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十五 連鎖劇

 志千(しち)たちがなぜ一人芝居をやろうとしているのか、劇作家・小山内(おさない)桜蒔(おうじ)に計画をざっくりと説明した。  百夜(ももや)が古い知人といっていたとおり、初代残菊の失踪や、二代目デビュー時の脅迫状など、もとより事情を把握していたため話は早かった。  ふむ、と桜蒔は原稿用紙の上に肘をつき、少し考えてから口をひらいた。 「一人芝居はえーけど、ろくに役者も動けん、道具も置けんのは地味じゃの」 「目的は別にある。なにも面白い劇をやろうってわけじゃねえんだが」 「ばかたれぇ!! 密かに話題にならんといけんのじゃろ? それがどんだけむずかしいかわかっとんか? 最初っから面白くする気もない芝居なんぞ、犬も食わんぞ」  罵倒されてしまったが、どう考えても桜蒔が正しい。  知る人ぞ知るという域に達するのさえ、想像以上に大変なのだ。  計画ばかりに気を取られて気のはいらないものを創っても、人の噂にのぼることすら叶わない。  まったく言い返すことはできなかった。 「こそこそやるんなら一回の上演時間を長くはできんし、脚本は書き下ろしちゃるけん、続き物にしよーやぁ。あとは、舞台美術を用意せんのじゃったら、代わりにスクリーンを置いて──連鎖劇(れんさげき)をやるんはどうじゃ?」 「連鎖劇って……」  簡単にいえば、活動写真と舞台演劇の融合である。  役者が芝居をやりながら、大人数での斬り合いや追跡シーンなど、舞台だけでは迫力がでにくい演出をスクリーン上でおこなう。  舞台と映像が連鎖しているから、そう呼ばれるのだ。  数年前まで大変な人気があったのだが、規制によって現在は禁じられていた。 「そっ。背景も場面転換も、動きが必要なところはぜんぶ映像で表現するんよ」 「今やったら警察が飛び込んでくるだろ。いや、もともと無許可か」 「どーせ違法の芝居じゃ。また連鎖劇を観たいって客はようけおる。ひっそりやるなら悪事のほうが話題になるけえね。わし、カメラとフイルムの編集もできるし」  なれなれしく百夜に擦り寄りながら、うきうきした口調で桜蒔はいった。 「舞台には菊人形に(ふん)したももが座っとるじゃろ。その後ろで絵画みたいにきれーな背景が動いたら、極楽浄土みたいじゃと思わん!?」  悔しいが、桜蒔の意見にはどれも魅力と説得力があった。  さすがこの世界に長くいるだけある。 「あれ、先生って松柏(しょうはく)キネマの前はたしか、鶴月座(かくげつざ)にいなかったっけ?」 「よう知っとるのう。わしのファンか?」 「……いや、まったく?」  そう、小山内桜蒔といえば、初代残菊が現役だった頃は鶴月座の座付作家だったはずだ。  つまり十年以上前から第一線で活躍している。  見た目は志千とさほど変わらない年齢に見えるが、童顔なだけで実際はかなり年上かもしれない。  年齢不詳のせいでひときわ胡散臭くなった。  同時に、なぜ昔から百夜を知っているのか関係性も見えてきた。  鶴月座、すなわち初代残菊から繋がっているのだ。 「王子様はね、鶴月座の座長の息子さんなんだよ。昨日会ったひと」  蝶子の説明に驚いて、志千は声をあげた。 「えっ、あの嫌なオッサンの!?」 「昨日? 会うたん?」 「あー、たまたまな。悪い、親父さんなのに悪くいっちまって」  思わず悪態をついてしまって謝罪したが、桜蒔は苦虫を噛み潰したような表情をした。 「なんじゃこいつ、育ちいいんか? 健全な発想しよって、うざー」 「もうどうすりゃいいんだよ」 「そういやぁ、おどれは寿(ことぶき)(はち)先生の息子か。たしかに目鼻立ちがよう似とる。