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第5話

        ◆  ◆  ◆  翌日。グレンはオルティガの鞄を持って屋敷の正門前に来ていた。  正門前には昨日選んだ馬二頭が、四人乗りの馬車に繋がれている。  オルティガは少し遅れて、宮廷参列用の正装で現れた。白を基調とした品のいいジャケットを着て、リボンタイや手袋を嵌めている。  国王ジョセフの前で大臣たちに定期報告をするので、こういった正装で行かないとマナー違反になってしまうのだ。  かくいうグレンも、今日は屋敷内の軽装ではなく余所行きの格好をしている。 (しかしこうして見ると、やっぱりオルティガ様はかっこいいな……)  金髪碧眼、長身でスタイルもよく、貴族の上質な衣装もサマになっている。  華やかで端整な顔立ちは遠くからでもパッと目を引き、人を惹きつけるオーラが滲み出ていた。  容姿、人柄、地位、カリスマ性――その全てに優れている完璧な男性という感じだ。嫌われる要素なんてどこにもない。  それなのに、なぜマルクはオルティガを嵌めようとするのだろう。理解不能だ。 「よし、じゃあ行こうか」  オルティガが馬車に乗り込んだので、グレンもその後から乗り込んだ。  馬車はなめらかに走り出し、そのまま王宮を目指し始めた。 「しかし、本当についてきてくれるなんてなぁ……」  馬車が動いてしばらくしてから、オルティガがそんなことを言い出した。  意味がわからず、グレンは怪訝な顔で彼を見返した。 「……どういう意味です?」 「いや、お前にしてはあまりにも珍しい申し出だったからさ。というか、一緒に出かけること自体ものすごく久しぶりじゃないか? もしかしたら父上が亡くなって以来、初めてかもしれない」 「それは……」 「……昔はよく一緒に遊びに行ってたのにな。俺が不甲斐ないせいでお前の行動まで制限させてしまって……本当にすまなかった」  そう言われ、グレンは少年時代のことを思い出した。オルティガの父ナルギス・グロスタールがまだ生きていた頃の話だ。 (転換期となったのは、あの出来事か……)  当時オルティガは十三歳、グレンは十四歳で遊びたい盛りの少年だった。  ナルギスは病気で先は長くないと言われていたのだが、次期当主のオルティガにはグロスタール侯爵家を率いていくという自覚がまだ足りず、グレンを巻き込んで領地を遊び歩くのが常だった。 「あー、馬での遠乗り楽しかったな。景色もよかったし」  勝手に拝借した馬を厩に返し、オルティガ少年は言った。 「今度は道具を用意して狩りでもやってみようぜ。今日行った森、鹿とかいっぱいいたしさ」 「そうだな……。それはそうと、旦那様に言われていた領地の税収計算、終わったのか?」  グレン少年は馬を縄で結びつけつつ、気になっていたことを尋ねた。  この時はグレンもまだ、オルティガの友人みたいに接していたのだ。  するとオルティガは、バツが悪そうに頭を掻いた。 「あー……あれな、なんかいろいろややこしくてさ。まだちゃんとできてないんだ」 「……そうなのか? だったら早くやった方がいいぞ。また旦那様に怒られてしまう」 「怒られても、できないものはできないんだからしょうがないだろ」 「そうだけど……でも、あの杖で殴られたら痛いだろう? よく懲りないな?」 「自分が殴られるだけで済むなら安いものだよ。ちょっと我慢すればやり過ごせるし」 「……そういう問題じゃない気がするが……」 「そういう問題なの! 当主になったらやりたいこともできなくなるし、今のうちに思いっきり遊んでおこうぜ」 「うーん……」 「そんなことより、明日はどこ行く? 久々に市場を見て回るのもいいと思わないか?」  オルティガはなんの気なしに裏口から屋敷に入った。グレンもその後に続いた。  そのまま談話室で休憩していたら、グロスタール侯爵・ナルギスが杖をつきながらやってきた。  ナルギスは四十歳になったばかりの中年貴族だが、病で死期が近いせいか実年齢よりやや老けて見えた。 