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第110話 匠
声をかけながらドアを開けた時に丁度、電話を持っている上原が固まっていた。
慌てても、もう出てしまった言葉は飲み込めないし、取り消せない。
「兄さん、心配しないでよ。会社の先輩のところにいるだけだから」
蓮の台詞に一瞬だけ青ざめた。
……兄さんと今言ったのか。
俺は失うものも無いから誰に何を言われても良い。だけど上原はそうじゃ無い、俺といることで失う物が大きすぎる。
上原は黙って聞いている。何を言われているのか検討さえつかない。大きくため息をついた後に上原が言った。
「そうだよ、アパートには帰ってない。ずっとここにいる」
詰られる覚悟はあるが、全ては上原次第なのだ。しばらく話をして、上原が電話の向こうにいるだろうお兄さんに答えた。
「え、会いたい?俺は良いよ。多分、主任も会ってくれると思うけど。うん、すぐに迎えに行く。俺のアパートの前で待っててくれる?」
電話を切って俺に向かってぎこちなく微笑む。
「匠さん、兄に会ってもらえますか?」
そう泣きそうな声で言われた。
「郵便物が溜まっていたらしくて、しばらくアパートに帰ってない事がばれちゃいました。すみません、嫌な思いさせてしまうかもしれません」
「俺は平気だけど、蓮、顔青いよ。大丈夫か?」
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