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第34話 匠

 慣れない狭いカプセルホテルの繭のような空間で、苛つきながら眠りにつく。どうしようもない揺れる気持ちの原因は、ひとつ。紺野ではない。  上原の存在が自分の中で大きくなっているという事実を、認めなくてはならなかったこと。  酔っ払っていた上原を拾った時に、野良にならないよう首輪をつければよかったのかもしれない。あのまま俺のもとに。  いや、どうにかなるとかはない。あり得ない、上原はノンケだ。  そして俺自身、今日まで社会に出てそれなりの評価も立場も得てきた。下手を打てば、全てを失う。そして、そんな事ができるほどもう青くはない。  朝はいつものコーヒースタンドに行かずに、ホテルの下の安い喫茶店のモーニングで済ませた。  正直、紺野にも上原にも会いたくなかった。支払いを済ませ定時ギリギリに出社した。  デスクの上には昨日、上原に指示しておいた書類が封筒に入った状態で置いてあった。持ち出したはずのない封筒が何故か少し皺になっている。  新聞で読むトップニュースも、自分の身に降りかかる時は面白くもおかしくもないものだと朝から苦々しく思った。  「田上、第1会議室な」  課長に声をかけられた。  「課長、上原がまだ出社していないようですが。あいつが丸山電機の新しい担当なんで、会議にも入ってもらおうかと思ったのですが」  「あの。田上主任。今日は上原君はお休みです。朝一度出社してきたんですが、マスクして帽子深くかぶってて誰かと思いました。主任のデスクに書類を置いてからすぐに帰りましたよ」  課の女性がにこにこと愛想を振りまきながら言う。  この子の名前は、何だったか。ああ、確か上原と同期の新人で、山中さんか。俺はやはり女性には全く興味がおきないと、変な事を考えてしまう。  それより書類を届けに来たとは、どういう事だ?あの書類は昨日の夜指示を出して、それを置いていったものじゃないのか。  コピーを自分のために持って帰ったのなら、それをわざわざ朝から俺に届ける意味はない。  間違えて俺の分まで持って帰ってしまったのかと、その時はそう納得した。

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