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第282話 匠

 どう言う事だろう、あの日以来全くと言って良いほど上原から江口の名前が出ない。だから何もない大人しくしていると言う事なのだろうと思っていたのに。  「なあ、お前と上原ってさ将来どうすんの、ってかどうなんの?」  ちょうど営業先から戻った俺に喫煙室から出てきた江口が声をかけてきた。二人並んでエレベーターに乗る、気まずい雰囲気だ。  「何の話だ」  「いや、純粋にどうすんのかなってさ。あいつ本当に一途じゃん。今まで俺が会ったどんな女より一途なのに、強いってか。あんまりにもお前に忠実で、お前はこの先どうするつもりなのかなって、単純な疑問よ」  「お前には関係のないことだ」  こんな会話をなぜここで、こいつとしなくてはならないのだ?エレベーターの中二人きりとは言え落ち着かない。  「んー、まあそりゃそうなんだけどね。あれだけ誰かに思われた事ってさ、俺は一度もないかなって。男同士なんて先何も無いし、ありえないって思ってたけど。ちょい羨ましくなったりしてな……」  「上原には手を出すなよ、指一本触れるんじゃない」  頭の中が沸騰しそうだ。ぐっと堪えてそれだけ言う。江口の恋愛対象は女性のはず、これは単なる揺さぶりだ。  「江口、お前は部長のお嬢さんどうしたんだよ。人にかまってる暇あったら自分の事頑張れよ」  にやりと笑った江口が携帯の画面をわざと見えるようにこちらに向けた。そこには半開きの口がまるで誘っているような上原の眠っている上半身裸の写真があった。  「あん時のだな。上原は知らないけどね、これ消せねえ。俺、これで抜けるわ」  「おまっ…」  手を伸ばして、その携帯を取り上げようとした時にエレベーターのドアが開いて、江口は降りて行った。嘘だろ、またあいつと被るのか?単なる揺さぶりじゃないのか、それともこれは単なる嫌がらせなのか。

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