2 / 6
第2話
どうやらグレンは、「側近が出すぎた真似をしてはいけない」と考えているようで、いわゆる「頭が硬いキャラ」に設定されているらしかった。
そのくせ、いざオルティガの斬首が決まったら「無力な自分が悔やまれます」などと嘆いてくる。何もかもが手遅れになってようやく、「もっと早くあなたを連れて逃げればよかった」などと後悔してくる。
そのシーンを読んだ時は、つい「なんだそれ」と口に出てしまった。行動しなかったのはあんたのくせに、今更何を言っているのか……と。
(あああもう、イライラする! こうなったら俺が「オルティガ生存ルート」を考えてやらないとダメだ!)
紅蓮は早速、プライベート用のノートパソコンを開いた。
そして文書作成ソフトを起動し、タイトルに「悪徳の栄光(オルティガ生存ver)」と打ち込んだ。
二次小説を書くのは初めてだ。今までたくさん小説は読んできたが、小説を書くこと自体初めての試みである。
誰かに見せるつもりはないし、書いたからといって何かが起こるわけでもない。完全に自己満足だ。
それでも、オルティガのことはどうにかして救ってあげたかった。
彼は何も悪いことをしていない。胸糞貴族とも違う。それなのに、濡れ衣を着せられたまま処刑されるなんてあんまりじゃないか。
原作者がオルティガを救ってくれないのなら、せめて自分のパソコンの中だけでも幸せに生きられるよう、ストーリーを書き換えてやる!
推しキャラを生存させたい一心で、紅蓮は慣れない二次小説を書き始めた。
せっかく名前が同じだから、側近のグレン目線で書いてみよう。
原作では「頭の硬すぎる無能キャラ」だったけど、こっちでは側近の立場にこだわらず、ちゃんと行動させる。
まずはオルティガ宛に送られてくる手紙は全部しっかり検閲して、怪しいものがあればきちんとチェックし……。
原作小説をよく読み込みながら、紅蓮はせっせと「オルティガ断罪ルート」のフラグをへし折っていった。
完全な自己満足でも、書いていくうちに楽しくなってきてしまい、ずっと集中していたら夜中の十二時を過ぎていた。
(やべっ、もうこんな時間か……)
明日も朝早くから仕事なのだ。あまり夜更かしばかりしてもいられない。
まだまだ書き足りなかったが、紅蓮は仕方なくパソコンの電源を落として急いでシャワーを浴びた。
そしてアラームを六時にセットしてベッドに入った。
が、ベッドに入ってからもオルティガ生存ルートのことが頭から離れず、「次はああして、こうして……」という妄想が止められなかった。
そのせいか、ベッドに入って一時間くらいは寝つけなかった。
2
それからまた一ヶ月ほどが経過した。
相変わらず仕事の方はかなり忙しく、なかなか休みがとれない日々が続いていた。
あの映画を見に行って以来、休日らしい休日はもらっていないかもしれない。
「ふわぁ……」
駅までの道を行きがてら、紅蓮は大きなあくびをした。
(ああ、やばい……最近寝不足すぎる……)
二次小説の執筆は、あれからずっと続けている。
推しをちゃんと救うまでは絶対に書ききってやる……と決めているので、オルティガにとってハッピーエンドになるまでは放り出す気はない。
しかし、素人が慣れない文章を書いているせいで遅々として進まなかった。
妄想だけはどんどん膨らんでいくものの、肝心の筆が追いついていないのだ。
仕事が忙しいので執筆の時間もなかなかとれず、帰宅してからずっとパソコンと睨めっこしていても五百文字書けないこともザラだ。
おまけに睡眠時間も削られてしまっているので、日中ボーッとしてしまうことも増えた。
原作小説はこれでもかと読み込み、登場キャラの心情や舞台背景、世界観はしっかりインプットしているのだが、自分の妄想が上手く出力できなくてもどかしい。早くオルティガを救ってあげたい……。
「……ハッ!?」
一瞬立ちながら眠りかけて、紅蓮は慌てて目をこすった。
いかん、本当に限界かもしれない。
これはもう、しばらく小説を書くのはお休みした方がいい気がしてきた。
幸い、締め切りがあるわけじゃないし、パソコンにバックアップ付きで保存してあるから唐突にデータが消し飛ぶ心配もない。
睡眠不足だといつもの仕事の効率も下がってしまうし、他のスタッフにも迷惑がかかる。
今日は帰ったらすぐに寝て、睡眠不足を取り戻そう……。
そう考えて、紅蓮はぼんやりと信号を待った。
……しかし、先ほどからずっと待ち続けているのに一向に青信号に変わらない。
ここの信号は、一度赤になるとなかなか青にならないのだ。
通勤通学の時間帯くらい、すぐにパッと変わるようプログラムし直してくれればいいのに、これでは歩行者全員に迷惑がかかってしまう。
ぼんやりした頭で、紅蓮は横を振り向いた。
道路の先には、向こう側に渡っていける歩道橋があった。
(あれでも使うか……)
普段はほとんど使わないけど、このまま待ち続けても埒が明かない。
最近運動不足気味だし、たまには階段を上り下りするのもいいだろう。
そう思い、紅蓮は歩道橋に近づき、階段を一段一段上っていった。
だが日頃の運動不足が祟ったのか、すぐに身体が重くなり歩道橋の半分くらいで息が切れてきた。
(お、おかしいな……。以前はこんなところで息切れなんてしなかったんだが……)
ここまで体力が落ちていることにショックを受けつつも、仕方ないので手すりを使ってどうにか上りきる。
そして反対側まで歩いていき、階段を下りようと足を一歩踏み出した。
その時だった。
「あっ……」
足元をよく見ていなくて、階段を踏み外してしまった。
身体のバランスが崩れ、前のめりに倒れそうになる。
(やば、落ちる……!)
いつもならそこで踏ん張れるのだが、今日はなぜか身体が言うことを聞かなかった。
紅蓮は重力に引っ張られるまま、頭から真っ逆さまに転落してしまった。
「うわあぁっ!」
ゴロゴロと階段を転がり落ち、一番下の地面に叩きつけられた時、グキッとどこかの骨が折れる音を聞いた。
同時に視界が真っ暗になり、あっという間に意識が混濁していく。
(ああ、だめだ……こんなところで……)
自分にはまだやるべきことが残っている。
オルティガをちゃんと助けてあげられていないのに、こんなところで死にたくない……。
後悔を残したまま、紅蓮は意識を失った。
ともだちにシェアしよう!