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第70話 匠
今、紺野は明らかに不機嫌だ。「飯行くぞ」と誘って家を出たときはご機嫌だったのに。
紺野の義父さんに会うのは紺野の母親の葬儀以来だ。あの時は随分とくたびれて見えたその人はもう60歳になるはずなのにとてもそうは見えない。
「康介、もういいだろう、帰って来い」
有無を言わせない上からの物言い。紺野は黙って何も答えない。本当に俺はこの場にいて良いのか?
「すみません、私はこれで失礼します」
立ち上がろうとすると、腕を強く紺野につかまれた。
「匠の嘘つき、俺を絶対に見放さないって言ったろ」
いくら貸切の個室とはいえ、男3人顔つき合わせてする会話じゃない。少なくとも相手は大手企業の重役だ。人に聞かれてはまずい、立場もあるだろう。
「よせ、康介。これ以上田上さんにご迷惑をかけるんじゃない。お前の我儘には十分に付き合ってくださったはずだ。良い加減、お前は見限られたという事実を受け入れろ」
え?去年、紺野が俺の元を去ったんだ。捨てられたのは俺のはず、俺が紺野をふったってどういう事だろう。
「いえ、ふられたのは私の方ですので」
そう正直に伝えると、紺野が目を丸くして話し出す。
「呆れた。自覚ないの?高校の時から心は俺にはなかった。もともと責任感と意地だけだったくせに」
そんなはずない、俺はいつも紺野に振り回されて来たはずなのだ。
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