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二十 約束の着物

 木曜日の朝。  牡丹荘にて、志千(しち)たちは桜蒔(おうじ)を交えた四人で朝食を食べていた。その最中、呼び鈴が鳴る。  玄関まで出ていった蝶子が、封筒を抱えて居間に戻ってくきた。 「しちちゃん、なにか届いてるよ」 「ああ、映画雑誌じゃねえかな。こないだ取材を受けたやつ」  出版社が一部送ってきてくれたらしい。  鳳館(おおとりかん)の館主も好評だと話していた特集が掲載されている号である。 「あ、『月刊キネマ画報』の最新号! 読んでいいかい?」 「おう」  (ぺーじ)をめくると、巻頭にいきなり志千の肖像写真があらわれた。 「おやまあ、いい男に撮れてるねえ」  近頃やたらと女性客が増えた気がしていたのは、この雑誌が発売された影響もあるようだ。 「王子様、これなんて書いてあるんだい?」 「どれどれ……『抱かれたい活動写真弁士 第一位』!? ちょ、もも見てみい」  桜蒔は笑い転げて、百夜(ももや)に雑誌を渡す。 「このポーズはなんだ? 首を痛めているのか?」 「カメラマンの指定だったんだからしょうがねえだろ!」  蝶子はいそいそと(はさみ)を取りだし、頁を切り抜きはじめた。 「せっかくだから額に入れて、記念に飾っておこうねえ」 「せめて文字は抜いてくれよ」 「なんでだい。せっかく人気がでてきた証なのに」  志千の訴えも虚しく、『抱かれたい活動写真弁士 第一位』の煽り文句とともに、初代残菊の写真の横に飾られてしまった。  どこで集計した一位なのか不明だが、印象と現実があまりにかけ離れている。  志千には女っ気など一切ないのに、百戦錬磨のようなポーズで写真を撮らされているせいだ。  だからこそ狐顔の劇作家には大笑いされているのだが、なにも知らない少女は無邪気に雑誌の次頁をめくっていた。 「見て、新人活動女優がたくさん載ってる。この女優さんのデビュー作は観たよ。すごく美人だよねえ」 「女優を使う映画会社も少しずつ増えてきたのう。おっこの美人、寿志千のファンじゃってインタビュウに書いとるで」 「ほんと? しちちゃん、すごいねえ」  桜蒔が読みあげた記事によると、いつか志千に出演作の説明をしてほしいと本人が強く希望しているらしい。 「抱かれたい男ナンバーワンと、そいつに抱かれたい女を隣合わせの頁にするってどういう配慮じゃ」 「抱かれたいとは書いてねえ。捏造すんな」  女の声色のほうが得意な志千からすれば、女優が増えるのも、名指しで希望されるのもありがたい。  ただそれだけの話だったのに、あろうことか百夜がとんでもないことをいいだした。 「その女優を紹介してもらったらどうだ。桜蒔先生ならツテがあるだろう」 「は!?」  まだ誤解が解けていないので当然なのだが、そういえば、志千は適当な女と見合いをしたがっていると思われているのだった。 「あれま、いいじゃないかい。しちちゃんも身を固めるには悪くない年頃だし、ほら、楚々(そそ)とした美人だよ。並んだらお似合いだろうねえ」  蝶子まで乗ってきたが、これ以上話を広げたくなくて雑誌を押し返す。 「いやいいよ。どう見ても百夜のほうが可愛いだろ」 「は?」  今度は百夜が眉をひそめた。  話に巻き込んだ女優には大変申し訳ないのだが、つい本音が漏れてしまった。 「あー……俺は二代目残菊一筋なんだよ」  蝶子の手前もあって、言い訳めいた一言を添える。 「お嬢、こいつはもうだめなんじゃ。そっとしとこ」 「しちちゃんはねえ……二代目にお熱なのは知ってるけれど、一途すぎるっていうか、気持ちがちょっと重いんだよねえ……」 「蝶子さんに引かれると立ち直れないからやめてくれ」  どうにかこの話題は終わらせたものの、百夜はなんだか腑に落ちないような、微妙な表情をしていた。 「そうそう、しちちゃん。今日までに欲しいっていってたあれ、準備できてるよ」 「早いな、さっすが蝶子さん!」  持ってくるからちょっと待ってね、と自室に駆けていく。  見事に仕立てあがった藤色の着物を受け取り、広げて百夜に見せた。 「百夜、約束だったよな? 着物ができたら一緒に出かけるって」 「……したな、そんな約束」  あのときは泣いていたからか、やや気まずそうに答えた。 「そう。今日これから行こう」 「まあ、べつにかまわないが……」  早く誤解を解きたいし、気持ちを知りたい。  着物を理由にして、なんとか誘いだした。  ***  角帯は濃紺の献上柄(けんじょうがら)風、単衣羽織と帽子は消炭(けしずみ)色のものを用意していた。 「すっげえいい! 俺の見立てどおり!」  着付けを終えた百夜の立ち姿を、志千は満足げに上から下まで眺めた。  上品な淡色の調和の中に、青年らしい凛とした差し色が入っている。帽子も今年の流行型だ。 「貴様な……。反物は賞品でも、小物をこんなに買ってきたら意味ないだろうが」  いじくり回されていた当の本人は完全に呆れている。 「ちゃんと俺の稼ぎで買ったもんだし、よくね?」 「なおさら無駄遣いするな」  せっかくの機会なのだから、全身を自分好みにコーディネイトしたい。  その欲望を満たすために、志千は小言をいわれるのを承知で買い揃えていたのだ。 「ももちゃん、よく似合うよ。素敵だねえ」  こだわった甲斐あって、小さな女主人からも大好評だった。 「おれは着られたらなんでもよかったのに」 「もも、そりゃあ施しじゃのうて変態からの貢物(みつぎもん)じゃ。有難くもらっときんさい」  桜蒔の助け舟──というより本気で思っているように聞こえるが、とにかく百夜も納得したようだった。 「頭はどうすっかな。あ、俺とお揃いにしよっと」 「ハァ。もう好きにしろ」  長い髪を後頭部の上半分だけまとめて組紐で結い、背中に垂らす。  顔をだすのも、前ほどは嫌がらなくなった。  帽子を被り直し、出かける支度は整った。 「しちちゃんは濃紺の着物がぴったりだね。男前が二人いると絵になるよ。今日はどこに行くんだい?」 「俺もまだ観光してなかったし、十二階にのぼってみようと思って」 「お嬢は高いところ苦手じゃろ。じゃけえ今日はわしと花屋敷に行く約束しとるもんなぁ」 「うん!!」  蝶子は元気よく返事をして、煙草を吸っている桜蒔の背中に抱きついた。 「そうだ。これは蝶子さんに貢ぎもん」  帽子を購入した洋品店で、可愛らしいレエスの巾着袋を見つけて買ってきたのだ。 「ポシェット! いいの!?」 「ああ。早く仕立ててくれてありがとうな」  蝶子は大喜びで肩にかけ、財布やハンケチをしまっている。 「あ、シッチー。ももは下戸じゃけえ、酒は呑ませんさんなよ。一口で寝るぞ」 「そうなんだ。わかったよ」 「んじゃ、行ってくるけえ」  親子のように手を繋いで、桜蒔たちは先に出かけていった。

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