 「……はいっ」 その声は、先ほどまでの戸惑いが嘘のように柔らかかった。 ベッドから降り、慌てた様子でエプロンを整える姿に、思わず笑みが漏れる。 「一緒に夕飯食べましょう。」 灯る笑みに、ようやく落ち着きを取り戻したはずの鼓動がまた跳ねる。 けれど、それはとても心地よく穏やかなリズムを刻み始めた気がした。 急上昇していた熱がおさまれば、とたん戻った嗅覚がふわりと漂う味噌の香りに煮物の甘い香りを拾う。 ああ、そうか。 自分は帰ってきたのか、この男の隣に。 「温人、」 一足先にリビングへ向かおうとする温人を呼び止めれば、振り返った温人の笑顔が月明かりに優しく照らされる。 「その、遅くなったが……ただいま。」 「はい、おかえりなさい。」 その柔らかな笑顔は、真っ直ぐ、自分だけに向けられていた。 その事実が面映ゆい。 「お夕飯、温め直してきますね。」 再びその手を引いて腕の中に閉じ込めてしまいたい衝動に駆られたが、ぐっと堪えて後ろ姿を見送った。 ゆっくりでいい。 性急に熱情をぶつけるだけが全てではない。 優しく、穏やかに育んでいく。そんな形もあるのだと、自分は温人に教わったのだから。 脱ぎ捨てていたスーツとネクタイを拾い上げてから、明かりの灯るリビングへ。 ふわりと漂う味噌の香りに煮物の甘い香り。 鼻歌混じりにキッチンに立つその横顔を見ながら、胸の奥が静かに満たされていくのを感じた。

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