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第12話
俺の尻尾を触ろうとするジーヴルの手から、俺はヒョイと逃げる。
ジーヴルの凛とした顔が、少し残念そうに曇った。
「触るな変態っ」
俺が吐き捨てると、ジーヴルはいたって真面目に頼み込んでくる。
「触らせてくれたら、今夜は別のベッドで寝ると誓う」
「そもそも同じベッドで寝るという前提がおかしいのだ貴様は! あと『今夜は』って何だ!」
「つれないことを言うな。
執務や勉学、部活で忙しくて……最近もふもふを触れていないのだ」
「もふもふした動物が好きなのか?」
「ああ」
それは意外な情報。
あ、別にギャップがあって可愛いなどと思ってはおらんぞ!
こんな見えすいた仕掛けにときめくほど単純ではない、何故なら俺はラスボスだからな!
「まあ、大人しくすると約束するなら触らせてや……」
「恩に着る」
俺が言いきる前に、ジーヴルは俺の尻尾を掴んで撫でさすった。
ああ、くすぐったいな……!
しかし約束を守らねばならないのは、こちらも同じ。
されるがままになってやる。
「大好きなトラゴスに、大好きなもふもふが付いているとはな。
これは運命かもしれん」
「勝手に言ってろ」
あまりに馬鹿馬鹿しい発言に、ちらりと背後のジーヴルを見下ろすと、彼はうっとりと微笑んでいた。
……本当に整った顔だな。
いや、精巧なグラフィックに見入っていただけだ!
俺はジーヴルのことなんか好きではない!
どたばたしているうちに、夕飯の時間になった。
運ばれてきた食事を俺もパンやスープなどを少し貰ったが、俺にとっては栄養にならないので、ほとんどジーヴルにあげた。
氷の籠に閉じ込められた蝶をぼんやり眺める俺に、ジーヴルが話しかけてくる。
「旅で疲れたのではないか? 栄養を取った方が良いのでは……」
言いながら、ジーヴルはまたズボンを脱ごうとする。
俺が薬で倒れた時も、こんなことがあったぞ。
「またか変態!」
「いや、私は……」
「うるさい!」
俺はさっさと風呂場に逃げた。
「入って来るなよ!」
念を押すことも忘れずに。
その後は本当にジーヴルが馬鹿なことをすることはなく、交代に風呂に入ってから、一メートルほど離れたベッドでそれぞれ眠りについた。
翌朝は、俺の方が早く起きた。
……誓いの通り、寝込みを襲ってはこなかったか。
そこは評価してやる。
全く、変態なのか誠実なのか分からん奴だ。
そう思うと同時に、何やら胸が温かくなってくる。
自分でも分からないが……さては、果てしなく俺様な性格をしたジーヴルが時折見せる真摯さに、心安らいでいるというのか?
いやいや、そういうのは良くない。
横暴な奴がたまに見せる優しさにときめくなんて……ギャップ萌えなんぞという安易で単純なキャラクター造形に俺が引っかかるものか!
目覚めてもモヤモヤだらだらしていた俺とは反対に、ジーヴルは定刻になるとしゃきっと目覚めた。
「おはよう、トラゴス」
「おはよ……」
結局、布団とお別れしたのが遅いのは俺の方になってしまった。
いつもはもう少し寝覚めが良いのだが……我ながら、どうしたことだ。
外はすっかり晴れていた。
氷の籠を壊し、蝶を逃してやる。
ジーヴルに尻尾をもふもふされるきっかけになった憎き蝶だが、懸命に羽ばたく黒い|翅《はね》は綺麗だ。
ジーヴルがサンダルとエベーヌの綱を解いている間、俺はそれをずっと目で追いかけていた。
俺の横に広い視界の隅に、微笑んでいるジーヴルが映る。
「何だ、ニヤニヤしやがって」
「いや。君は可愛いな、と思っていただけだ。ビケット」
「やかましい。
お前、サンダルとエベーヌに感謝しろよ。
こいつらが居なかったら、お前は今頃俺の炎でズタボロに敗北していたぞ」
「それはどうかな」
喧嘩を売り買いしつつ馬に跨り、再び王城を目指す。
その日の正午には、城の門をくぐることが出来た。
人の出入りが多く賑やかな、象牙色の平城。
あちこちではためく青地に金の薔薇の旗が、ポエジー王家の紋章なのだろう。
「おかえりなさい」
明るく品のある男女の声がした。
声の方を見ると、宝石をちりばめたクラウンを戴いた仲睦まじげな男女が、横にずらりと護衛を付けて立っていた。
女性の金髪、男性の褐色の肌はそれぞれジーヴルに似ている。
もしかしなくても、彼らがジーヴルの両親。
この乙女ゲーム世界の政治では最高権力者だ。
「ただいま」
「はじめまして。別のゲームで魔王をしていたトラゴス・ビケット・オーデーと申します」
俺たちは揃って下馬して挨拶する。
「私はジーヴルの父で、この国の王。
ルミエルです」
「私は王妃のブランシュです。
息子が増えて嬉しいわ、トラゴスさん」
ルミエルもブランシュも、にこにこしている。
俺を息子とか呼ばないでくれ!
