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十四 小山内桜蒔

 芝居小屋の準備と並行して、演目を考える必要があった。  役者は百夜(ももや)だけだ。しかも、人形に(ふん)しているため一か所から動けない。  無許可営業では警察に踏み込まれる危険性もあり、すぐ撤収できるように背景や道具も簡略化する必要がある。  それでもこういうものだと、この世界を魅せているのだと観客に思い込ませなければならない。  背後にひそむ黒衣の志千(しち)も含め、すべては人形劇を模した演出だと思わせるのだ。  演技力に懸かっている芝居で、難易度は高いが、自分と百夜を信じるしかない。 「一人芝居か……。西洋の戯曲には多いが、菊人形の雰囲気に合わねえよなぁ」  脚本が悪ければ、演技以前の問題だ。  客を集めないことには話題にもならず、犯人もおびき寄せようもない。 「演目に関しては、協力を仰ぎたい人がいる」 「協力?」  百夜の提案は意外だった。  この青年は人に踏み込まれるのが嫌いで、まさか協力者になり得る者がいるとは思わなかったからだ。 「大丈夫なのか?」  初代と二代目の秘密が露見しても問題ないのか、という意味で尋ねた。 「古くからの知人だ。信用していい」 「ああ、王子様かね」  朝の洗濯をしていた蝶子が、前掛けで手を拭きながら会話にはいってきた。 「おうじさまって」 「またの名をリトルプリンスだよ」  呼び名からしてすでに胡散臭(うさんくさ)さが漂っている。 「ももちゃんに女のふりをさせて活動にだしたのも、残菊の名を使わせたのも、王子様なんだよ」  要は、百夜が以前話していた『とある人物』のことである。  騙されたふうに話していた気もするが、想像していたより親しい関係性のようだ。 「ふーん……。おまえが素直に頼るってことは、よほど信用してんだな」  喜ばしいが、なんとなく胸がもやっとする。  対抗心が芽生えているのに気がついて、志千はいやいやとかぶりを振った。 「何に対しての張り合いだよ。わけわかんねー」 「ぶつぶついってないで、とりあえず会ってみなよ。しちちゃんはたぶん……」  思わせぶりに、そして楽しそうに蝶子は含み笑いをした。 「気が合わないと思うけれど」  ***  その男はいつも興行街に入り浸っているというので、各々の仕事が終わってから待ち合わせた。  相変わらずの混雑ぶりだが、隣を歩く百夜は昨日より落ち着いているようだ。  志千のお気に入りの帽子はすっかり奪われてしまっていた。  今年はいつまでも暑さが去らないと思っていたが、少しずつ季節は移っているようだ。  夕方になればからっとした涼しさがでてきて、だいぶ過ごしやすくなってきた。  そろそろ冬物の注文をしておきたい。  明日の帰りにでも帽子屋に寄るか、とぼんやり計画を立てる。  自分用は羊毛でできた真っ黒の山高帽にしよう。百夜にはいま被っているのよりも、褪せた感じの(すず)色で、リボンは太めの薄茶が似合いそうだ。  と、思い描いているうち、どうして当たり前に二人分買おうとしているんだと、また頭を振った。  ──どういう心境だ。貢ぎたいファンなのか?  ひとりで戸惑っていると、 「ほら、あそこ」  蝶子が人通りの多い路地にあるミルクホールを指さした。  中にはいってすぐ、銘仙(めいせん)の上に前掛けをつけた女給に呼びかけられた。 「あら、蝶子ちゃん。どうしたの、いい男を二人も連れて」 「へへー、うらやましいだろ。王子様はいる?」 「先生なら、いつもの席にいらっしゃるわよ」  と、案内してくれる。  蝶子はまだ幼いのに顔が広い。社交性の問題だろうか。  その男は観葉植物と衝立(ついたて)で遮られた奥のテーブルで、突っ伏すような恰好をしていた。  卓上には灰の溜まった煙草盆があり、原稿用紙が散乱している。  王子様と呼ばれているからには、いったいどんなキラキラした男がでてくるのかと思えば── 「やっぱり胡散臭いじゃねえか! リトルプリンス!」 「ん~? なんの騒ぎじゃ。ようやく筆が乗ってとったのに、やっかましいのう!」  着丈の合わないぶかぶかの書生羽織を身に着け、色付き硝子(がらす)の丸眼鏡をかけていた。年の頃は二十代半ばくらいだろうか。  背丈はあまり高くなく、体格がいいわけでもない。  だが、西の訛りでまくしたてるように喋るせいで、妙な凄みがある。  赤茶けた短髪に、細目で狐っぽい顔つきをしているのも、怪しさに拍車をかけていた。  いっそ清々しいくらいにいかがわしい。  百夜の姿を認めるなり、煙管(きせる)と万年筆を放りだして立ちあがった。 「あっ!? もも!? なして? なしてこんな人が多い場所に来とるん!? 明日は嵐じゃのう!?」  そして、うるさい。  なぜ王子様と呼ばれているのか、志千には皆目わからなかった。 「執筆中だったか。邪魔したな」 「ええんよ、こんなもん! どーせ五分後には飽きて遊んどるけえ。ももの顔を眺めるほうが百倍はかどるわぁ。きっとあれじゃな、インスピレイションゆうんが働いて──」 「え、なれなれし……」  呼びかたも、まとわりつきかたも、あまりに鼻について思わず声がでた。 「あ? 誰じゃ、おどりゃあ」  さきほどの愛想のよさはどこへやら。