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第155話 蓮

 金曜日の夜はあっという間にやってきて、家に主任が緊張してやってきた。  「初めまして。私、田上匠と申します」  「田上さん、堅苦しい挨拶は良いからこちらへ。息子がいつもお世話になっております」  父さんは、主任に座るように促すとお茶を飲みながら、経済の話で盛り上がっていた。まるで仕事上のお客さんと話しているようだ。  「父さん、あのさ」  会話に入ろうとするたびに、母さんに引っ張られてしまう。  「蓮は黙っていなさい」  そう母さんに止められた。何の茶番なんだと叫びたくなるのを堪えて黙っていた。しばらくして兄さん夫婦がやってきた。  「蓮、ちょっとこっちへこい」  兄さんに廊下に呼び出された。  「お前は、いつも暴走するから。母さんが職場の先輩として、まず父さんに紹介するって言うから。みんなにどんな人か信頼してもらうのが先だろう」  そうか、だから父さんはあんなに機嫌が良いのかと理解した。という事は、まさか……。  「ねえ、義姉さんも何もしらないの?」  「当然だろ、俺もさすがに言えないよ」  ああ、こういうのが一番苦手だ。嘘はついていないけれど、本当のことも言っていない。主任は雰囲気で察したのだろう、決して余計な事は言わず仕事の話で父さんと盛り上がっている。食事も和やかに進んだ時、義姉さんが、さらっと爆弾を落とした。  「田上さんってとても素敵な方ですよね、恋人とかいらっしゃるの?」  一瞬の沈黙の後、俺の方をちらりと見た主任は落ち着いた声で答えた。  「とても大切に思っている人がいますが」  「あら、それは残念。お友達に紹介しようと思ったのに」  俺はもう苦笑いするしかなかった。

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