貴方たちを義理の両親と呼ぶ予定は無いぞ!?
「まだ伴侶と決まった訳ではないんですけどね……!」
俺は、やんわりと反論する。
「あら、そうだったわ。
まだ良いお返事はいただいてなかったわね」
「嬉しさのあまり、ついうっかり」
二人は和やかに笑っている。
和やか……なのに、謎の迫力を感じる二人だ。
さすがは俺様王子の親御さん、というわけか……。
「疲れたでしょう、早速お昼にいたしましょう」
「トラゴスさんは、食事は不要だが嗜好品としては味わえるのだったね?」
「ええ、まあ」
「喜んでいただけるよう、この国の各地から名産を取り寄せておきました。
是非たくさん召し上がってください」
「はい。ではありがたく……」
早速、会食という訳か。
俺が王子の伴侶に相応しくない悪の華だと、ルミエルとブランシュに思ってもらう大チャンスだ!
広い食堂に通されて、長いテーブルの真ん中辺りに俺とジーヴル、ルミエルとブランシュがそれぞれ隣に座って、双方向かい合う。
出された食事は大きいエビとか、分厚いローストビーフとか、まん丸のパンとか……そんな感じだ。
目的が頭から吹っ飛びそうなほど『美味しい』。
「お城のことをジーヴルから聞いたことは無かったのですが、とても美しく、民と近い目線に立とうという王家の心遣いが感じられる良い所ですね」
俺が切り出すと、ルミエルは苦笑した。
「おやおや、ジーヴルは家のことを何も話していなかったのか」
「ええ、何故かそういう話はあまり」
婚約者との挨拶のテンプレを、少しアレンジしてみた。
普通は、婚約者から話に聞いていた通り素敵な所ですね! と言うものだ。
裏を返せば、実家の情報を聞かされていなかったと言えば、不仲アピールが出来るのだ!
「でも、ジーヴルが話してくれなかったのも当然かもしれません。
俺は全盛期であれば息をするだけで世界を滅ぼしかけた、生まれながらの魔王。
本気を出せば平城の一つや二つ、すぐに乗っ取ってしまうでしょうから」
さらに、危険分子をアピール!
どうだ! 幻滅したか!?
するとジーヴルが、城に来てから重かった口を開いた。
「ビケット。興味が尽きない君のことを知りたいあまり、実家のことを話していなかった。
すまなかった」
くそっ、逆手にとって口説いてきやがった!
しかしよくも親の前でこんな台詞を吐けるものだ。
「まあ、さすが我が子。情熱的ね」
ブランシュが小さく拍手した。
この子にしてこの親あり……!
「俺とジーヴルは、偶然出会ったんですよ。
校則を破った私を叩き直そうとしたジーヴルと決闘になったのがきっかけで、それから何度も戦う仲になったのです。
俺が全面的に悪いんですけどね!」
俺がすかさず悪事を述べるが、ルミエルもブランシュもいやな顔ひとつしない。
「青春ね」
「ああ」
結局、魔王アピールが不十分なままに食事は終わってしまった。
次のチャンスで挽回しなくては……。
いっそ、ご両親の目の前で急にジーヴルに決闘を挑むか?
俺が考えていた時、食堂に幼い声が響いた。
「ルミエル様、食後のお薬をお忘れです~」
「おお、ありがとう」
小間使いが薬を持ってきたか、と思いちらりと目線をそちらに遣る。
同時に驚愕で目をみはってしまった。
声の主も俺の存在に気付いたようで、ぱちくりとこちらを見ている。
顔を見られまいと背を向けたが、遅かった。
「あ、昨日助けてくれたお兄さん」
そう、道中で助けてやった魔人の子だ。
「トラゴス、いつの間に人助けなどしていたんだ」
こちらの焦りなど知らず、ジーヴルが訊ねてきた。
「知らん。人違いではないか?」
「違わないよー、炎使いのお兄さんだよね?
