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第298話 匠

 江口はいつも俺にしつこいくらい絡んできていた。あれは単なる俺への嫌がらせだと思っていた。そもそも、それが間違いだったのだ。  「なあ、お前らってさ、連休どうしてたの」  「お前には、関係ない」  「田上、お前モテんだから少しくらい他で遊んでみてもいいんじゃね?」  「江口、お前はそろそろ重役の娘でも狙って結婚したほうがいいだろ」  そんなやり取りが時折あったが、まさかあそこまで上原に真剣だったとは予想だにしていなかった。  面倒臭いやつだとは分かっていたけれど、こいつが俺から上原を取り上げる事になるとはおもわなかった。   ……それは突然やってきた。  十二月になり、年末の生産現場の長い休みの前に工場への出張が入った。今回は上原と江口の二人で二拍だと言う。  出発の前日に上原に言われてカチンときた。事前に言うと俺が騒ぐからという理由も気に入らなかったのだ。  仕事だとは解っているが、普段からの江口の上原への距離に苛々していた。だからつい、余計な事を言ってしまった。  「浮気ってなんですかそれ?」  上原のことを信じていないわけじゃない。  悲しそうな上原の顔をみて、すぐに謝るべきだった。けれど変なプライドがあった、そしてそんなことで声を荒げた自分に嫌気がさして、一人で夜の街へ出かけてしまった。  翌朝戻ると上原は出張に出かけていた。  寝室のベッドは使った形跡がない。一晩中俺の帰りを待っていたのだろうか、眠らせずに出張に行かせてしまった。  今でも後悔しか残っていない、全ては俺の所為だ。まさか、次に会うのが病院のベッドの上で眠る上原だとは想像だにしていなかった。  帰ってきたら、謝りたいとおもっていたのに。それも叶わなかった。

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