あのひとは家庭人で有名よな。酒の席では息子自慢ばっかしとった」  業界歴からして志千の父を知っているのは当然だったが、厳しいと思っていた父親の外での姿を耳にして、なんだかむず痒くなった。 「うちの親父と正反対じゃ。ま、わしは(めかけ)の子じゃし、あんなサドジジイどうでもえーわ。奴の大好きな翻訳劇を書いとった頃はお気に入りじゃったけどな」  活動写真に鞍替(くらが)えし、鶴月座から強引に独立したという松柏キネマの側についたのであれば、きっとひと悶着あっただろうと想像に難くない。  しかも二代目残菊をデビューさせたのは桜蒔なのだ。相当仲が悪そうである。 「先生は親父さんとぜんぜん似てないんだな。むしろ蝶子さんときょうだいみてえにそっくり」  狐みたいな瞳と、人間を化かしそうな笑いがよく似ている。  そういった後で、蝶子が捨て子だったのを思いだした。 「いや、でも、年が離れてるし、他人の空似っていうもんな」 「ふっふっふ。どうじゃろ」  慌てて話を終わらせたつもりが、なぜか桜蒔が食いついてきた。 「あのクソ親父はどうしょうもない女好きなんじゃ。遊郭、花街、私娼窟、美女がおったらどこでも飛びつきよる。女優養成所なんかつくっとるが、どーせ育てとる女たちもそのうちのどっかから見つけてきて、食い散らかした女だらけじゃろ」 「はあ……」 「ほいじゃけえ、腹違いの妹の可能性はゼロじゃないのう」  盲亀(もうき)浮木(ふぼく)みたいな確率の話だった。  志千が呆れていると、当の劇作家は「いひひ」と妙な笑いかたをしていた。  そして、蝶子も「いひー」と真似をしている。  変わり者だが、心強い味方ができた。  なんの因果か、三人とも芝居関係の二世というわけだ。 「おれが信用していいと話した理由がわかったか」  と、百夜がいう。 「ああ。胡散臭い見た目に反して、頼りになるかもな……」 「そういう意味じゃない。この人は作品のためなら手段を選ばないんだ。昔からずっとそうだ。裏でなにをしているかわかったもんじゃない」 「見た目どおりじゃねえかよ」 「そうだ。違法だろうとなんだろうと、警察に垂れ込んだりしないという信用だ。むしろ面白がって乗ってくるとわかっていた。ただし、まっとうな件で頼み事はするなよ」  ここまでいわれるとは、過去になにをしでかしてきたのか不安しかない。  本人は相変わらず、怪しい表情で笑っていた。  ***  数日後の早朝、桜蒔が牡丹荘にやってきた。 「全八幕の続きもんにして、とりあえず三幕分の脚本じゃ! 映像はももが休みの日中にまとめて撮りたいのう」 「おお……すげえ……」  先日は意地を張って、まったくファンではないと答えたものの──  志千にとって劇作家・小山内桜蒔は雲の上の存在だった。  子どものときから彼が担当したフイルムを観にいっては「自分だったらこう説明しよう」と頭に思い描き、何度もその作品で練習していたのである。  百夜のためというほうが事実に近いが、自分の声を前提として書かれた脚本に興奮しないわけがない。 「もも、今日はわしも忙しいけえ。またあとで時間つくって読んじゃるわ」 「弁士がいるからいい」 「あー、読むのはあっちがプロじゃわいのー。ほいじゃ、また!」  桜蒔は台本を置いて、嵐のように去っていった。  志千が仕事を終えて、夜。  帰ったら部屋にこいと百夜に呼ばれていた。  いったん着替えてから、向かいの襖をあけると── 「なんで裸!?」  すでに床についていた百夜は、一糸(まと)わぬ姿であった。  うつ伏せの恰好で台本をぱらぱらと眺めている。 「蝶子に浴衣の洗い張りを頼んでいる」 「だから!?」 「仕立て直しが終わるまで寝巻がない」  そういえば、外の庭木に白い反物が張ってあるのを見かけた気がする。 