魔人で炎使いなんて珍しいから、間違えようがありませんっ。
あの節はどうもありがとうございました」
子どもはぺこりとお辞儀している。
「この子は、王家直属の医者に仕える看護師見習いなのです。
こんな偶然もあるんですね」
「トラゴスさんには感謝ね」
ルミエルとブランシュは、ますます破顔している。
このままでは、国家権力で引き離してもらう作戦が失敗してしまう!
「いや、これは本当に人違いで!
俺は本当に最悪の魔王で」
「まさか。
ジーヴルからの手紙には、トラゴスさんの人となりがたくさん書いてありましたよ。
それを読む限り、悪い人だなんて思えませんでしたけれど」
……え? 手紙?
「悪に生まれついたのは事実かもしれないが、律儀で礼儀正しい……とか」
「自分より弱いものを傷つけることはせず、常に強いものに挑み続ける……とか」
「それはもう、覚えきれないくらい書いてありましたよ」
ルミエルとブランシュの発言に愕然とした。
ジーヴルの手紙のせいで、俺は既に好意的に捉えられてしまったらしい。
そうだ、城に着いた時に気付くべきだった……!
ルミエルたちが、俺が食事を必要としないことを当然のように知っていたことが、そもそもおかしかったのだ!
俺に関する情報がどこからか流れていると、そしてその元がジーヴルであると、早くに気付くべきだった!
遠回しに実行していた作戦は全て無駄になってしまった。
こうなったらもう、直球だ!
思いきって言ってやる!
「お、俺は魔王です!
悪魔の王! RPGのラスボス!
それが乙女ゲームの王家に入るなんて、相応しくないかと!」
しかしルミエルは、おおらかに笑った。
「むしろ喜ばしいことだ。
王としての責任を身をもって知る貴方なら、ジーヴルと支え合って良き伴侶になれるかもしれない。
それに……」
ルミエルは意味ありげに、隣のブランシュを見た。
「私は、ポエジー王家では珍しい一般市民の王妃です。
王家の相手はたいてい、国内の貴族や、隣国の王族から|娶《めと》るものですから。
自分が王家に相応しくない気がして、悩んだこともありましたが……ルミエルを好きという気持ちが勝ったから、ここに居るのです」
ブランシュが話し始める。
王妃にそんな経緯があったのか。
「恋なんて何が起こるか分からないものです。
正直、トラゴスさんはジーヴルと結婚するかもしれないし、しないかもしれない。
でも、王家のためだなんて理由で、後悔するような選択をして欲しくはないの。
トラゴスさんが王家に来てくれるなら、私たちは歓迎いたします」
……ブランシュが言うと、重いな。
王にも王妃にも、俺がラスボスとして掲げているのと同様の、硬い信念があるようだ。
これ以上、あれこれ誤魔化すのは不可能のようだ。
国家権力で引き裂いてもらう作戦は、ひとまず保留だな。
「ジーヴルの気持ちに応えられるがどうかは分かりませんが……お二人のお気持ちは、ありがたく頂戴いたしました」
俺が言うと、ルミエルとブランシュは微笑んだ。
その後は執事やジーヴルの案内で、城内を見て回り、夜にはロジエ魔法学園へ帰り着いた。
しかし日を置くことなく、俺とジーヴルは再び王城へ赴くことになる。
「ジーヴルが魔法を使えなくなった!?」
授業の合間の小休憩中。
衝撃のあまり、ジョリーの言葉をオウム返ししてしまった。
「ええ、そうなの。
二限目にいつも通り魔法を使ってみたら、発動しなかったようで……」
「そんな……ジーヴルより強くて意地悪で絶望させ甲斐のある奴など、この世に居るのか!?
俺の望みはどうなる!?」
「それは知りませんけど」
いや、本当に一大事だ。
俺はジーヴルの居る教室に向かった。
「ジーヴル!」
「……君は?」
「え?」
こちらを見たジーヴルの一言に、俺は思わず硬直する。
俺に言ったんだ……よな? どう見ても、背後とか横に誰も居ないし……。
「私としたことが、知らない生徒が居るなんて……」
ジーヴルは頭を抱えている。
……こいつ、俺のことを忘れたのか!?
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