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第310話 蓮
松葉杖の代わりに身体を支えるようにして車から降ろしてくれた。さすがに抱き上げられて運ばれるのはもう嫌だと思う。けれど田上さんに体に触れられても不快ではない。
自分の体の重さを少しだけ田上さんに預けて歩いた。そして、エレベーターに乗った時に自分の手が、当たり前のように目の前の9を示すボタンに触れた。
「蓮、お前……」
一瞬動けなくなった田上さんがいた。そして自分でもなぜ考えもせず九階を目指したのかわからなかった。ここは見た事の無い場所のはずなのに。
「あれ、俺なんで……?」
驚いて声が出た。
見た事の無い場所のはずなのに、なぜか実家より違和感が無い。ここは俺の居場所だと何かが告げてくれている。
そして今、身体を支えてくれている田上さんのこの木蓮の香りが、五感を刺激してくる。
聞きたくて、聞けない言葉が頭をよぎった「田上さんは俺にとってどんな存在だったのですか?」と。
なぜ自分が毎日のように会いたいのか、田上さんからのメッセージが待ち遠しいのか。忘れてしまってはいけない事はもしかしたら……。
軽いかちゃりと言うドアの解錠音に自分の心臓がどきりと跳ねた。
「蓮、ここは抱え上げさせて」
軽々と抱えられて、田上さんに部屋の中に運ばれた。恥ずかしいはずなのに、なぜかこの感覚が懐かしい。何だろうこれは。
リビングのソファに降ろされてキッチンに消えていく田上さんを見ていたら不思議な既視感があった。
俺……この光景を知っているかもしれない。
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