「父上、お身体は大丈夫なんですか?」  オルティガがソファーから立ち上がる。グレンも当たり前のように立ち上がった。 「うむ、今日はいくらか具合がいいのだ。……それよりオルティガ、我が領内で得られる一年間の税金額はいくらか算出できたか?」  いきなり痛いところを突かれ、オルティガは困ったように目を伏せた。  が、嘘をついても仕方がないと思ったのか、やや開き直ったようにこう答えた。 「あー……っと、すみません。まだできてないです」 「なんだと……?」 「でもそのうちなんとかしますので、心配しなくても大丈夫ですよ」 「…………」  ナルギスは深々と溜息をついた。  そしてよたよたとこちらに近づいてくると、持っていた杖でグレンの尻を叩いた。 「あうっ……!」 「グレン!?」  まさか自分が叩かれるとは思っていなかったので、グレンははずみで転倒してしまった。  続けざまもう一発杖で殴られ、背中にビシッと痛みが走る。 「やめてください、父上! なんでグレンを殴るんですか!」  オルティガが、庇うようにナルギスとの間に割って入ってきた。 「父上が仰った領地の税収、ちゃんとやってなかったのは俺です! 悪いのは俺なんで、殴るなら俺を殴ってください!」 「そう言ってお前を殴って、効果があったか? 何を言っても、何度殴っても、お前はちっとも真面目に勉強しないではないか」 「それは……」 「遊ぶなとは言わん。だが、それは己の責務を全て果たしてからすることだ。お前はそもそもの順番を間違えている」 「…………」 「頼むから、いい加減自覚を持ってくれ。私はもう長くないのだ。グロスタール侯爵家の当主になるのがどういうことか、ここまでやってもまだわからんのか」 「いッ……!」  隙間を縫って再び杖が飛んでくる。今度は太ももに命中した。  ナルギスも全力で殴っているわけではなかったが、硬い杖で叩かれるのはそれなりに痛かった。 「わ、わかりました! ちゃんとやります! 明日からちゃんと勉強しますから!」 「明日ではない。今からだ」 「わかりました! 今からちゃんと勉強します! だから、グレンを殴るのはやめてください! グレンは悪くないですから!」 「そうだ、グレンは悪くない。悪いのはグレンを巻き込んだお前だ。だが、当主がいい加減なことをしていると周りの者にシワ寄せがやってくる。人の上に立つとは、そういう覚悟と責任感が必要なのだ。その意識が足りないから、下の者が迷惑を被る羽目になるのだ」 「は、はい、その通りです! 悪いのは全部俺です! だから本当に、これ以上グレンを殴るのはやめてください……! お願いします、お願いします……!」  最後はほとんど泣きそうな声になっていた。  オルティガが懇願したせいか、ナルギスの殴打も止まった。  次いでナルギスはややトーンを抑え、グレンの方を向いた。 「グレン、お前もお前だ。いずれは当主を支え、時には諭す立場になるべき人間が、一緒に遊び呆けていてどうする。お前たち二人がこんな有様では、私は死んでも死にきれんぞ」 「申し訳ありません……」 「当主は当主、側近は側近の役目があるのだ。いつまでも友人ごっこをしてはいられない。そのことを決して忘れるな」  痛みを伴うお説教をし、ナルギスはまたよたよたと部屋を出ていった。  オルティガはがくりと膝を折り、跪いているこちらを抱き締めてきた。 「グレン、ごめん……ごめんな……。俺のせいでこんな目に……。痛かったよな……」 「いや……」 「俺、頑張るから……。グレンが傷つかなくても済むように、立派な当主になってみせるから……。だからごめん、しばらく出かけるのはナシにしような」 「う、うん……」 「じゃあ俺、勉強してくるから……」  ぐすっ、と鼻を啜り上げ、半ば逃げるように自分の部屋に戻っていった。  自分のせいでグレンが殴られるのを目の当たりにし、罪悪感で顔を合わせられなくなったのだろう。

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