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第15話

明くる日。  国民達は皆幸せそうな顔で街を練り歩いていた。けたたましいトランペットの音が響き渡り、宙に色とりどりの花びらが舞う。 子ども達が駆け回ったあとの石畳に水がしたたり色を変える。水鉄砲を打ちながら追いかけっこをしているようだ。また甘い香りを辿れば、街のいたる所にわたあめ屋や風船屋が立ち並んでいる。 「おめでたいですね、ご婦人」 「本当にねぇ。私ゃこんなハレの日を死ぬ前に迎えられて良かったよぉ」 「オリバー王子も良かったですね。デン王子がお亡くなりになられて大丈夫かと思っていたけれど」 「もう天使様がいるんだから安心だねぇ」 街行く人々は 皆王子と天使の話で持ちきりだ。 「聞いたか?昨日の王子の夜伽の……」 「見てたよ。カーテンに影が映って、そりゃあ神秘的だった」 「天使様は見えたか?」 「それが、とんでもなく魅惑的な声が聞こえて……、……これは話さなくていいか」 「何でだよ!?そこが肝心なんじゃないか!!」 「お前にはまだ早いっての!」 冬の澄みきった空の下。 賑やかな人々の吐く息は白いが皆ちっとも寒がってはいない。 なぜって、これから国は間違いなく安泰なのだから。 そう。昨夜婚姻が成立したので、国はこれから444年間災いから守られるのだ。 今日は、天使と王子の結婚を祝うための祭りが開かれているというわけだ。 ────の、だが。 それは表面上の話。昨晩──塔にいたのは、天使ではなくゴブリンだったのだから。 「……あンさー……」 場所は変わって森の奥。 わずかに木漏れ日の差した塔。 街よりずいぶん風が強く吹いている。 さわがしく揺れる緑と対称的な暗い部屋の中、人間二人とゴブリン一匹とが顔を合わせていた。 正座でチラチラ眼を動かしている、苔色の肌の小鬼がグウェン。 その隣で金髪を揺らしながら 「ダレン、何か言いたいことがあるならもったいぶらずに言ってくれ」 とよく響くテノールで声を発しているのがオリバー王子。寝起きのようだがいつもと寸分違わず見目麗しい。そして。  その悠々とした態度を見て、ダレン──オリバーお付きのツンツン頭騎士はもう我慢ならないといった様子で立ち上がった。 ボロの床板がギシと鳴る。 「オリバー兄ちゃんさァ!!なんッでゴブリンなんかと手繋いでンだよ!?」 「ゴブリンじゃない、グウェンだ」 「いーよそんなのッ!!もうヒート終わったんだろ!?離れろよ気色悪ィ!!」 「僕はグウェンとこうしていたいんだ!」 「兄ちゃん、お前昔ッから変な趣味だよなァ!ガキの頃は掃除婦の娘に猛アタックして最終的にストーカーになってさァ」 「兄ちゃんかお前か一つに絞れ。アタックしたのは掃除婦じゃなくいちごのヘタ取り専門の使用人の娘だ」 「どっちでもいいわクソボケッ!」 まるで本物の兄弟のように喧嘩する二人に圧倒され、グウェンは眉根を寄せた。うつむき加減だった首がいっそう下を向きかなり辛そうだ。  昨日散々好きにされた身体はいまだ自分のものでないような気がしてならない。 訳も分からずされるがままだったが、目覚めてから耐え難い羞恥心が襲ってきた。 「すまないグウェン。身体、まだ痛むかい?」 オリバーはそっとグウェンの服をまくった。 刺激を与えないように優しく触れる。 「平気、です……、んっ」 グウェンは鼻にかかる甘い声を出した。 すかさずシーと唇を押さえられる。 「グウェン。あまりそういった声を出さない方がいい。ほら、子どもが見てるから」 「誰が子どもだッ!!!」 ぶちギレながらも、揶揄されたダレンの耳は真っ赤だ。内情はめちゃくちゃ焦っていた。 (ゴブリンのくせになんつー声出してンだよ) 思い出す。昨夜塔から響いてきた、あの声を。 絶妙に低い声はどこか掠れていて柔らかくて色気があった。 おかげでベッドに入ってもなかなか寝付けず、熱心に慰める羽目になってしまった。 ゴブリンで致した無念さが今も胸を陣取っている。 「……つーか。マジでこんなことしてる場合じゃねェ。これからのことだけど」 息を潜めて話続ける。 オリバーとグウェンも神妙な面持ちになった。グウェンがそろそろと手を上げる。 「僕」 「ア!?」 「ひ……」 ダレンがメンチ切ったため、話が途切れてしう。