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第196話 匠

 仕事が終わり、いつものように失礼しますと上原が立ち上がる。それとほぼ同時に横山がまたやってきた。  「田上主任、少しだけ時間いただけませんか?」  ぴくりと上原が反応する。けれど、何もここでいうわけにはいかない、ぐっと奥歯を噛みしめると何も無かったように出て行った。  「何?」  「え、ここで話ししても良いですか?俺は大丈夫ですけれど」  社内にはまばらに人が残っている程度、誰もこちらを気にしている様子は無い。かといって、とんでもない事を言い出しかねないこいつと、ここで話をするのも憚られる。  「会議室でいいか?」  「外に出ませんか?総務の新人の俺と、会議室ってのも変ですよね」  「……解った、少し待っていて」  書類をまとめて立ち上がる。  「嬉しいなあ、どこ連れてってもらえるんですか?」  横山はわざと大きな声で言う。その声が聞こえたのか何人かが一瞬こちらに目を向けた。別に会社の新人を食事に連れて行く事などそう珍しくも無い。振り返った奴らもすぐに興味を失くして自分の仕事へともどっていった。  後ろをひょこひょことついてくる横山は楽しそうに鼻歌を歌っている。会社の近くの個室のある居酒屋に入るとと、とりあえず上原に今日は夕食を食べてから帰るとメールを入れる。すぐにチェックしたのは分かっているが、返信は帰ってこなかった。  「俺、田上さんに会社で会えた時に運命だと思いました。掲示板で偶然の出会いで二度目。相性も良かったし、また会いたいなと思っていたら。こんなところで、もう宿命だと思うしかないと思っていますから」  いや、少なくとも運命は俺は感じていない。どちらかと言えば、今は返ってこないメールのの方が気になる。携帯に目を落として上を向いたその瞬間だった。  テーブルに手をついて、伸びあがるようにして近づいた横山がいきなりネクタイを掴み口づけてきた。  「田上さん、他の男の俺の心配は、終わった後でもいいじゃないですか?」  失敗した、不意をつかれたとは言え俺に隙があった。

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