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第216話 匠

 「蓮、れーん、いい加減に出てこいよ。飯食おう、なっ?」  帰ってきたが、お出迎えもなく既にベッド潜りこんでいた上原は、布団を被って出てこない。  籍はまだ営業に置いたままなのだが、七月一日から兼務になる。兼務と言いつつも仕事は新しい部署で行う事になる。  新しい部署は社長直轄なので働くフロアーが違ってしまう。上原は、課長に「引き継ぎが終わってないので無理です」と何度も抗議していたが、仕方がないだろうと切り捨てられた。  その二日後から三日間、社長の通訳として現地工場予定地の視察に行くのだ。  「嫌だ、行きたくない」と、帰ってきたときは甘えていたのだが、そのうち拗ねてベッドに籠城してしまった。  誕生日に一緒にいられないから、なのだろうとは思うけれど、会社勤めの身としては仕方のないことなのだ。  準備期間が短すぎるよなとは思う。しかし、今回の場合は社長直々だから仕方ない。上司としては叱咤するところだけれど、今は恋人の時間。  布団を引き剥がすと、そこには尻尾を垂れて寂しそうに小さくなった俺の仔犬がいた。  「蓮、誕生日に一緒にいられなくて落ち込んでるのはお前だけじゃ無いんだよ。俺だって、寂しいし、嫌なんだけれど」  「匠さん、俺の誕生日を知っていたのですか?」  上原はいきなり笑顔になる。  「もちろん、恋人の誕生日を忘れるほどじゃないよ。まあ、レストランとホテルはキャンセルしなくちゃいけないしね」  二人で最初に過ごしたホテルを予約してあった。あのレストランの窓際、夜景の見えるあのテーブルも。  「何はだか……何だか、愛されてるみたいですね」  「蓮?何を言ってるの。もちろん愛されてるでしょう。それとも何、俺の愛情見えないくらいちっぽけなものかな」  上原はくすりと小さく笑うと「最近、匠さんなんだだ変わりましたね」と、言う。恋人の前でまで眉間にシワ寄せてないよと髪を撫でてやる。  「あーあ、もういいかな、やっぱり匠さんは俺の扱い方上手なんですよね」  しっかりと抱き着いて、顔を押し付けて表情が見えない。そのまま上原は小さく囁いた。  「じゃあ、キスしてくれたらここから出ます」  ああ、これじゃあ、俺がベッドに引き込まれてしまいそうだ。

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