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第2話 匠

   昨日の夜、面白いものを拾った。  土曜日を出張帰りの移動日として使うのは嫌なので、金曜日の最終便で無理して東京へと戻ってきた。  マンションのエントランスで鍵を探すために、一度スーツケースを下に置いた。ふと足元に目がいった瞬間に、側溝の蓋がとれている場所に見事に人間がはまっているのを見つけた。  「だから危ないと、管理組合に先週言ったのに」  呟きながら側溝に寝ている人影に近づいた。放っておいても良かったが、万一事故にでもなった日には目覚めが悪い。近くまで寄って驚いた。  「上原!お前、何をしてるんだ?」  「あれ?しゅにん?手ぇかひてくらさい、れられまへん」  呂律がまわっていない、何を言っているのかさえよくわからない。  上原は部下として課に4月から配属されてきた新入社員だ。いつも犬みたいにちょこちょこと大きな目で俺の後をついてくる。  話の途中にかかってきた客先からの電話が長くなってしまった時、「待て」をくらった仔犬みたいに忠実にそこに座ってにこにこして待っていた。  こいつ犬だなと何度か思った事がある。  会社の部下では余計に捨て置けない。何とか側溝からは引き上げたものの、足元と背中は泥で汚れてしまっている。そして事もあろうか、俺にしなだれかかるようにして眠ってしまった。  「で、こいつをどうするんだ……」  上原の住んでいる場所なんて当然知らない。仕方なく自分の部屋まで引きずるようにして連れて行く。泥だらけのズボンと上着を玄関でやっと脱がせ、下着にシャツとネクタイという姿の新人をベッドへ放り投げた。  体が軽くて良かった。というより、ちゃんと飯食っているのか分からないほどだ、軽すぎだる。ベッドの上で苦しそうにネクタイを引っ張っていたので、解いて緩めてやる。そして、外してやった眼鏡と一緒にリビングのテーブルに移した。  「これも、や」  駄々っ子のようにシャツを引っ張るので、仕方なくシャツも脱がせてやる。一瞬起き上がり、にっと笑うと上原は倒れこむように眠ってしまった。  出張の疲れが倍になった、今日は向こうに泊まれば良かったと後悔した。玄関の泥だらけの上原のスーツをバスルームに放り込む。  ごとんと音を立ててズボンのポケットから落ちた携帯を拾い上げた。荷物は、これだけなのか。  財布は?    そう言えばビジネスパックは?  考えてみたが何も側溝の所には落ちていなかった。  シャワーを浴びると、少しだけ疲れが取れた気がした。しかし、ここに客用の布団はない。ベッドに寝ている上原を端に押しやり自分の眠るスペースを作る。  去年の夏、あいつと別れてから、誰かと寝所を分つ事は無かったと考えながらベッドの反対側に潜り込む。ダブルベッドとは言え恋人以外と寝るには狭すぎると、ため息が出た。

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