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第4話
sideゴブリン
今日はいつもと変わらない、なんてことない日だった。
森で果実とシダの葉を取ったら、あとはひっそりと塔の中に籠る。
ほこりを被った本を適当に手に取って読み漁り、飽きたら壁に絵を描いたり、編み物をしたり。
数年前見つけたこの隠れ家は、隠者のように身を潜めて生きる自分にぴったりだった。
ときどき人間や獣が単独でやってきても、この地に塔以外何もないと分かるとすぐに去ってゆく。
一人の生活には慣れていた。
もうずっと前から、こんな生き方をしているから。
くすんでひび割れた苔色の肌にとがった耳、ギョロリと動く赤い目玉。大きな口には黄ばんだ牙がぎらつく。
そのくせ身長は小柄でひょろっこく、小物で間抜けな雰囲気を醸し出している。
自分の醜さを知った時、ひどく両親を恨んだ。僕は物語が好きで──とりわけ、お城の物語。王子様とお姫様が情熱的な恋をするような、そういったことがいつか自分にも起こるのだと、幼心に信じていたから。
成長して、そんな夢とっくに忘れてしまったけれど。
もう何十年も一人だ。
ゴブリンだって番を持って幸せに暮らす者は多いが、僕──僕は、一人でいることを選んだ。家を出てから、どこにも居場所がなくなった。
僕は知っていた。
一度孤独に陥った者に神様は意地でも他者の影を与えないことも、この生活がこれからもずっと変わらないことも。
……多分、安住の地に安心しきっていたのがいけなかったのだ。
少なくともこの日だけは、どこかに散歩にでも出かけていれば。せめて塔の中にいなければ。それで、誰も傷付かなかったのだ。
大きな満月が空にかかってずいぶん経った頃、何やら近辺が騒がしくなり始めた。静かで普段は人が寄りつかぬ森に、次々と人々が集まってくる。
何があったんだろう。野原を整備する人間達は月に一度訪れるだけだ。こんな大勢でなんて、数年間暮らしていて一度もなかった。
久々に大勢の人間を目にして、次第に恐れが湧いてきた。やいのやいのと楽しげな声が充満する。カーテンをめくりそろりと覗くと、赤ら顔の中年や手を叩く若者の姿が見えた。
ぽつんと立った塔の中、ゴブリンの胸に焦りが広がってゆく。
完全に外へ出るタイミングを逃してしまった。今からでも窓から見える白樺の木に飛び移って、こっそり逃げようか……。
そう考えて急いで荷物をまとめていた時、いきなり部屋の中央に光の柱が突き刺さった。音もなく、ただ煌々と輝く光に反射で目を細める。
目が潰れそうだ。
訳も分からず固まっていると、まばゆい光がだんだんと人の形を帯びてきた。
それはファサ…と光を散らし、最後には巨大な翼を広げた。狭い部屋が照らされ、開放的な空間に変化したような錯覚が襲った。
「……おや……。なぜ小鬼がここに……」
天から響くような、包み込むような声が脳天を突いた。
(あ……天、使)
本能で、この存在が天使だと分かった。
得も知れぬ迫力に足がガクガクと震え、目が離せない。
まるで少女のような愛らしい頬、薄く色づいた形のよい唇。やわらかくカールした白い髪。
長いまつ毛の下の透明な瞳はまっすぐにこちらを見つめている。
「小鬼よ」
恐ろしいほど美しい顔が、目と鼻の先に近寄った。光の粒子が、自分の硬い皮膚にかかる。
「なぜここにいる?」
なぜ。なぜここにいるか。ただそう問われただけに過ぎないのに、罪悪感が背中を伝った。全細胞から汗が吹き出る。
自分はこの搭に勝手に住み着いたゴブリンに過ぎない。
この世界では国民を襲い娘に乱暴を働く、ピラミッドの最下層。人権はもちろん生存権もないような身分だ。
人間に見つかれば小石を投げられ、ともすれば命を奪われる。
たとえ自分は何もしていなくても、同族の犯した罪は人間からすればゴブリンという生き物全体の罪になる。
決して個人への感情移入はありえない存在。
生きていること自体ゆるされない存在。
ただ質問をされただけなのに、一瞬のうちに、そんな酷い思考が頭を走り回った。
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