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十二 邂逅(後編)

 いちばん近い角を曲がり、一息ついたところで、志千(しち)は正面から百夜(ももや)の両肩を掴んだ。 「もも、百夜ぁ……。ああもう、危ないことすんじゃねえ!」   本人は反省の色もなく、ふんと横を向いて説教を突っぱねた。  「貴様こそ、なぜ黙らせない? あんなのすぐ殴れ」 「相手にしてもしかたねえだろ。蝶子さんもいるんだしさ。あ、蝶子さんは大丈夫? 怖くなかった?」   少女はふるふると首を振って、 「ウチも(ほうき)があったら(はた)きたかったよ、あんなやつら」  そう平然といってのけた。 「弁士、貴様こそ、ほんとうに大人ぶって我慢していたのか? 劣等感を刺激されてなにもいえなかっただけだろう」 「うっ……」  またしても図星を指摘され、志千は言葉を詰まらせた。 「ただの妬みや野次をいちいち気に病むな。貴様の進んでいる道に立ちはだかっているのは、奴らじゃない」  そう、父を超えるための障害は自身であって、外野は無関係だ。  よけいな声は耳に入れず、ひたすら邁進(まんしん)すべきだと志千も頭ではわかっている。 「……でも、おまえだって活動嫌いのはずじゃねえの? あいつらと似たような文句をいってたじゃん」 「おれは活動がなんといわれようがどうでもいい」 「じゃあ、なんで怒ったんだよ」 「貴様が侮辱されたからだ」  我儘(わがまま)で、気位の高い男だと思っていた。  だが、今までを思い返してみても、百夜が本気で怒るのは──自分自身よりも身近な誰かが傷ついたり、(おとし)められたときだったのだ。  志千は肩を掴んでいた両手で、少し背の低い頭を包みこんだ。 「百夜、おまえ、じつは結構いい子だよなぁ」 「いい子!? ガキじゃないぞ!」  もがいているのを構わず抱きすくめ、 「自分じゃなくて他人のために怒れるんだ。ちゃんと手が届く範囲を守ろうとしてて、えらいよ。まあ、本当のいい子は人をビール瓶でどつかねえんだけど」 「……母のときに、一度失敗しているから」 「うん、これから一緒に探そうな」  手のひらで後頭部をぽんぽんと撫でる。 「でも、暴力はやめろよ。やり返されたらおまえも危ねえし、あいつらだって顔面は商売道具だ」 「だから未遂にしてやったろうが」 「未遂ではねえかな……」 「あと、いつのまに呼び捨てにしているんだ。何度いっても勝手に触るし、貴様はいつも距離が近すぎる」 「あ、人前で呼んだのはまずかったか?」  焦っていたのもあって自然に名を呼んでしまったが、本人が慎重に正体を隠しているのに悪いことをしてしまった。 「べつに、かまわない。おれと残菊が結びつかなければいい。『花村百夜』という人間なぞ、この世には存在しないに等しいからな」  そういって志千の胸を押し返し、腕からすっと逃れていった。  とりあえず今日は帰ろうと話し、大通りに戻った。  だが、間の悪いことに鶴月座(かくげつざ)の連中と鉢合ってしまった。 「座長!! 奴らです!!」  百夜にどつかれた役者が、志千らの姿を発見してまた騒ぎだす。  集団の中には、さきほどはいなかった人物が混じっていた。  緊張した面持ちの若者たちに囲われ、座長と呼ばれた初老の男はゆったりとこちらのほうへ歩いてくる。  高級な背広に口髭、顔立ちは彫りが深く、体つきもがっちりとしている。  由緒ある劇団を率いる長に、ふさわしい威厳を備えていた。 「座長、聞いてくださいますか。あいつらが──」 「私がいつ口を開いていいと許可をだした? きみは私に訴えを聞き入れてもらえるほど、一座に貢献しているのかね」 「い、いえ」 「ならば分を(わきま)えろ」 「で、でも、僕にビール瓶を──」 「くどい。公衆の面前でそれ以上の恥を晒すな。今後も鶴月座を名乗りたいのであれば」 「はっ、はい……」  役者の言葉を一蹴し、彼らの存在が目に入っていないかのように視線も合わせなかった。  そこに、助け舟が入る。こちらもさっきは見かけなかった人物だ。 「まあまあ、あなた。そのように無下(むげ)にしては可哀想じゃありませんの。彼だって一座を背負う俳優になるかもしれませんのよ」  鳩羽(はとば)色の留袖(とめそで)を着た年配の婦人が、座長にいった。  呼び方や雰囲気からして、座長の奥方のようだ。 「お前に演劇のことはわからんだろう。黙っていなさい」  奥方は涼しい顔のまま扇子(せんす)を口元にあて、若手役者に目配せをする。「何を言っても無駄」と言いたげな表情だ。  先頭を歩く座長が、志千たちの立っているほうへ近づいてきた。  緊迫した空気に志千は思わず身構えたが、百夜の前に立った途端、気難しいしかめ面を解いて意外そうに目を見開いた。 「その面立ち……。もしや、千代見(ちよみ)の子かね」  初代残菊の本名は花村千代見。  息子がいるのは世間に隠していたが、この男はかつて彼女が属していた劇団の座長だ。百夜の存在や二代目の正体を知っていても不思議ではない。  百夜は警戒心を剥きだしにして座長を見据えていたが、視線は逸らさなかった。 「私を知らなくても当然だな。きみとは産まれてから一度も会っていないのだから。母親によく似て、美しい顔をしている」  口元は薄く笑っているのに、不気味なほど冷たい瞳だ。 「きみがあれの名と姿を騙った映画も一度だけ観た。見映えだけではなく、演技すら模倣の贋作に過ぎないが、そう悪くはなかったよ」  褒めているようで、まったく心がこもっていない。二代目残菊など歯牙にもかけていないといった態度だ。  志千は百夜を守るように前にでて、相手を睨んだ。 「なにがいいてえんだよ、オッサン」  だが、あっさりと無視された。 「──あれと同じで、所詮はきみもドブ川に咲く花だ。多少見てくれが綺麗だったところで、枯れてしまえば、そこには汚水しか残らないんだよ」  氷のような眼差しで百夜を射抜いて、座長は去っていった。  ぞろぞろと鶴月座の連中がその跡について歩いていく。  奥方がすれ違いざまに百夜を見て、足を止めた。 「あら、顔は似ているけれど、実物はちゃんと男の子ですのね」  湿った目つきで上から下まで眺める。  その隣には百夜がどついた若者が並んでいる。ぎろりと()めつけてきたが、座長の手前か、なにもしてこなかった。  そのとき、去ろうとした奥方が蝶子とぶつかった。小さくて目に入らなかったようだ。  奥方は謝罪するどころか、蝶子を冷たく見下ろした。 「まあ……なんて汚い子」  吐き捨てるようにいってふたたび歩きだし、ようやく一座の姿が見えなくなった。  自分の恰好をあちこち確認しながら、蝶子がおろおろとした口調でいう。 「ウチ、汚い……? 持ってる洋服の中でも、まだ綺麗なやつなんだけれどねえ……」 「蝶子さんは汚くないし、可愛いよ。服も似合ってる。あんなやつらの言葉なんか聞かなくていいぜ」  少し落ち込んでいる少女を励まし、志千たちも興行街を後にした。

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