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【番外編】九弥と黒柳㈠

 その新人と初めて会ったとき、似ている──そう思った。  目鼻立ちではない。彼の纏(まと)う空気が、凛とした佇たたずまいが。  もう十年も前に出会い、結局手に入らなかった男にそっくりだったのである。  中堅の人気俳優である黒柳(くろやなぎ)栄玖(よしひさ)は、先に着付けを終え、楽屋の壁に背をもたれていた。  今日撮影する台本の台詞を見直しながらも、頭の半分では別の考えごとがちらついて集中できない。  恋愛映画で最後に主演を務めたのはいつだったか。  今や主役の座は若手に奪われ、良くて恋敵、悪ければ家族や友人という脇役をあてられるようになった。  今作では、深窓の令嬢の婚約者である金持ちの御曹司役だ。ヒロインは祝言の前に逃げだし、売れない文士と真実の愛を貫いて心中してしまう。つまりは当て馬である。  長らくのあいだ、二枚目活動俳優といえば自分を指す言葉だった。  しかし、日本の作品はどうしたってうら若き乙女のヒロインが好まれるのだから、その相手役も年齢が釣り合う新人に奪われていく。  自分もそうやって売れた。致し方ないことだ。  精悍に整った顔つきは、三十を前にしても決して衰えたわけではない。むしろ、うまいこと人情味と渋みを感じられる大人の男に移り変わろうとしている。  ──そう、今のうちだけだ。  煙草に火を点け、鏡の前で衣装部に化粧を施されている青年を眺め、胸の内で悪態をついた。  新人俳優の花村(はなむら)百夜(ももや)。  現在撮影している恋愛映画の主演である。  鼻梁と輪郭が繊細な線を描く、一分の隙もない横顔。造り物みたいな虹彩を持つ瞳とそれを縁取る長い睫毛。  まるで高名な人形師が、ただそこに飾っておくために創った生人形(いきにんぎょう)のようだ。  彼はたしかに美しい。デビュー作で世間をあれほど騒がせただけある。  だが、女形(おやま)たちと同じで、この少しの間違いも許されない美貌はそう長くもたないだろう。  持て囃されるのは、今だけだ。 「──おい」  亜麻色の髪をさらっとなびかせて、花村百夜がこちらを振り返った。 「その煙草のにおい、好きじゃない。気分が悪くなる。狭い場所で吸うな」  険のある物言いに、思わず舌打ちを返しそうになる。  こいつ、俺がこの業界で何年先輩だと思っているんだ。  初主演作がいきなり売れて天狗になっているのか、売れっ子劇作家の小山内(おさない)桜蒔(おうじ)にやたらと贔屓(ひいき)されて調子に乗っているのか知らないが。  年上に対して口の利き方がなっていない。 「百夜さん。黒柳さんは先輩なので、もう少し丁寧に……」  衣装部の娘に宥められ、ようやく敬語のようなものを口にした。 「じゃあ、さっさと消せください」  が、よけいに腹立つ。  人のことは言えないが、見てくれだけで育ちは良くなさそうだ。  あの人に少しでも似ていると思ったのが、間違いだったのか──  黒柳が背後からその長い髪に触れようとすると、花村百夜は目を見開き、大袈裟に身体を引いて逃れた。  畳に座ったまま、こちらを射竦(いすく)めるようにじっと上目遣いに睨んでくる。  無断で触れようとした言い訳をするように、黒柳は鼻で笑いながら言った。 「なぁ、花村。お前、髪切れよ」 「……は?」  なんでそんなことを命令されなきゃならないんだと、無口な本人に反して、雄弁な瞳はそう語っている。  まさしくそのとおりなのだが、さも正論を返すが如く言葉を繋ぐ。 「異人みてぇに奇抜な色の長い髪をしてちゃ、役柄が限られんじゃねぇか。男用の鬘(かつら)は少ねぇしな。役者向きじゃないぜ」 「でも、志千(しち)が……」 「あ?」 「大事なやつがおれの長い髪を気にいっているから、だめだ。切らない」   そう言い切って、ぷいっと鏡のほうに向き直る。  ますます、苛々は募っていく。 「は、わかってねぇのかよ。俳優はな、その見た目もぜんぶ会社のもんなんだよ。お前の意思とは関係なく売りもんなわけ」  なにを投げつけても、もはや聞く耳を持っていない。完全に無視して、こちらを見もしなくなった。  本当に生意気な新人だ。 「あの、黒柳さん。社長も監督も、今は長髪のイメージで売りだす意向のようですし、小山内先生は百夜さんに合わせて脚本を書いてらっしゃるんです。ですから……」 「知るかよ、んなことは」  恐る恐るという感じで口を挟んできた衣装部の娘を、追いやる仕草であしらった。  正直、会社がどうとか俳優だからどうとか、そんなことには興味ない。  ただ襟足の上で切られた短い髪のほうが、自分好みというだけだった。  花村百夜は初顔合わせのときから無愛想ではあったが、ここまで黒柳を拒絶する態度ではなかった。    黒柳が彼に手をだそうとしたせいなのである。  要は自業自得だ。  ***  昨日の撮影が終わったあと、楽屋に戻ると先客があった。  