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第62話 匠

 「んっ」  朝から下半身に手が伸びてきた、紺野は無意識に人の身体を探っていたなと昔を思い出す。触れられれば気持ちがいい。心と体がここまでバラバラだと知ったのは昨日の夜だった。あれだけ苦しんで別れたのに体はあいつの全てを覚えていた。  紺野は身体を捩りながら俺の名前を何度も呼んでいた。いつもよりトーンの高い声。感じている時の喘ぎ声が直接腰にくる。溶けるまで無茶をして抱き合って気だるい土曜日の朝を迎えた。  紺野はまだ目をさまさない。昼過ぎまでは起きられないなと、昨夜の乱れ方を思い出す。昔を思い出す、ムスクの香りのあの相手。  愛されているという実感が欲しくて、フラフラしていた紺野。どこへ行っても最後は必ず俺の元に帰ってきていた。  帰ってくると必ず俺を求めた。だから俺がいなきゃこいつはダメだと勘違いしていた。  あの頃から煙草とムスクの香りがするときはひどかった。何度も達しながら狂ったように求めて来た。  今回もその延長線上なのだ、分かっている。  こいつにとって俺は決して裏切らない相手で最後の砦。コーヒーを飲みながら今後の事を考える。もしもこの手を振り払ったらこいつは生きていけるのだろうか?  不安定で儚い。  仔犬を拾って飼いたかったはずが、死にそうな野良猫を拾ってしまった。でも命を預かったからにはこいつが一人で立てるまで見守るしかない。  もうあの仔犬は他に家を見つけたのだろうな。  「ねえ、匠。喉乾いたよ」  寝室から甘えた声がする。ミネラルウオーターのボトルを持って寝室のドアを開ける。その空気に一瞬のまれた。

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