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第256話 匠
面白くない、上原の口から他の男の名前が出てくるのは。妬いている?当然だ。嬉々として江口の事を褒めている。
「仕事の話はもういいから。ちょっとこっち。」
ダイニングの椅子ごとぐいっと引っ張ってそばに寄せる。
手に持っていたコーヒーをこぼしそうになった上原はちょっと怒ったような顔をして「匠さん!危ないでしょう」と、言う。
聞こえないふりをして、ウエストの部分から手を潜らせた。俺の手をシャツの上から押さえた上原がシャツから俺の手を引っ張り出した。
「駄目です。まだ新しい部署に移ったばかりで、緊張してるし仕事も覚えることが多くて大変なんです。今日は無理です」
少し触るくらいさせてくれても良いのに。言い出したらこいつは聞かない。
「風呂入ってくる」
そう言うと「食器を片付けておきますね」と上原が立ち上がる。
「蓮、そんなの放り出しておいて、一緒に風呂入らないか?」
「駄目です、匠さんは絶対に風呂だけ、じゃ済まなくなるでしょう」
まあ、そう言うつもりだったから否定は出来ないが面白くないものは面白くない。少し難しい顔をすると、するすると傍に寄って来て俺を見上げて甘えるように言う。
「週末はたくさんしましょうね」
「え?何の話?何をするって?」
そう言うと、上原が赤くなる。自分がまるで助平おやじになったようだと、くっと笑いが出た。それでも赤くなる恋人を見て、満足した。押し倒したいとはおもうけれど、恋人の小さな可愛いおねだりに今日は退いてやる事にした。今回だけだと思いながら。
「今週、俺をほっといた分頑張ってくれれば良いよ」
上原は更に耳まで真っ赤になって下を向いてしまった。その姿に俺の気持ちはすっきりと晴れた。
分かっている職場も新しくなり本人は日々に精一杯だろう。新しい仕事に慣れるまでは無理はさせないようにしなければいけないと思いつつ、浴室へと向かった。
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