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第56話
いまだかつてない速さで拍動する心臓が煩い。
急上昇した体温が思考を鈍らせる。
聞き間違い?
勘違い?
いや、違う。これは、
「あ、あの、家族って、それって、つまりその、プロポー…むぐっ、」
決定的な言葉は、紡ぐ前に緋葉 の手で思いっきり塞がれてしまった。
「まてまて。そういうのはほら、俺がちゃんと就職して、最初の給料でお高いレストランにでも連れてってさ…」
「ちょ、まっ、まま、まって!」
口を塞ぐ腕を思いっきり掴んで引き離し、今度は僕が言葉を遮った。
いやいやいや、おかしい。
この展開はおかしい。
え、なにこれ。本気で頭が追いつかない。
「だ、だいたい、そういう意味ならまず言うことがあるんじゃないの!?」
「はぁ?何をだよ。」
なんで、どうしてそこで首を傾げるんだ。
僕だけが冷静さを欠いていて、僕だけが意識していて。その事実が僕の体温をさらに上げていく。
「いや、だから、ほらその、……す、好きとか、嫌いとか。」
「はぁ?俺が翡翠 を嫌いなんてあるわけないだろ?」
「…………いや、それはそうだろうけど。」
羞恥を堪えてなんとか絞り出した言葉は、バッサリと切り捨てられてしまった。
緋葉は不満そうに唇を尖らせ、僕の鼻先に人差し指をちょん、と突きつける。
「好きに決まってんだろ。むしろ好き通り越して愛だよ。」
「ひっ、」
思いっきり肩が跳ねた。
なんで、さも当たり前みたいに言ってるの?
え、これ僕がおかしいの??
好きだって。あ、愛だって。そんなサラリと言われても、いったいどうしたら。
けれど、戸惑う僕とは違って、緋葉は全く動じていなかった。
「あのなぁ翡翠。俺が翡翠を好きなのは確定なの。そりゃ、さ、恋愛感情なのか家族愛なのかっつーのは考えたけど……まぁ、結局どんな感情であれ最後に行き着くのは家族だろ?」
「そんな、安直な。」
「いや、でも俺達には血の繋がりがないんだから、一生一緒にいようと思ったらそうなるんじゃねぇの?」
だからって、恋人だ恋愛だの段階を全て飛ばしていきなり家族になろうって……そんな告白ある?
いや、そもそもこれ告白でもなんでもない。
僕が聞きたかった言葉は、緋葉にとっては言葉にする必要もないくらい当たり前のことなんだ。
会えない事実を忘れてしまわなければ、生きていけなかった。
ずっと隣にいたくて、
ずっと一番そばにいてほしかった。
何よりも大切で、大好きな人。
緋葉が家族になりたいと言ってくれたその感情は、僕が恋愛感情として抱いているものと変わらない。
……なんだ。そうなんだ。
「ヒヨ。……好き、だよ。」
言葉は自然に溢れ出た。
それでも、思いの全ては上手く形にできなくて。だから僕は、言葉の代わりに一歩前に踏み出して、緋葉の胸にこつんと頭を預けた。
「ひ、すい?」
緋葉の身体が小さく跳ねる。
トクトクと早いリズムを刻む心音は、はたしてどちらのものだっただろう。
それすらわからなくなるくらいの距離で、僕はギュッと緋葉に抱きついた。
「な、ど、どうした?」
「……ねぇ、僕、まだ答えてもらってないことあるんだけど。」
「へ?」
小さく息を飲んでから、ゆっくりと顔を上げる。
見開かれパチリと瞬いた蒼穹を、僕はまっすぐに見つめた。
「あの夜のこと。……試していいかって。あの時の、答え。」
口にした途端、唇はあの日の熱を思い出す。
夜の公園。試したいと言われ、触れたあの時。
緋葉の僕に対する気持ちはわかった。けれど、そこに触れたいという欲求はあるのだろうか。
……僕と、同じように。
「触れて、どうだったの?やっぱりなんか違う、とか、……思わなかった?」
不安に震える僕の声に、けれど緋葉はやっぱりはぁ?と不機嫌に唇を尖らせる。
「んなこと思うわけないだろ?俺は翡翠が好きなの。愛してんの。だから大事すぎて触れねぇんじゃねぇかって、あん時はそれを試したに決まってんだろ。」
「え?」
緋葉の指が、また僕の鼻先をちょん、とつついた。
その指はそのまま僕の頬を辿り、僕の顎を僅かに持ち上げる。
「ま、余計な心配だったけどな。」
「ぁ、」
蒼穹が視界いっぱいに迫ってきたと思った瞬間には、唇に熱が灯されていた。
食むように優しく触れてきた唇はすぐに離れていって、僕の目の前でニヤリと弧を描く。
「一度しちまうとダメだな。もう触れるだけじゃ足りねぇや。」
「な、なな、」
ペロリと舌を出し、悪びれることなく笑う緋葉に、心臓が爆ぜた。
上手く声にならない。
唇に残った熱が、じわじわと広がっていく。
触れられた場所から全身が燃えるみたいに熱くなっていく。
心臓が、うるさい。
自分の身体じゃないみたいに内側で感情と熱が暴走してる。
ベランダの外、頬を撫ぜる夜風が自分の身体の熱さを否応なく教えてくる。
思わず後ずさろうとしたその身体を、今度は緋葉にガッチリと抱き寄せられ、逃げ道を塞がれてしまった。
「翡翠、」
月明かりに照らされた蒼穹が、射抜くように僕を見つめる。
そこに欲望の色を映して。
ずるい。
こんなの、
こんなの。
「……好きだ。」
再び近づいてきた蒼穹を、拒むことなんてできなくて。
僕は瞳を閉じて、もう一度唇に落ちてきた熱を受け止めた。
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