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第58話
『いやだ!いやぁぁ!ヒヨといっしょにいる!』
積雪 の家を離れることになった当日。
僕は迎えに来てくれた冬馬 さんと咲良 さんの手を振り切って見送りに来てくれた緋葉 に泣いて縋った。
緋葉は行かなきゃダメだと言いながらも、その手で僕をギュッと抱きしめてくれる。
『っ、ダメ、なんだ。おとーさんと、おかーさんといかないとダメなんだっ!』
行かなきゃダメだと言いながら、緋葉は離すまいと僕を抱きしめる。
『ぜったい、ぜったいむかえにいくからっ!だから、だいじょうぶだからな!』
青空みたいな蒼い瞳からボロボロ涙をこぼして、顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃにして。
やくそく。やくそくだよって。ぜったいあいにいく!って。
痛いくらいに強く抱きしめられたあの温もりも、嗚咽混じりに交わした言葉も、今も僕の身体にしっかりと刻まれてる。
絵本のライオンみたいに、ヒヨは僕を探してくれる。家族にしてくれる。
それがどれほど難しいことなのかわかっていても、僕はその未来を信じずにはいられなかった。
懐かしい夢の温かな記憶に包まれながら、ふわふわとしていた感覚が次第にはっきりとした輪郭を帯びてくる。
僅かに身じろげば、腰に感じる鈍い痛み。
思わず腰に手を当てようとして、それすら出来ないことに気がついた。
がっしりとした逞しい腕が背後から僕の腰に回されている。
それはもう身動きできないほどにガッチリと。
「……ん、苦しい、よ、」
まだぼんやりとしたまま呟けば、僕の背中にピッタリくっついている身体は離れるどころかさらに密着してくる。
「んー。もう少しこのままでいいだろ?幸せに浸ってんの。」
「ふふ、なにそれ。」
服はベッドの下に転がったまま、互いに裸のままみたいだけど、身体は清められているようで、不快感はない。
カーテンの隙間から覗く空は、まだ夜の深い時間であることを教えてくれている。
背中に感じる温もりはひどく心地よくて、僕ももう少しこのままでもいいかも、なんて思ってしまった。
「身体、平気か?」
「腰痛い。」
「あー、だよなぁ。うん、ごめん。いやぁ、でも加減できなくてさ。」
あんまり悪びれていないような気がするのは、背後から漏れ聞こえる幸せそうな含み笑いのせいだろう。
なんだか、僕だけこんな思いして、不公平な気がしてきた。
「……初めてでもあるまいし。」
だから思わず言葉で棘を刺してやれば、背後で緋葉の身体がピシリと凍りついたのがわかった。
「…………あのぉ、どこまでお気づきで?」
いまさら何を言っているのやら。
そもそも、緋葉は隠しているつもりだったのだろうか。
「緋丹 さんが来る前まで女の人と同棲してたってこと?」
「ううっ、完全にバレてんじゃん。」
ああ、もしかしたらこうして背後から僕を抱きしめているのは、合わせる顔がないからなのかもしれない。
僕にとってはいまさらすぎることなんだけど。
「この家に残ってた食器のセンスを見れば、ね。あとは……ヘルメット、今度洗っていい?あの匂い苦手。」
ズバリ言ってやれば、布団をはね飛ばしその場に飛び起きた緋葉が、すみませんでした、とベッドの上でそれはもう見事な土下座を披露してくれた。
「いや、違うんだよ、付き合ってたとかじゃねぇの。向こうにも本命はいてさ、だからその、暇さえあれば翡翠 のこと探してたから俺も誰とも付き合う気なかったし、けど、先輩にそういう割り切った関係もありなんじゃね?って言われてまぁ……その、ほら、俺高校卒業して寮出て、住むとことか困ってたし、」
「うわ、……さいてー。」
「いや、ほんと、すみませんでした。」
ベッドに頭を埋め、ブツブツと言い訳がましい謝罪を呟く緋葉を止めることも、これ以上責めることも今の僕には出来そうになかった。
それどころか、怒ってる?と恐る恐る顔を上げる緋葉に思わず笑ってしまった。
不安そうに僕の様子を伺う緋葉にクスクス笑いながら手を差し出す。
緋葉はその手を掴んで僕が身を起こすのを助けてくれた。
鉛のように重い身体を起こして、そんな身体を言い訳にして、緋葉の肩にもたれかかる。
「……ヒヨ、ありがと。」
面と向かっては照れくさかったから、緋葉の肩に顔を埋めたまま。
「約束、まもってくれて。見つけてくれて、ありがとう。」
一瞬、先程まで見ていた昔の記憶が脳裏をよぎった。
もし、緋葉が僕のことを探し続けていなかったら。
緋葉は全てを諦めて違う人との人生を歩んで――そんな未来が、あったかもしれない。
そう思ったら胸が苦しくて、恐る恐る緋葉の腰に手を回せば、何倍も強い力で抱きしめ返された。
「っ、たりまえだろ!約束とかじゃなくて、俺が会いたかったんだから。」
ああ、そういえばこの青葉荘で初めて顔を合わせた時も、緋葉はこうして強く抱き締めてくれたな。
わかっていたのは名前だけ。しかもその情報すら結果的に間違っていた。そんな状況で再会できるだなんて、それはどれだけ奇跡的な数字だったんだろう。
触れる肌から伝わる心音。
そばに、いるんだ。
一番近いところに、今緋葉がいるんだ。
「……なぁ、翡翠。俺と、ルームシェアしねぇ?」
耳元で聞こえた言葉に驚いて顔を上げれば、緋葉は照れとも緊張とも違う、なんとも微妙なぎこちない顔で笑った。
「いや、変なこと言ってんのはわかってんだよ。でも、……もう離れんのぜってぇ嫌だ。」
現実的な話でないことは緋葉もわかっているんだろう。既に隣に住んでいて、さらに僕は父さんと生活を共にしている。
この生活をやめてわざわざ隣に移り住む理由が僕にはないから。
でも、緋葉は違う。
ルームシェア、他の人となんてして欲しくない。けど、でも、……
再びギュッと抱きしめられて、僕はまた緋葉の肩に顔を埋める。
うー、と苦悩する呻き声を聞きながら僕はその背に手を伸ばして、よしよしと撫ぜた。
「とりあえずさ、父さん達に相談と、報告しないとだよね。……その、色々と。」
「……だよなぁ。温人さん、また号泣しなきゃいいけど。」
「どう、かな。でも、嘘も隠し事もしたくないから。」
話をしなくちゃ。
僕の気持ち、家族の形。今、父さんと話す時なんだと思う。
家族、だから。
家族になりたい、から。
緋葉の肩口に顔を埋めたまま、ふぅ、と小さく息を吐けば、僕の背に回されていた手が、ポンポンと優しく背中を叩いてくれた。
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