「いやいや……。他に持ってないのか?」 「浴衣と外出用が一着ずつ」 「寝るときはまあいいけどよ、裸で飯食ったりできないだろ。蝶子さんもいるのに、教育に悪い」 「女物なら何着かある」  と、室内の箪笥(たんす)を指さす。 「下に降りるときは羽織るが、寝苦しい。一、ニ年前までは着られていたんだが」  そういえば背丈が伸びたといっていた。箪笥にあるのが母親の着物なら、もう肩幅も丈も合わないだろう。 「(ふんどし)くらいはあるだろ!?」 「あれは締めつけられて好きじゃない。普段から履いていない」    たしかに銭湯でも履いていなかったが、暑いだけかと思っていた。 「事情はわかった。でもな……なんで全裸でそんなに平然とできるんだよ!」 「脱がされるのも、体を人目に晒すのも慣れているしな」 「は!?」 「撮影所の衣装部で」 「ああ……。そりゃそうか。いや、だからって他人を部屋に呼ぶのに裸で待つなよ」  触れられるのは過敏に反応するくせに、体を見られるのは構わないらしい。  慣れの問題なのだろうが、極端だ。 「そんなことより」  本人は心底どうでもよさそうに、のそりと上半身を起こし、台本を志千のほうへ寄越した。  掛け布団がずり落ちる。肩から背中に繋がる体の線と、沿って落ちる長い髪、男のわりに細くくびれた腰回りに目についた。  着替えでも、銭湯でも見ているはずなのに、変に意識してしまう。  うまくいった仕事のあとは、普段より志千の気が高ぶってしまう影響もあった。  胸の奥底から込みあげてくるなにかを、必死で追い払おうとする。    ──なんだ、この、今までに感じたことがない妙な高揚は。  男同士なのだし、百夜本人はたいして気にしていない。  そう自身に言い聞かせようとしても、風呂と布団では背徳感が段違いだ。  だいたい、自分からは夜這い(まが)いのことをしたり、平気で裸を見せたりと、触っただけで嫌がるわりに無防備すぎないだろうか。  外でも無自覚に誰かを誘惑していたらどうしよう。  そこまで一気に考えて不安になり、そうだとしても志千には無関係なのだと気がついて、思考が破裂しそうになった。  頭から雑念を消すためにとりあえず正座していると、百夜がいった。 「おい、聞いているか」 「あ、ああ。なんだっけ」 「台本を読んでくれ」 「って、おまえもまだ最後まで目を通してないんだろ? 俺はあとでいいよ」  そういうと、百夜は志千の膝にぼすっと顔を埋めてきた。  まさか向こうから触れてくるとは思っていなかったため、動揺して頭が真っ白になる。 「……読めないから頼んでいる」 「え?」 「読み書きは苦手だ。仮名と簡単な漢字程度は役者になってから覚えたが、桜蒔先生が書くものは小難しい言葉が多い」  髪の隙間からのぞく耳が少し赤い。  できればいいたくなかったのかもしれない。 「学校、ほんとに行ってないんだな」 「一度も。母もそうだ。この家に読み書きのできる人間はいなかった」  部屋を見渡すと、たしかに本らしきものは一冊もなかった。 「通しで二回ずつでいい。それで覚えられる」 「わかったよ。どのみち台詞は俺の役割だからな。まかしとけ」  百夜が仰向けに寝返る。膝を枕にして聞くつもりのようだ。  瞼を閉じて、志千の声に集中している。  額に落ちた髪を払ってやると、また胸が脈打った。  だが、さきほどの高まりとは違って、とても心地のよい、安らかな充足感だった。  他の誰でもない、自分をまた頼ってくれたことが嬉しい。  髪に触れたまま、いつものように大勢の観客の前ではなく、たった一人のために台本を読みあげた。

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