しばらくはお互い仲良く……とはいかなさそうだ。 深呼吸して再度話を始める。 「あのぼ、僕……天使様に会ったと言いました。それでその時のお伝えし忘れていたことを思い出したのですが、」 「天使にキレられたんだろ?」 「そのあと天使様がおっしゃっていました。近い内人間の少女に変化し、オリバー王子にお近づきになる、と」 「うっそだろ」 「変化して……か。婚姻は断ってきたというのに何を企んでいるんだ……?」 「兄ちゃん、知らない間に気に入られたんじゃね?顔だけはいいもんなー」 「おい、どういう意味だ」 グウェンは天使がこちらを揶揄するような態度だった事は伏せた。 (これは話す必要は無いはず、だ) 「あの、なので、天使様はきっと今回の件で王子が処されるなんて事はお許しにならないはずなのです。処されるのは僕一人でしょう」 「…………」 グウェンの話を聞いて人間二人は黙りこくった。罰を受けるのは、ゴブリンであるグウェンだけ。オリバーはきっと見逃される。 そうなればもう、ダレンの結論は早かった。 「んーじゃ、お前一人で王に自白しに行け」 冷たい目で目の前の小鬼に命じる。 ダレンはオリバーの危機だと思ってこの不祥事を庇っていたが、もうそうする必要はないのだ。吹っ切れたようにあぐらを組んでいた足を投げ出す。 「国民騙したことは俺たちも咎められるだろうけどよォ。仕方のないことだったんだ」 「だめだダレン。グウェンも守る」 オリバーは唇を噛んで拳を握った。 ダレンはすかさずキッと睨み返した。 「はァ、あり得ないって。こいつがやらかした罪ならこいつで何とかさせるのが筋だろ。そもそもオリバー兄ちゃんが背負ってた役目は塔の管理人だけだ」 「天使の許嫁もな。こんなこと国民は許さないだろう。伝承通り災いが訪れたとして、僕らは何も関係ありませんで済まされるわけがない」 「……ンじゃ、今すぐ王の所行って真実を話してこいよ」 「それは……そうしたら、グウェンが処されるだろう……」 オリバーはグウェンの肩を抱いて離さない。 昨晩出逢ったばかりでどうしてこんなに心を入れ込んでしまっているのかは本人にもよく分かっていないだろう。 触れる腕の逞しさとオリバーの話にいたたまれずグウェンはうつむく。 (どうして王子は僕なんかの命を守ろうとしているのだろう。そんなことしたって何にもならないというのに) 心臓の音がずっとうるさい。 たった一夜抱かれただけだが経験のないグウェンはとっくに心を奪われていた。 こんな非常事態だというのに胸が甘く締め付けられる感覚を覚える。一度本でこういう心を何と呼ぶのか読んだことがあったが、もうすっかり忘れてしまった。あれはたしかお城が舞台の物語だったか。 (この感情が何なのかは分からないけど、きっと持ってちゃいけないものだろう) そう確信して心臓のあたりをきゅっと押さえる。 「オリバー兄ちゃん、兄ちゃんは国民より自分の……その、好きな奴を優先すンのかよ」 「ちが……、国民は何より大事にすべきものだから……」 「言ってることがちぐはぐなんだよ馬鹿。大体そんなゴブリンのどこがいいんだよ」 「…………」 「こんッなボロで醜くてよォ、」 ダレンは舌打ちしながら改めてグウェンの風貌を観察した。とがった耳に薄汚れた緑の肌。少しひび割れているような手。長い爪。 何より目を引くのは、そのギョロリと不気味な紅玉の瞳だ。 シュワルダの国民は黒またはブラウンの瞳の者が多い。ここまで真っ赤で禍々しい眼の者はまずいないのだ。見るも恐ろしい瞳が、人々がゴブリンを忌む理由の一つでもあった。 (……あ。そういやオリバー兄ちゃんも、ヒート中はこんな目の色してたっけ……) 王族特有の美しい青の瞳を持つオリバーも、ヒートになると赤に変色する。しかしこのオリバーの事例は歴代の王族でも類を見ないようで、いまだ研究でも解明されていない。   本人は天使の血が混じっているからだと思っているが、天使族というのはまばゆい透明の瞳を持っている。 オリバーの赤い瞳とは一致しないのだ。 「なんだか、気味悪ィな……」 オリバーとゴブリンの瞳の色が似ていることにダレンは不気味な予感を覚えた。

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