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第20話
えーと、これだけ混ぜれば大丈夫だろうか?
まだ黄身と白身が分かれているような気もするが……いくら混ぜてもここから状態が変わらんのだ。
て、適量ってどれくらいだ……!?
分からないからレシピを見ているのに、その書き方はあんまりではないのか!?
寮室に備え付けられた小さなキッチンの前で俺がおろおろしていると、ドアをノックする音が聞こえた。
「はい」
ドアを開けると、廊下にはジョリーとルルが立っていた。
「トラゴス、ノート貸してくれてありがとうございますわ」
「うむ」
ノートを返してくれるジョリーの横で、ルルがきょろきょろしだす。
「良い香り~。何か食べてるの?」
「いや、作っていた」
「魔王もお菓子作るんだね。
あっ、まさかガトー祭でジーヴルに贈るため?」
ルルがキラキラした目を向けてくる。
ジョリーも、まあ……といった顔をした。
二人は何故か、俺がジーヴルに決闘を挑み続けることを、執着していると解釈しているのだ。
どうやったらそんな解釈になるのだ?
「間違ってはいないが、別に喜んで用意している訳ではないぞ!
お菓子を用意しなければジーヴルに脅されて、それ以上の何かを要求されるのではないかと思ってな……」
「あ~」
俺が理由を話すと、二人は苦笑混じりに納得した。
そう、ジーヴルはそういう奴なのだ……!
ジョリーとルルは、くすっと吹き出すと、意地の悪い顔でこちらを見てきた。
「要求されちゃえば?」
「ルルもそう思いまして?」
ジョリーは悪役令嬢だからともかく、ヒロインのルルがやっていい顔ではないぞ!
「集中したいので出て行ってもらえると助かる!」
「はあ~い」
「頑張ってね」
俺はジョリーとルルを追い出して、再びキッチンに向き合った。
どうせ喜んでもらうために作る訳ではない。
いっそ、辛いものでも入れておいてやろうか?
出来あがっていくチョコマフィンを前に、そんな考えがよぎる。
が、やめておいた。
別に、ジーヴルに遠慮した訳ではない。
今からわざわざ辛いものを調達しに行くのが面倒なだけだ!
かくして、ガトー祭当日が訪れた。
「トラゴス」
朝一番、寮を出た瞬間に、ジーヴルが寄ってきた。
周りには他にも登校していく生徒が居る。
衆人環視の中、綺麗にラッピングされたお菓子を渡された。
王子が用意したにしては庶民的だ。
バカでかい宝石箱みたいな器で渡されるのではないかと、少し身構えていたのでな。
「今日は愛する人にスイーツを贈る日。
それは中身もラッピングも、全部私の手作りだ。
君に捧げるよ、ビケット」
やはりな。
ジーヴルの発言に、周囲からは悲鳴が上がるが、俺は澄まし顔を保つ。
何でも金と権力で解決出来そうな美少年が俺のためだけにスイーツを手作り、なんて安易なギャップ萌えには引っかからないぞ!
「君はお菓子を持っていないのか?
それなら」
言いかけたジーヴルの口元に、俺も用意していたチョコマフィンを渡す。
「ほれ! お菓子を持っていなければ代わりにデートしてくれ、といったところか?
お前ならそう言うと思ったぞ。
そんな条件を呑まされてたまるかっ」
「用意してくれていたのか。
ありがとう、ビケット」
な、なんだか普通に喜ばれてしまった。
「う、うむ。まあ、こちらこそ礼を言うぞ。
大儀であった」
「良ければ、授業前に薔薇園でお茶でも……」
ジーヴルに誘われるが、断った。
……俺の作戦は、これからだ。
「悪いが、他に用事がある」
俺はこっそり、ジーヴルの行き先に先回りした。
図書館に続く、人気のない小路。
「……よし」
魔法道具で、幻の他校生徒を作り出す。
大人しそうな少女だ。
ジーヴルが近付いてくるのを見計らい、幻に向かって適当な空箱を差し出し、話し掛けているふりをする。
俺が他の者にもスイーツを渡していると知れば、ジーヴルは嫉妬で怒り狂うだろう。
怒り狂ったジーヴルに決闘を申し込めば、手加減無しの本気のジーヴルと戦えるかもしれぬ!
