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第170話 匠
上原の様子は気になって仕方がないが、俺が行くべきところではないと分かっていた。だから顔を出すこともせず、こちらから連絡をすることもせず、ただ上原からの連絡を待っていた。
あの元気な顔を見ないと落ち着かない、そう思っていたら今日は仕事でミスをして気持ちがへこんだ。早めに退社して、今日は休んだ方がいいと考えていた時、携帯にメッセージが入った。
ふと画面を見ると、上原のお兄さんからだった。
『不躾なお願いで申し訳ないのですが、蓮に会いに行ってもらえませんか?』
そのメッセージに驚き、廊下に出て番号をタップする。
「田上です、蓮に何かあったのですか?」
背中に冷りとしたものが走った。
『いえ、ほとんど食べないし、寝ないんです。祖母につきっきりで。このままではあいつが倒れる。誰が何を言っても聞かないんです。もうあなたにお願いするしか』
会社は早めに帰るつもりで仕事は終わらせてある、急いで荷物を取りにデスクに戻ると課長に「今日はもう帰ります」と伝え、急いでタクシーを捕まえた。
個室のドアをそっとノックすると「はい」と小さい声が返ってきた。ドアを音が立たないように気を付けて開けると今にも泣きそうな顔の仔犬がいた。
「え、匠さん?どうしてここへ?」
「蓮、おばあさんの具合はどう?」
そう聞くと腕の中に勢いよく飛び込んで来た。
「目を覚ましてくれないんです、怖くて……怖くて、どうしようもなくて。もしも、いなくなってしまったらどうしたらいいんですか?」
両手に力を入れて上原を抱きしめた。
「しばらく、おばあさんに俺が今ついていてやるから休め。大丈夫、ここには俺がいるから。お前のおばあさんに挨拶させてもらうよ」
背中をやさしくさするように撫でると、腕の中でふっと意識がなくなるように眠りについた。眠りについた上原を置いてあった簡易ベッドにそっと移す。そうして背を正すと、目を閉じたままの上原のおばあさんに声をかけた。
「初めまして、田上匠と申します。蓮さんとお付き合いさせて頂いています。お会いできて幸栄です、しばらくここに居させて下さいね。蓮さんは俺が責任持って見守りますから安心して下さい」
その時目を覚まさない上原のおばあさんが笑ったようなそんな気がした。
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