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第175話 蓮
「あの、匠さん?そろそろ起きて準備しないと、会社間に合いませんよ?」
「ん、わかっているけど、あと少しだけ」
いつも誰よりも会社に早く着く主任が珍しくベッドから出ていかない。シャワーを浴びて準備しないといけないはずなのに、俺の腰に回した手は解くつもりがないみたい。
「昨日休んだのですから、遅刻できないですよね」
「そうだよな、どうしよう。初めて会社に行くより、ここにいたいと思ってるよ」
髪に優しく口づけられる。それだけで、心臓がギュッとなる。
「仕方ない……大人しく自宅で待ってて。荷物もあるだろうし、会社の帰りに車を借りて迎えに行くよ」
「はい」と小さく頷く。
シャワーを浴びる主任を待ちながらコーヒーを淹れる。
髪を整えスーツを着た主任はさっきの甘い恋人の顔から、しっかりとした会社の上司の顔に変わっていた。
……カッコイイ、見とれていたらコーヒーありがとうと微笑まれた。その笑顔にかくんと膝から力が抜けた。
少し考え事をしていたような表情の主任が、うなずくとぽつりと言った。
「蓮、車買おうか」
それって俺のためなのかな?そうだよね。
「はい」
何だか嬉しくて、それ以外何も言えなかった。
荷物を取りに家に戻る。主任のおかげで本当に落ち着いた。おばあちゃんにもう会えないのは心が痛くて今にも涙が出そうだけれど。
「ただいま、母さんは少しは休めたの?」
玄関に迎えに出てきた母親の疲れた顔をみて、笑顔を慌てて作る。
「蓮は、もともと優しい子だったけれど、人の事を気遣えるだけの大人になってきたのね。田上さんのおかげなのかしら。そう思うと、何だか悔しいわ」
「あ、匠さんが会社帰りに迎えに来てくれるって」
「じゃあ食事して行ってもらいなさい、蓮が料理は手伝って。あなたも少しずつ覚えなくちゃいけないでしょう。任せっきりにできないものね。あら、やだ。娘はいないのにお嫁に出す気分よ」
おかしそうに笑う母さんに良かったと思った。
「他のみんなは大丈夫?」
「忙しくて悲しんでいる暇もないみたいね。おじいちゃんにはその方が良いのかもしれないけれど」
その日は母親の手伝いをしながら、久々にいろいろな話をした。少しだけ主任の自慢もさせてもらったけれど。
夜、兄さん夫婦も呼んで食事をする事になった。そこで正式に主任を紹介しよう、緊張するな。義姉さんはどう思うのかな。
午後8時、主任の到着を告げる玄関の呼び鈴がなった。
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