「……トラゴス?」
聞いたこともないような、掠れた声がした。
思わず振り向くと、悲しげな顔をしたジーヴルが立っていた。
「何故だ……?」
ジーヴルは頭を抱えてひどく考え込むと、きびすを返した。
「ジーヴル!」
思わず引き留めてしまった。
俺は自分でも知らぬ間に、ジーヴルの寂しげな背中に縋り付いていた。
予定と全然違うことをしてしまっている。
「済まなかった。
ほら! この娘は魔法道具で作った幻なのだ」
魔法道具に魔力を送るのを止めると、少女の姿は掻き消えた。
「私の愛を試したのか?」
ジーヴルの震える声が訊ねてくる。
「え、いや、俺はただお前を苦しませようとして」
追い討ちをかけるようで済まないが、それが真実なのだ!
ああ、自分で始めたことながら、どう収集をつければ良いのか分からない!
しかし、続くジーヴルの言葉は意外なものだった。
「言い訳は不要だ。
トラゴスが私のことを好きなのは分かっている」
ジーヴルは振り向いて、俺の顎を強引に掴む。
「そういう一面もあるのだな。ますます好きになった」
そう言ってジーヴルは不敵に笑う。
どんな自信だ、こいつ!
しかし……ジーヴルから目が離せない。
俺は生まれてこのかた、他人の恐怖の表情にしか興味がないと思っていた。
しかし……ジーヴルに関しては別だ。
笑顔ですら好ましいと思ってしまう。
結局はジーヴルの言う通り、そしてルルやジョリーの言う通り。
俺はジーヴルのことが好きだったのだ。
たぶん、乙女ゲーム世界に来てからそんなに経たないうちから、ずっと。
だが、こんなものは一過性のバグだ!
俺が他人の笑顔にときめくはずがない。
いつかバグが消えれば、俺はジーヴルを絶望の底に叩き落とすことを望むだろう。
俺は魔王トラゴスなのだから!
「……今ので確信した。
俺はやはり、ジーヴルと一緒になるべきではない」
俺は呟くと、魔法陣を展開し、辺りを炎で包んだ。
「ビケット!?」
「その名で呼ぶな!」
自分のような、人の恐怖や絶望を喜ぶ魔王がジーヴルの側にいるべきではない。
決闘もやめにして、永遠に関わらない方がいい。
伴侶なんてもってのほか!
少なくとも今の俺はジーヴルを大切に思っている。
だからこそ、俺は俺をジーヴルに近付けたくない!
「決闘しないのか!?
何故そんなことを言う……!」
ジーヴルは叫びつつ、身を守るために氷をまとった。
俺はそれを狙っていた。
ジーヴルが作り出した氷の冷気で、冷やされた煙は下へ下がっていく。
煙が二人の間に立ち塞がり、ジーヴルの視界を覆ったところで、俺は彼に背を向けて学園の外へ走り出した。
……もう、学園に居る理由さえ無くなってしまった。
再びバグが起きて、RPG世界に帰れたりしないものか。
町を彷徨っていると、道の真ん中に人だかりが出来ていた。
見ると、人だかりの中心には、乙女ゲーム世界では珍しいほどゴテゴテした鎧を着た男が倒れていた。
見覚えあるな、こいつ。
……こいつ、RPG世界の勇者ではないのか?
勇者はうめきながら起き上がる。
そして俺の顔を見つけると叫んだ。
「あーっ、魔王トラゴス!?」
「うわぁ、お前も乙女ゲーム世界に来たのか……」
見て分かる通り、俺はすっかり乙女ゲーム世界に馴染んでいる。
なので、魔力全盛期の歩く災害だった俺を討伐するのにも苦悩していた勇者が、剣を抜くことは無かった。
しかし、勇者は深刻なトーンで語る。
「思い出話をしている時間はない……凄くまずいことになっている。
RPG世界はもう壊滅状態だ。
このままだと乙女ゲーム世界も滅ぶぞ」
そう言う勇者の顔が、どんどん見づらくなっていく。
空が謎の瘴気で黒く染まり、太陽が隠れていた。
そして空には、白く輝く女の姿があった。
「あれは、お前のところのパーティーの聖女……に似ているが、少し違う……?」
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