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第276話 匠
「これから帰ります」
たったそれだけの短いメッセージが来たのは翌日の午後だった。返信する事もなく、ただひたすら上原の帰りを待った。待つ間にだんだんと、どこへ向けたら良いのか分からない怒りがわいてきた。
「ただいま帰りました」
上原の声が玄関からした。
「蓮、大丈夫なのか。何があったんだ?」
玄関を上がるや否や、上原を掴むようにして抱き寄せた。煙草を吸わない、上原からするのは江口の普段吸っている煙草の匂い。その匂いが移っている、その瞬間に頭に血がのぼった。
「何があったんだ!言え!」
口調がきつくなる。とつとつと、状況を説明されても、要領も得ず納得できない。
「蓮、江口の電話番号を教えろ」
返事もせず、おろおろとする上原から携帯を取り上げると江口の番号を呼び出した。上原だけは、俺以外の誰にも触らせない、傷つけさせない。擦り傷一つさえ負わすことを許さない。
「江口か、お前、上原に何をしたんだ」
『何をした?か、そうだな。お前たちそういう関係だよな。つまりあの縁談断ったのはそういう事なんだよな。別に上原君には何もしてないよ。まあ、ちょっといたずら心はあったけど、彼は俺も可愛いし。そもそも会社の部下だ、考えてもみろよ』
「江口、お前あいつに何をした」
『だから、何もしてねえって。熱いって苦しそうだったから、服を緩めてやっただけだ』
怒りで携帯を持つ手が震える。上原の話から察して、そんなに飲んだとは思えない。
「上原にだけは、手を出すな」
それだけ言うと電話を叩きつけるように切った。
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