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第300話 匠

 以前、上原に聞かれたことがあるパスワードを田上さんの誕生日にしてもいいですかと。ここに繋がりが残っていたとうれしくなった。  「パスワード書いておくよ」  「ありがとうございます。これってクリスマスイプ?December24ってクリスマスイブですよね。なぜこの日づけなんだろう」  不思議そうに上原が首を傾げた。  「ああ、そうだね。昔、聞いた気がしてね」  「何か嬉しいクリスマスイブでもあったのかな、きっと何か意味のある数字なんでしょうね」  「さあ、どうなんだろうね」  携帯が壊れて、受け取っていなかったメッセージが入ったようだった。  俺が送った「蓮、すまなかった。連絡をくれ」と言う短いメッセージも入り、上原が驚いた顔をして見上げてきた。  「田上さん、あの、つかぬ事を伺いますが、これはどういう事なのでしょう」  「ああ、それか。少し蓮と言い争いをしてね。俺が謝りたかっただけだが、もう済んだことだ」  「すみません、本当に何も覚えていなくて」  「いや、こちらこそあの時は悪かった。まあ、覚えていないなら謝られても困るだけだよな」  そう言うと上原は少し困った顔をして、その後ふわっと笑った。上原の笑顔はいつもと変わらない。  ほんの二週間前には俺の腕の中で笑っていたのに。  「今日はそろそろ帰るよ。明日から出張だから来週また顔を出すよ。お土産は何がいい?」  「もう今週は会えないんですね」  それは反則だろうと言う顔をする。今ここで抱きしめたいくらいだ。でも俺との関係は全て忘れている。  これを機に上原から手を引いてもらえないかと、上原の家族に言われている。無理な話だが、説得して、説明して元の関係に戻れない事も分かっている。  上原に選ばせる。そう決めた。ザックにも戦線布告された。スタートラインはこれで一緒ですねと。  「そろそろ帰るかな、またな」  そう言って頭をポンと軽く叩くと、気持ち良さそうな顔をする。ああ、誘われる。  静かに部屋を出ると廊下の壁にもたれてザックが待っていた。  「俺は退かないよ」  そう言い残してザックは病室へと入っていった。

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