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第172話 匠
上原の顔を見て安心したためか、金曜日の仕事ははかどった。体調良いようだなと課長に言われ良い大人なのにと恥ずかしくなった。明日は朝から上原の顔を見に行こうと、早めにベッドに入ったら真夜中に携帯が鳴った。
『すみません、こんな時間に……』
そう言うと上原は電話口で黙り込んでしまった。これはまずいと、コートを掴んでタクシーに飛び乗る。タクシーを降りると病院の入り口まで走る。走っても仕方ないのに気持ちが焦り早足になる。
病室には家族がみんな集まっていた。顔色を失い、真っ直ぐ立てない状態の上原をお兄さんから受け取る。
「田上さん、蓮をお願いします。俺は親父を手伝ってきますから」
人が亡くなったのに悲しむ時間もなく追い立てられる社会ってどうかなと思うが仕方ないのだ。葬儀屋の手配、親戚への連絡、そして今後のこと。悲しむ暇もないから、やり過ごせるのかもしれない。
一番素直に悲しんでいるのは上原と、奥さんを亡くした上原のおじいさんだった。上原は憔悴しきっていて泣くことさえできないようだった。
「蓮、お前は生きなきゃいけないんだ。飯食って少し眠れよ、俺がいてやる。一生守りますって蓮のおばあさんにも誓ったから、お前に倒れられたら俺は嘘つきになる」
その瞬間に、堰を切ったように上原が泣き出した。声も立てずにひたすら涙をこらえるようにして泣いている。上原の肩を強く抱きしめて、背中をゆっくりとさする。少しでも落ち着くように話しかけ続ける。ここ何日かしっかりと眠る事もなく、きちんと食べる事もなく苦しんでいたのだから少しだけ、今少しだけでいい休息を与えてあげたい。
上原のお母さんに頼まれて、ばたばたと葬儀の打ち合わせに追われる家族を余所目に、上原を連れ出した。
「申し訳ありません、今晩だけ田上さんのお宅でこの子を預かっていただけますせんか?後で連絡しますから」
「私は大丈夫ですが、何か出来ることがあったらおっしゃってください」
「この子を預かっていただければ十分です」
そうやって放心状態の上原の世話を任された。タクシーに乗せてマンションに連れて帰る。
風呂を沸かして服を脱がせる。少し痩せた。やっぱりまともに食べて無かったんだな。
体を洗ってやってベッドで抱きしめて眠った。その夜は不安にならないよう腕の中に囲って離さなかった。
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