先に撮り終えていた花村百夜が、衣装を着替えようとしているところだった。  彼が演じている売れない文士は、伸びっぱなしの長い髪を後頭部でひとつに結っている。  露出したその白くて細いうなじを、間近で見たとき──  十年前の初めての恋、初めての一夜を、ふいに思いだしてしまった。  気がつくと、気安い調子で声をかけていた。 「おい、花村、今晩付き合え。初めての共演なんだ。親睦を深めねぇか?」  人気俳優である自分に誘われて、断わる新人はほとんどいない。  そのあとで自宅に連れ込むかどうかは相手にもよるが、黒柳が好むのは、芝居の世界にいれば一度や二度はお偉方から手をつけられていそうな中性的な美貌の若者ばかりである。  大抵の場合、匂わせばついてくる。  だが、花村百夜は黒柳の視線に滲む欲望を感じ取ったのか、あっさりと誘いを一蹴した。 「……酒は呑めないので」 「呑まなくていい。付き合えって言ってんだよ」  黙って首を横に振られる。  もう答える気はないとでもいうように背を向け、結った髪を解くために両手をあげて組紐に手をかけた。  断られたことはこの際どうでもいい。  悪戯(いたずら)心もあったが、その首筋をもっと見ていたかった。  そして──  背後から歩み寄り、肩に両手を置いて、無防備に晒されていた襟足のすぐ下に口をつけた。  素早く、はっきりと痕が残るくらいに強く。  驚いて振り返った花村百夜は、自分がなにをされたのか理解できなかったようだ。  ちくりと痛みが走ったであろう赤みを手で押さえている。長い髪がぱさりと音を立て、肩と背中に落ちた。 「今、なにをした?」 「怖いねぇ、その目。冗談だよ。まさか大の男がちょっと触れられたくらいで、生娘みたいに騒ぐ気か?」  有無を言わせないように笑い飛ばすと、青年は唇をきつく結んでまっすぐこちらを見据えていた。  認めたくはないが、やはりどうしたって浮かんでくる。  ここまで剥きだしではないにしろ、大人しそうな顔に似合わない気の強さと、意志のこもった瞳が──ますます、思い出のなかにいる人を彷彿とさせた。  あの人を初めて見たときの印象は、粗野に生きてきた自分とはまったく違うお上品な生き物。  横濱に大店(おおだな)を構える商家の跡取りとして、運良く裕福に生まれただけのお坊っちゃんかと思いきや。  たおやかな立ち振る舞いからは想像もできない覚悟の強さと、背負ったものの大きさ。  そのぶん、初めて組み敷いたときの快感は凄まじかった。  美しい若者を何人抱こうと、いまだにあれを超える体験はしていない。  女みたいに華奢な白い首筋に歯を立てた、初めての夜。浅黒く無骨な自分の大きな手が、少し力を入れたら折れてしまいそうな身体を押さえつけた。  見下ろした先のしなやかな背骨を、今でもありありと覚えている。 「着替えるから、もう出ていけ」  花村百夜に嫌悪感のこもった声を浴びせられ、我に返る。  印象だけが似ているせいで、違う部分がよけいに浮かびあがってしまう。  当たり前だが、別人なのだ。  あの人なら客に迫られても、うまく躱かわして着物の一枚や二枚は売りつけている気がする。  もっと器用で、愛想がよくて、賢くて。  そして、もっとずるかった。  今はなにをして、どんなふうに生きているのか。順当に商家を継いだのか、意識的に情報を避けていたから行く末はまったく知らない。  そこに自分の介在する余地はないのだと、わざわざ知りたくもない。  もう、二度と会うことはないのだろう。  その事実をあらためて突きつけられた気分になり、酒を呑む気も、男を抱く気も失せていた。  これが昨日の出来事。  ある意味とばっちりの新人俳優にここまで嫌われているのは、黒柳の側に原因があったのだ。 「じゃあ百夜さん、髪を結いますね」 「ああ」  無関心にぼんやりと眺めているふりをしながら、黒柳はまた花村百夜の首筋に釘づけになっていた。  昨日自分が刻んだ赤いしるしを見て、生意気な美青年を支配したような優越感に浸りたかった。  しかし、そこに現れたのは。  黒柳がつけた痣を覆い隠す、激しい情事の痕跡。  あきらかな牽制だ。  こんなに人形めいた見た目のくせに、やることはやってんのかというのが正直な感想である。  また随分と独占欲の強そうな女を連れ合いにしているものだ。これだけ自己主張が激しいなら女優だろうか。  ──いや、違うな。相手はおそらく男だ。  ならば納得できる。  この壊れやすそうな青年を自分だけのものにして、誰にも触らせたくない。  痕から伝わってくるそれは、黒柳にも痛いほど理解できる感情だった。 「……あ。忘れていた」 「もう! またですか!? 今日一緒に来てましたよね!? お説教しますからね!!」 「今は桜蒔先生と、脚本の話をしているが……」  花村百夜と衣装部が知らない誰かの話をしている最中、背丈の高い黒髪の若者が、ちょうど楽屋に入ってきた。

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