こちらに気づいた男は、細い眼を光らせて|睨《ね》めつけてきた。  志千も売られた喧嘩は買うたちだ。 「どーもこんばんは。さっきから俺には見向きもしねえけど、誰って訊いてきたからには自己紹介させてくれんの?」 「いやー? 残念じゃけどー、わしゃあおどれみたいなチャラついた顔の男にはこれっぽっちも興味ないのー」  視線が交わり、空気に冷たいものが走った。 「まあ聞けよ。俺は先週からあいつと一つ屋根の下に住んでる牡丹荘の下宿人だ。襖をあけたらすぐそばにいるお隣さんってわけ」 「ほーん、つまり出会って一週間の他人じゃのう。わしはこーんなこまい赤子の頃から、もものこと知っとるけえ」  突然はじまった(いさか)いを横目に、百夜たちは隣の卓について女給を呼んでいた。 「冷やし珈琲とソーダ水をひとつずつくださいな。ももちゃん、なんであの子たちはいきなり喧嘩してるんだい?」 「さあ。どっちも馬鹿なんじゃないのか。そんなことより、シベリア食べるか? 今回の出演料がはいったから頼んでやる」 「やったー」  羊羹(ようかん)をはさんだ菓子を食べ、飲み物が空になったころ、ようやく静かになった。 「気は済んだかい?」 「おうよ。蝶子さんの予想どおり、まったく分かり合えそうにねえわ」 「お嬢~、なにもんじゃ、こいつ! どこの馬の骨とも知らん奴を住まわしたら危ないけん、はよ追いだしんさいや! 毎晩女を連れ込んでそうな顔してからに!」 「連れ込んでねえから」  何者はこっちの台詞だが、ならば教えてやろうと名乗りをあげた。 「俺は活動写真弁士の寿志千。百夜に……二代目残菊に声色をあてられるのは俺だけだ」  腰に手をあててふんぞり返る。百夜は引いた様子で志千を見あげていた。  糸目の男はあんぐりと口をあけて、数秒停止する。 「伊勢佐木の……新星?」 「? そうだけど……」  しばらく志千の顔を凝視し、なにやら納得したらしい。  さきほどまでの鋭い眼光が嘘だったかのように、ぱあっと表情を明るくした。 「おどれの『月下の妖女』の説明、ばりよかったわぁ!! わしゃあ、評判を聞いてわざわざ伊勢佐木町まで聴きにいったんよ! 汽車に乗って!」 「そ、そうか?」  今しがたまでしのぎを削っていた相手だが、こうもまっすぐ褒められると悪い気はしない。  我ながら簡単すぎると思いつつ、芸を認められるのにとにかく弱い。 「とくによかったんは妖女の声色じゃ。わしの残菊をあがいに完璧に表現できたんは、おどれだけじゃった!」 「は? 誰の残菊?」 「わしの」  即答である。  悦にはいりかけたのも束の間、こればかりは譲れないと志千はやり返そうとした。 「二代目残菊は俺のファム・ファタル〈運命の女〉だっての──」 「原作はあれど、ありゃあ、わしが命を削って書きあげた脚本じゃけえ。あんときは一年くらいスランプでのー、ももがおらんかったら筆を折っとったかもしれん」  今度は志千が、口をあける番だった。 「脚本って、あんた、もしかして……」 「わしゃあ、小山内(おさない)桜蒔(おうじ)じゃ」  その名を聞いて、衝撃を受けた。  志千にとっても運命を変えた『月下の妖女』をはじめ、二代目残菊が出演している活動写真の脚本をすべて手掛けている劇作家である。 「おさないおうじ、リトルプリンス……」  不可解だったあだ名も、単純に読みからきているらしい。 「舞台の連中、活動を口パク劇だの、筋書きが滅茶苦茶だのと腐しよって。無声映画でも美や情緒は表現できる。わしゃあ、これから映画の時代がくるんを確信しとるけえ。あの作品は、わしの挑戦の到達点のひとつなんじゃ」 「わかる、わかるぜ」 「あえて女形(おやま)にせんと女優を貫いた残菊の演技、それからおどれの声色で、わしが表現したかった『月下の妖女』は完成したんじゃ!」 「いやあ、そんなに褒められると照れるな」  頬を掻きながら、完全に調子に乗せられている。 「ありゃ。今度は急に仲良くなってる。めずらしくウチの勘が外れたかね」 「そうでもない。活動馬鹿なのは同じだが、どっちも我が強いからな。またすぐいがみ合う」 「難儀だねえ」  百夜の予想どおり、桜蒔の発言が皮切りとなった。 「要するに二代目残菊は、わしにとってファム・ファタル──まさしく運命の女なんじゃ」 「いや、そこは譲れねえな。あんたのじゃねえ。俺のファム・ファタルだ」 「ああ!? おんどりゃあ、もものことをなーんも知らんくせに、ぽっと出が図々しいんじゃ!」 「俺は風呂も一緒にはいってんだよ!!」  どんどん次元の低くなっていく男たちをよそに、蝶子は二杯目のソーダ水を飲んでいる。 「おやおや、ファム・ファタル争奪戦がはじまったねえ。しょうもな!」 「馬鹿……じゃなかった、桜蒔先生に頼みがある」  運命の女である青年の鶴の一声で、無益な論争は終わった。 「前に一人芝居の脚本を大量に書いたと話していたことがあったろう。おれに演じさせてくれないか?」  志千の衿首をつかんでいた桜蒔はぱたりと喧嘩に興味をなくし、百夜の問いに食いついた。 「なんじゃ、なんか面白いことするん!? わしにも教えてくれたら考えちゃる!」

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